2023.6.11

喪に服す3日間だった。
横浜に住む従姉の旦那さんが突然の病死で亡くなったのが2日前。
天国旅行という大好きなバンドが東京に来ていたので楽しみに過ごしていたけれど、その日の朝から作業も何も手につかず人に会える感じになれなそうだったので、昨日は大人しく家族と家で過ごした。

享年30歳。新築の家を買って一年、生後四ヵ月目になる女の子の育児がスタートしたばかりだった。
私が会ったことがあるのは去年1月の結婚式の一度きりで、コロナ禍だったけど感染対策を充分にしながら70人程の職場の同僚・上司や友人を招いての大披露宴だった。
結婚式当日の彼は体が硬直するくらい緊張していて、歩き方忘れたんか?という位ぎこちない歩き方でチャペルに入場していた。額から汗をたれ流しながら登壇した彼は、扉の向こうから歩いてくる花嫁の姿を見ながら涙を隠せず、不器用そうな笑顔で感情丸裸になりながらも幸せを嚙みしめている模様だった。

今日の彼は冷たく固まっていた。
長いまつげで目を重く閉じて、眠っているようだったけれど、顔色は明らかに血が通っていない色をしていた。
白い棺に納まっている姿はあまりにも若く、横浜FマリノスのTシャツを着て、選手たちのサインが入ったTシャツも胸あたりに持っていた。さほど歳の変わらない同世代のサッカー好きの男の子っていう感じで、初めて悲しみの実感が湧いた。

それから生後四ヵ月の赤ちゃんを抱いた従姉と、そのお母さん(父の姉)と合流し、号泣しながら抱擁してくれた義理のお姉さんの言葉で、我慢の限界で私も一緒に涙した。

まだちゃんと話したことすらなかった。
結婚式の彼は、優しさが体から滲んでるような温かい笑顔でお嫁さんを包み込んでいた。
愛娘をこの世において去るなんて心残りでしかないだろう。白い霊安室に白い棺。簡素で狭い空間には彼がとても近くにいる気がしてならなくて、私はまじまじと顔を見れなかった。
もっと仲良くなりたかったな。色んな話をしたかった。
彼が気を遣いすぎないように大事なことは心で伝えてその場を去った。

葬儀は明日だが、母と妹と私は仕事の関係で参列できないので今日のみのお別れとなった。父は式場の責任者として動くらしく、今日もぱたぱたと忙しそうにしていた。

義理のお姉さんを車に乗せ、新築の家におじゃますると亡くなった旦那さんのお父様がリビングに座ってテレビを見ていた。その目は真っ赤に腫れていて、ギリギリ挨拶できるけど言葉が出てこないという状態。
今朝の納棺式で声を枯らして泣いたそうで、その疲れと絶望で意気阻喪して体が何まわりも小さくなっていた。
帰り際、うちの母が持ってきた総菜(スーパーで買ってきた大量の唐揚げ)を渡すと、泳いだ目で今精一杯のお礼を伝えてくれた。母は、「ご飯だけは食べてくださいね」と伝えていた。

リビングに飾られたウェディングの二人の写真。結婚式のアルバム。
真新しい家とベビーベット。頑張って二人で買ったであろう大きなテレビ。目に映る色んな物から愛が伝わって、余計悲しくなってまた泣いた。

家族が亡くなるということ。育てた子供が亡くなる。愛した伴侶が亡くなる。
それがどういうことなのかを今日はまざまざと目に焼き付けた一日となった。
私が死んだら悲しむ人がどの位いるのか、考えれば簡単に想像がつくことだった。残酷だけど、こういった出来事がなければ命の尊さには気づけないものだ。
人の命は儚いからこそ人に優しく。一日を大事に。これは使い古した言葉だろうけどこの気持ちを忘れてはいけない。忘れたくない。
いつも一緒にいれないけど私たち家族の心はひとつです。赤ちゃんと、従姉のこと見守っててね。君のこと。君がこの世にいたことは私たち家族がずっと忘れない。

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