見出し画像

【歴史散策レポ】羽生城址(埼玉県羽生市)

※上部アイキャッチ画像は城址にある「古城天満宮神殿」。

みなさんこんにちは!戦国ヒストリー編集部、中の人 はっちぃです。

今回も以前twitterでつぶやいた歴史散策シリーズの第二弾です。

江戸時代末期頃より生産されている藍染物の伝統工芸品「青縞(あおじま)」で知られる衣料の町、埼玉県羽生市にある羽生城跡(2022年7月に訪問)に行ってきましたので簡単にレポートいたします!

羽生城址碑

羽生城は、戦国時代、長尾景虎(のちの上杉謙信)による関東出兵以降、上杉方の関東攻略の拠点となっていましたが、後北条氏の度重なる攻撃を受けて落城。最終的に江戸時代初期に廃城となっています。

普通の住宅街の中にある羽生城址は神社の一角に残されていました。脇には小さな公園が併設されています。

案内板に記されている羽生城の歴史

案内板だと、築城時期は1540年代、築城者は広田直繁と木戸忠朝と書かれていますね。この二人は兄弟であり、一族は祖父の代から山内上杉氏の配下だったとか…。

ちなみに上杉謙信は元々は長尾氏です。のちに山内上杉氏の家督を継ぎます。

江戸後期に編纂された『新編武蔵風土記稿』によると、築城は1556年で木戸忠朝のみが築城主として記されています。ただ、これを裏付ける史料がないので真実かどうかはハッキリしないようです。

山内上杉氏 → 北条氏 → 山内上杉氏(謙信)→ 北条氏 → 大久保氏

上記のように羽生城は領主が移り変わってます。主に上杉と北条の奪い合いだったみたいですね。最終的には秀吉の天下統一、家康の関東移封によって家康家臣の大久保氏が領主になったようです。

案内板にある羽生古城の図

羽生城は平城でその周りは沼地に囲まれていたとされています。残念ながら城跡は住宅地や工場敷地になっており、現在遺構は確認できないようです。沼地も昭和時代までに埋め立てられてしまったみたいです。


羽生古城天満宮の解説板。

城跡にある古城天満宮は879年に藤原秀郷が創建したそうです。平将門討伐の功績により、武蔵国と下野国の押領使に任ぜられた秀郷は役所を下野において自ら居住し、羽生にも役所をおいて子の千晴に任せ、それぞれ管公廟(菅原道真をまつる神社)を建てたとか。

戦国時代、羽生城主の木戸忠朝も、菅公を敬って羽生の管公廟を「古城天満宮」と改称。羽生城の守護神としています。

城橋の碑


羽生城跡は映画「のぼうの城」の舞台となった行田の忍城 から車で15分程の場所にあります。

関東の方は比較的アクセスしやすいかと思われますので、一度足を運んでいただいて、戦国時代に思いをはせてみてはいかがでしょうか?