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74. スパイスは湯で煮るべきか、油で炒めるべきか? 問題

新刊エッセイ「わたしだけのおいしいカレーを作るために」が来週発売されるが、先立って、撮影で表紙になった「わたしだけのおいしいカレー」を調理する機会があった。エッセイの中にも自戒の念を込めて書いたのだけれど、僕は常に過去の自分を更新(否定?)したくなる。たったひとつしか披露していないベストオブベストともいうべきチキンカレーのレシピを、レシピ通りに作らずにちょっとだけアレンジしてしまったのだ。

アレンジしたのはスパイスに関する部分だ。新刊で書いたレシピ上は、ホールスパイスもパウダースパイスも油で炒めるプロセスがある。ところが、今回の撮影では、ホールスパイスは、スープを取っている鍋の中に鶏がらと一緒に加えてグツグツし、最終的にざるで漉した香りスープを使うことにした。要するに仕上がりのカレーにはホールスパイスという障害物が入らず食べやすい、ということになる。

カルダモンを噛んでしまったとか、シナモンが邪魔になるとか、煮込まれた葉っぱをよけるのが面倒だとか、その手の声が多いため、カレー店のシェフたちは、ホールスパイスをカレーの中に残さないための工夫に悩んでいる。スープとともに煮込んでスパイスの香りがカレーにつくのであれば、ひとつの解決策にはなるだろう。最初から最後まで鍋中にいるわけではないから、ホールスパイスは分量よりも多めに加えてスープに十分な香りを移すよう設計した。

スパイスのエッセンシャルオイルは、加熱(温度上昇)によって揮発する。だから、油で炒めようと湯で煮ようと香りは立ち上る。ところが、スパイスには油溶性と水溶性がある。香りの成分が水に溶けだすのか油に溶けだすのか。以前調べたことがあるが、カレーに使うスパイスのほとんどは、その香り成分が油に溶けだす性質があった。ということは、炒めても煮ても香りは出るが、炒めて生まれた香りは定着するけれど、煮て生まれた香りは蒸気となって飛散してしまうのかもしれない。

目の前にはふたつの鍋がある。左の鍋は、鶏がらと湯にホールスパイスが浮かんだ状態でグツグツと音を立てている。右の鍋は、にんにく、しょうが、鶏肉が油と一緒に炒められ、パウダースパイスが絡まっている。スパイスの使い方という点でいえば、左が不正解で右が正解ということになる。すなわち新刊で披露したレシピは正解で、今回の撮影のためにアレンジした僕の判断が不正解だったということになる。どちらからもいい香りが生まれているというのに。

そんなことを考えながら左と右の鍋の中身を混ぜ合わせ、カレーを完成させてから調理場を抜け出し、外の空気を吸いに表に出た。すると、シナモンとスターアニス、グリーンカルダモンの香りが、鶏がらスープの香りと共にそこはかとなく漂っているではないか! 僕は急いで調理場に駆け戻り、もう一度できがったカレーを味見した。レッドチリ、クミン、コリアンダー、フェンネルなどのパウダースパイスがビシッと香る頼もしいカレーがそこにあった。

地下にある調理場からダクトを通じて1階の路地に届いた香りはパウダースパイスではなく、ホールスパイスの香りなのだ。でも食べたときに強く感じる香りは、ホールスパイスたちではなく、パウダースパイスたちなのだ。すなわち、地下1階の調理場で味わった香りと1階の外で感じた香りとの違いは、スパイスのエッセンシャルオイルが定着したか飛散したかの違いによるものなんじゃないかと思った。

やはりスパイスは、油で炒めるべきであって、湯で煮込むべきではないのだろう。いつかこの違いを体感できる料理教室やイベントをやれたら面白いかもしれない。油チームが室内でカレーを味見し、湯チームが外に出てダクトのしたでクンクンにおいを嗅ぐ。5分経って僕がピーッと笛を吹いたら交代。今度は油チームが外に出て湯チームが部屋の中に入る。おお、やっぱり香りが違うんだねぇ! でしょう? 危ない集団だな……。

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