見出し画像

人生の空白

久しぶりのnoteです。
体調を1年ぶりに大きく崩してしまい非常に辛い2週間を過ごしたのですが、ようやく落ち着きました。ふと布団の上で、思ったことをツラツラとまとめてみよう。そういったnoteです。

私は28歳になり、子供もでき家族がいる。
もう5年ほどは会社では仕事をしていない。フランスでの子育てではやはり住んでいるところもありなかなか外に出て行くこともなくほとんどが家で過ごしていたように感じます。

子供も上の子は5歳、下の子は3歳と大きくなりようやく少しずつ私の手から離れていきます。すると私の中に残ったものは空白でした。

中学校時代では絵に没頭して胸をときめかせ、
十代後半を夢のために命を燃やすほどに熱中して音楽をやったり、苦しかったりとんでもないほど嬉しかったり様々な感情の中で充実して生きていた。
音楽がうまくいかなくなったあと、新しく出会ったデザイン、写真の世界に心を奪われ、実際にカメラマンのアシスタント業を都内のスタジオでやったり時間が少しでもあれば、何か自分の為にと創作の時間に費やした。遊びに行く時間よりも何かを生み出し作り出す時間の方が大事だった。ずっと集中して時間が過ぎるのもよくあった。

フランスに来て慣れない土地で子育てをしながらもとにかくデザインの仕事をしよう。絶対にするんだと寝る時間を惜しんで一人勉強をし、一人フリーランスとして戦いの場に出て行ったのが2年前。少しづつ少しづつお仕事をもらって順調に波に乗って来たのに、去年発病した鬱病。

それでも、ちゃんと薬を飲みつつ仕事に向き合って行った1年でした。鬱病ですよと言うと嘘でしょ?と驚かれましたが、薬を飲んでいると問題なく健康な精神状態にまで戻っているので無理に詰め込みすぎないなど調節してうまく自分の脳みそとやりくりしてました。

今年の9月にある大きな引越しを前に(初めてフランスのブルターニュを出ます)ふっと心を俯瞰してみると、大きな空白を見つけました。

いったい私は何をしているんだろう。
いったい私は何をして生きて行くんだろう。
私は何かを成し遂げることができるのか?

私は絶対に鬱にならないと言う自信がなぜかあったので、なぜ私はこんなひどい苦しい病にならなければならないんだろうという感情と同時に、もう絶対ありえないと言うことはこの世のどこにもにないんだとも気がつきました。

きっとこの空白のようなものは、ずっとずっと走り続けてきた疲れかもしれないし、休憩時間なのかもしれません。時間をただ寝るだけ、何も作り出さないで過ごすことには慣れておらず、また日本との繋がりであるツイッターを見ればタイムラインでは今日の仕事は大変だったがやりがいがあった、新しい作品はこちらです・・!などなどまたここで自分と他人を比べて自分は無価値だなんて思ってしまったり。タイムイズマネー本当によく聞く言葉です。でもそれって本当なのかしら・・・と。

簡単に繋がれるからこそ自分を見失ってしまうようです。なので今は静かに静かに心の動きを見ています。この静かな湖面に何が今度は浮かびが上がってくるのだろう。クリエイティブをしていない時間は正義ではない。そんな感覚を得るSNSですが、私はまずこの空白を受け入れてみたいと思います。

時間はお金ではない。お金と同じ価値ではない。休憩していると走って行く人の姿が目に焼きつき焦りを感じる。でも、時間の流れはその人だけのもの。休憩も、ぼーっとする時間も、静かに自分の心と向き合う時間も大事なのかもしれません。焦りからまた無理やり走り続けるその先には何かあるの?と、そう自分に問われた気がしました。命は限りあるし明日死ぬかも知れない。でも心は消えないのではないかなと思っているので、そんな心に向き合って行こうなあと思った今日でした。

少し疲れた誰かの心の空白に届くかもしれないと思って綴ってみました。最後まで読んでいただきありがとうございました!

そしてこちらは近所の森のスカラベくん。

それでは、また。

いつもお読みいただきありがとうございます。