見出し画像

本物のオブラートは使ったことはない

好きなことで卒論書きましょ!年内にたたきを出して、年末には修正点を出すんで、新年に修正できていれば合格とします。それで、最後の3ヶ月は遊びましょう!」

ぼくのゼミの先生は、卒論のことがあるたびにこう言ってた。4年前は、とりあえず出せば3ヶ月遊べるんだ、ということしか頭になかった。

それに、周りを見てても、テーマを決めるのに苦労してて、ゴーサインをもらった後でも、まだ全然書けてない、と必死そうだった。もちろん、ぼくもそうだったが、絶望のような感情はなかった。

このとき、先生が最初に言ってたことが全てだったと気づくのは、実は割と最近だ。

好きなことやろうよ、っていうのは、嫌だなって思うことを嫌でなくする言葉だった。

卒論はプロ野球のことで書く、ということは前から決めたことだったから、とにかくテーマさえ決めてしまえば、というところだった。

最終的に「外国人選手獲得とそのパフォーマンス分析」で書くことになったが、やりたかった話題で卒論を書けるわけだから、データを探してスプレッドシートにぶち込んでグラフ作って、という作業が楽しくてしょうがなかった。たとえ大学の図書館で作業して疲れても、地下鉄で少し寝て、金山駅のドトールとスタバをはしごしてでも、卒論の作業は苦じゃなかった。目は疲れたのに、頭が起きちゃって寝れなかった日もあったけど。

そして「卒論のフィードバック」という名の先生からのクリスマスプレゼントには、驚くべき言葉が書いてあった。

「文章は読みやすかったです。」

全く読みやすさなんて意識していなかった。とにかく、言葉の定義を明確に示すこと、冗長にならないことは意識していた。内容面に課題はあったとはいえ、それ以上の言葉で返ってくるとは、全く考えてもいなかった。

それでフィードバックにあったことも、年内に終わらせてやろう、とすぐに取りかかれた。提出も難なく済んだ。無事、卒業もできた。

好きなことやろうよ、という言葉は、大学生が卒業のために避けては通れない壁をストレスフリーにしてくれた。だからあの時、周りが「やばいよー」と、某大御所リアクション芸人のようなことを言ってても、絶望感を微塵も感じなかったのだろう。

あれから4年が経った。それ単体だけやるなら嫌だな、と思うことも、好きなことで必要だ、と思えると、気づいたら終わってることに気づく。それはまるで、好きなことがオブラートとなって、嫌なことを包み込むかのように。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?