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【歴史散策レポ】樺澤城址(新潟県南魚沼市)

▼※本記事は以前、戦国ヒストリーSNSにもツイートした"歴史散策"シリーズを元にしています。

みなさんこんにちは!戦国ヒストリー編集部 中の人、はっちぃです。
今回は歴史散策(2022年7月22日訪問)第四弾、樺澤城跡をご紹介します。

 樺澤城跡は、前回第三弾でご紹介した坂戸城と同じ南魚沼市にあります。
 坂戸城が南魚沼市役所や六日町駅から比較的近い”町中”といったイメージの場所に位置しているのに比べ、樺澤城跡は上越国際スキー場の近くに位置し、まさしく山城といった感じです。

 駐車場から城跡入口へ向かう道沿いには綺麗な小川が流れていてとても清々しい情景です。

駐車場から城跡入口へ向かう道沿いの小川と城跡東登口碑と看板

 また、樺澤城跡の脇を上越線が走っています。南魚沼一帯を一望できるほど大変見通しが良いので、鉄道好きな方の撮影スポットにもお勧めです。

樺澤城跡 本丸への登山道入口付近は道路に面していて開けています。
城跡の真横を電車が通過していく様子をみることが出来ます。
樺澤城跡 本丸への登山道入口から少し上った高台からの風景
南魚沼の青々とした田んぼの風景が一望できます。

 さて、それでは樺澤城についてざっとご紹介。
 築城の時期は不明ながらも南北朝時代、新田義貞の家臣 田中右衛門尉が居城として利用し、当時は”鞠子城”と呼ばれていました。
 戦国時代に入り上杉の時代になると”樺澤城”と呼ばれるようになります。
当初は上杉謙信の重臣 長尾政景の居城として整備され、謙信の越後平定以後は春日山城(長尾政景が留守居役等を歴任)の番城となり上杉関東遠征軍の宿城となりました。

 のちに養父 上杉謙信が死去すると、景勝と景虎との後継者争い ”御館の乱”が起こります。樺澤城は景虎を援けるために国境を越えて侵攻してきた北条軍により落城。北条軍侵攻の最前基地で上田口攻防の拠点となりました。

樺澤城跡入口のすぐ脇に、古戦場として追悼碑が建てられています。
立派なのでこれが城址碑なのかと思ったら違いました・・・笑。

 その後 御館の乱で勝利した景勝が樺澤城を奪取。上杉方の城として機能しましたが、慶長長3年に景勝が会津黒川城(福島県会津若松市)に移封すると樺澤城は廃城になったとされています。

 樺澤城跡は上記の通り 標高304m 比高80m程度の山城のため、本丸跡等は山頂にあり、登山道では土塁や八重の畝状堅堀等を見ることが出来ます。
 また城郭は帯曲輪が二重に取り囲み、中腹以下を三重四重に空堀と土塁が鉢巻き状に取り巻く堅固な築城(囲繞堀)で、新潟県下では他に例がないそう。

本丸への登山道入口からすこし上がったところに設置されている案内図

 ちなみに樺澤城、登山口から山頂までは約30分程で登頂できるとか。
坂戸城よりも気軽に登れそうですね!
(坂戸城に続きこちらもスケジュールの関係で本丸跡まで行かれず・・・泣)

 それから、越後湯沢駅から城跡へ向かう線路脇には下屋敷跡、城跡と道を挟んで向かい側には城之腰跡や ”上杉景勝公生誕の地”とされる 瀧澤寺 もあります。

左 城之腰跡の碑(石碑右側に瀧澤寺)/ 右 下屋敷跡の碑
臨済宗円覚寺派 福聚山 龍澤寺
龍澤寺本堂
”上杉景勝公生誕之地碑”
~景勝公誕生時の胞衣が樺澤城八合目付近に”胞衣塚”(安産の宮)として祀られています~

 第三弾、第四弾と新潟県南魚沼市からご紹介しましたが、南魚沼にはまだまだ紹介できていない貴重な城址(六万騎城跡・上山城跡・大城跡・湯谷城跡・荒戸城 などなど)が沢山残されています。
南魚沼観光の際は、是非 お城めぐりもしてみてくだいね!

(おまけ)
南魚沼は
 景色よし、お湯よし、食べるもよし、遊ぶもよし!!

 坂戸城跡、樺沢城跡取材時の車中泊で使わせていただいた越後湯沢駅近く
”江神温泉浴場” https://egamionsen.com/ は、ちょっと温泉だけでも浸かりたいな~という方にオスススメ。浴場がとても綺麗な上にお値段お手ごろ、お湯も最高☆です。