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お産物語② 産みたい人と産む

お産にまつわる記憶か創作か…物語を綴るシリーズ。

子育ての始まりで親人生の入り口となるお産で、すべての人に納得いくスタートが切れるように…

願いを込めて、振り返りと想いを言葉に託す。

お産でまず考えたいこと

妊娠した、と気づいた人が次に取る行動は何だろう。

大切なパートナーにどう報告しようかとか、やったー!と至福を満喫することかもしれない。

でも、産み場所が刻々と減る中で、どこで産もうか、とまず考える人も少なくない。

今や人気の産院は3〜5週目までに予約しないと、産むチャンスすらあるとかないとか…。

(人気アイドルのライブチケット並みの倍率?!)

でも私が3回のお産を経験して感じたことは、どこで産むか以上に大切なのが「誰と産むか」が大切だということ。

「誰と産む?!出産は1人でするものじゃなくて?」

そう考えたあなた、チッチッチ。まだまだ本当のお産を知りませんな。お産は絶対に1人でしてはいけない。

たまに誰にも相談できなくてトイレで生み落としてしまって、というニュースがあるけれど、あれは危険だからやめよう。

いのちのリスクを伴うお産には必ず専門の医療介助者が必要になる。まず思い浮かぶのは産科医師かもしれない。でももっとおすすめしたい人がいる。

助産師だ。日本ではかつて産婆と呼ばれていた。助産…産む女性が主体で、そこに寄り添い、サポートする日本の産婆技術はなんと素晴らしいことか。

オランダや英国、ニュージーランドなど、助産師が活躍している国は女性の出産も主体的な傾向が高い。

豊かなお産の環境は、産む女性本人と、サポーターとの二人三脚、場合によっては三人四脚以上で臨むものなんだ。

1人目は落ち着いて家族と

私が長男を産んだのは火曜日の夜だった。

前駆陣痛は数日前からきていたけど、本番はスーパーの買い物帰りに陣痛が始まった。ある程度の予習をしていたので、おっ、きたきた!とワクワク。

陣痛の合間に歩いて帰宅し、その後も慌てることなく、洗濯物をたたみつつ、時計で陣痛の感覚が狭まるのを測りながら、その時を待った。

我ながら初参にしては、よく落ち着いていたと思う。本をたくさん読んで、産前教室のバースコーディネーターや助産師さんにもお産の流れを教えていただいた賜物だ。

母は仕事だったけれど、夫は仕事を終えて帰宅し、父も別室で待機していた。翌朝、夫は出勤したけれど、母がお世話をしてくれた。

つまり、産む前後に家族がそろって、支えてくれる体制ができていた。

初めてのお産でも、家族がみんないてくれることで、安心して産後も過ごすことができた。

痛くなって本格的に動けなくなってからわずか1時間余り、夫曰く、長男はロケットのように出てきたそうだ。私自身も予想以上のスピード出産だった。

2人目 夫不在でアドレナリンドバーッ

次男の時は本当に思い通りというか、こうも想いが実現するものかと驚いた。

次男の予定日の前日、なんと夫の職場のボスの奥様が亡くなった。

お通夜を手伝ったまではいいけれど、夫は電話でこうのたまった。「ボスの家族が心配だから、泊まり込んで帰るわ」

え?!翌日は予定日だよ?もうお産がきそうだよ?

自分の家族を放っておいて、他人の家族をケアするなんて、どれだけお人好しなんだ、と憤慨した。

(当時の私は究極の自己中かまってちゃんだった…我ながら反省しきり💦)

もう絶対に夫が帰る前に産んでやると心に決めていた。

果たして当日は…。

陣痛の間隔が順調に狭まるも、その一歩先へなかなかいかない。

一方で私がウンウン言っている部屋の外では、当時3歳だった長男が「おかあさん、おかあさん」と呼んでいる。私の父が面倒を見てくれていたけれど、ドアを挟んではいるものの、結構うるさくて気になる。

