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亀が勝ったのはウサギじゃない話――子どもとの会話から

「カメはウサギに勝ったんだよね」――そうわが子に話しかけられて「そうだよ! なんでか知ってる?」と話していたら気づいたこと。そうかー、そうだよねぇ、と納得したこと。自分の中にこんがらがっているモヤモヤを少しずつ紐解きたくて、やっぱり文字に起こしてみることにした。

子との会話から導いた新解釈*ウサギとカメ

ウサギとカメ。あまりに有名な話。ウィキったら(失礼、ウィキペディアによれば)日本に入ってきたのはなんと室町時代!? そんなに昔から知られている話なのかぁ。明治時代の国語の教科書に掲載されたタイトルは「油断大敵」。まさにまさに、私もそういう話だと思っていた。

6歳のわが子に「どんな話か知ってる?」と聞いてみたら「知らない、忘れちゃった」。そうか、そんなもんか。それで、話しているうちに、私自身が知っているのとは別の解を見つけた。

私「ウサギとカメが競争したら、どっちが速そう?」

子「ウサギ」

私「だよね。だからウサギは、ゴールの近くで昼寝したんだよ。もう勝てると思って。だけど、カメは休まず走ったんだよね。せっせとゴールに向かって」

これが一般的な解釈だと思う。話し続けながら、さらに解釈を深めてみた。

私「ウサギはカメをバカにしてたんだよ。自分より遅いからって。それで昼寝したんだよね。でも、カメはウサギのことなんか、全然気にしていなかったんだよ。せっせと走って、ゴールだけを見ていたんだよね」

おや、そんなこと、私が読んだ話に書いてあったっけ。でも、まいっか。自分で話しながら、何だか楽しくなってきて、さらに言葉を続けてみる。

私「ウサギの勝負の相手はカメだったんだよね。自分より足の遅いカメ。でも、カメは自分だけに集中してたんだね。自分との闘い。ゴールだけまっすぐ見て。そうだ、カメはウサギのことなんて見ていなかったんだよ、きっと。カメは自分を信じて、一生懸命、ただ走ることだけを考えていたんだ」

持て余し気味な自己を置いて他者を見つめたら、また循環していく

「だから」と私は言葉をつづけた。「他人がどうこうなんて、関係ないね。結局は自分だね。自分を信じて、まっすぐにゴールを見て、頑張れるかどうかだね。お母さんも頑張ってみるよ、自分のことを信じて、集中して」

子に語りながら、自己対話していた。子に説明しているつもりで、話しかけている相手は私自身だった。ありがとう、愛するわが子よ。今日も新しい気づきをくれて。いつもこうして母は、君たちのおかげで気づきを得ていくんだなぁ。

モヤモヤしているときは、人との会話や関係性に集中してみるのもアリだな。持て余し気味の自分自身をとりあえず脇に置いておいて。そうして人との時間を紡ぐ中で、自分自身を見つけられることもあるんだな。

自分も大切。他者も大切。だからこそ、また自分に戻り、他人へ返っていく。あぁ、こういう瞬間に「生きているって楽しい」と私は感じているんだとあらためて深呼吸するように気付けた朝。こうした学びをまた地域へ、他者へ、そして自分自身へ、還元していけるように、今日からまた動いていきたい。明るく健やかな自分自身を見出すだけじゃなくて、同じくらい、毒や闇も適度に吐き出しながら――www

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