「部屋に入れてもいいですよ?」と私は助産師さんに伝えた。これだけ陣痛が進まないんだから、ちょっとくらい大丈夫だと思った。

「えぇ、入れるの…?」苦笑いの助産師さん。

長男が入るや否や、なんと彼の泣き声に私の神経が過敏に反応し、陣痛の間隔がいっきに早まった❗️

アドレナリンをドバーッと放出し、ここで産まなきゃいつ産む⁉️と戦闘モードに切り替わったらしい。

おかげで、タクシーで駆けつけた夫が間に合わず…。

いや、私が決めた通りになったな、となぜか1人で納得。

安心が安産やスムーズなお産の秘訣だけど、戦闘モードでも逆にお産が早まることを実体験した。

3人目は家族だけで

三男は家族に見守られて誕生した。

同じ助産師さんで3回目のお産、長男からしかも9年のお付き合い。

実母は前年に亡くなり、まるで代わりの母のように勝手に感じ、特に何があったわけでもないのだけれど、存在が身近すぎて、勝手に見えないプレッシャーを少し感じていたのかもしれない。

夜に陣痛がくるもなかなか進まず。せっかく自宅へお呼びしたものの、陣痛の感覚は狭まらず、家を出て近くのコンビニで待っていただいたけど、陣痛は遠のいてしまったので、一旦お帰りいただいた。

翌日は長男の部活の練習試合がちょうどあり、体育館の階段をひたすら上り下り。陣痛来い来い、と思いながら、たまに応援しながら、何度も階段を往復。

途中、保育園が同じで別々の小学校へ進学した、長男の同級生のお母さん、お父さんたちと偶然、お会いして「お産近いんだ?頑張って!」と励まされたり。

体育館の中とはいえ、結構歩いて疲れたので、いったん帰宅。すぐにうとうとして、昼寝した。

それから数時間後。助産師さんに「まだ(本格的な陣痛は)来そうにありません」と電話で説明していたら、体育館に残って応援していた家族が帰ってきた。

ほっと安堵したからだろう。陣痛が戻ってきた。その間に、夫がお風呂掃除や夕飯の準備をしてくれていたけど、陣痛がどんどん進んでいく。

私「あれ、もう動けない…生まれそう」

夫「えっ、鍋の準備しているから、手がネギ臭いんだけど」

私「そんなこと言ってる場合じゃない。赤ちゃんが出てきちゃう! 助産師さんに電話して」

助産師さん「えっ、そりゃ間に合わないねぇ。お父さん、取り上げて」

そうこうするうちにお産はどんどん進み、あっという間に次男誕生。夫が取り上げてくれて、長男と次男は2階の吹き抜けから下にいる私たちを見下ろしていた。

助産師と、そして家族と産むお産

結果的に家族だけで迎えた3回目のお産だったけれど、助産師さんはバイクで15分の距離に住んでいたし、大きな定期検査は連携している近隣の病院で受けていた。

「いろいろ言われる、介入されるのが嫌だから夫婦だけで」(自力出産と称している危険な人たちも)という人がたまーにいるそうだけど、絶対にNG。

お産は何があるかわからない。いのちの危険は専門の産科医療従事者が判断し、自宅出産を希望していても、いざという時には連携する病院へ搬送できる体制も整えておく必要がある。

それでも、安産の最大の秘訣は、主体的なお産に向けて、事前にどれだけ心身を整えられるかの準備と、当日のリラックスだと考えている。

だから、本当に安心できる介助者と産めるか、「誰と産むか」はすごく大事になる。3回目の私の勝手で無用なプレッシャー体験も含めて(^^;;

最近は「オープンシステム」といって、病院で産む場合も、妊娠初期からサポートしている助産師さんと一緒に入院できる制度がある病院も少しずつ増えている。

なぜなら、女性が安心してお産に臨めることが女性と赤ちゃんの安全=お産のリスク低減につながるからだ。

これからお産を考えている人はぜひ「誰と産むか」をまず考えてほしい。場所よりも一緒にいる人が誰か。たとえば家族は立ち会いするのかも。

パートナーや母がいるとプレッシャーという女性は、家族の立ち会いはなくてもいいかもしれない。でも一緒に準備できれば、痛みを逃す手伝いをしてくれ、産む女性が苦しいときにも支えてくれる存在になる。

家族でお産を乗り越えた体験はかけがえのない糧になる。その後の育児や家族生活を充実させるきっかけとなり得る。

さあ、あなたは誰と産みたい? またはあなたの子どもたちが誰と産めると良い? そういう環境を残していきたい、とまず産む人とその家族が願わないと、その環境はなくなってしまうかもしれない。

その詳しい話はまた別途。今日はここまで。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。また気が向いたら続きを書きます。

安心して産み育てやすい社会を作るため、また社会全体で子育てを支援する仕組みを作るため、サポートいただけると嬉しいです。いただいたサポートは、あいのちの活動で使わせていただきます。どうぞよろしくお願いいたします。