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「浮く」ために手放すもの

今日はよかよか学院のオンライン校にちらっと参加してきました。
ばなな先生が4時間しゃべっているというので、最後だけ。

そこで、出てきた「浮く」ということ。

浮くって、水泳をずっとやっていた私にとって身近な言葉。
選手で上手に泳げるようになっても、「浮けー!沈んでるー!!」ってしょっちゅう言われてた。

調子いいときって、水面を走るように泳ぐことができる。
でも、反対に、いくら腕と足を動かしても、重たくて水中をもがくような日もある。


私には、浮きたいなら沈んでみようっていう自論があって。
ちょっと泳げるけど浮けなくて苦しそうな子とは沈んで遊んだりしてた。

泳げても、水底に寝そべることができない人はいる。

空気をできるだけ吐かないと水底にはいけないんです。
吐ききるって、最初は怖い。
水に潜るときって、思いっきり空気を吸い込む人が多いから、そういう人はまず沈めない。
息を吐ききっても、しばらくは生きてられるんです。
それに気づいて力を抜けると、ふわーっと沈んでいく。

水底から水面を見ると、とってもきれいなんですよー
なんかね、まーるく景色が見えたりして。

話はそれましたがw

沈んでみると、力の入っていたところとか、空気の入っていたところがわかるというか。
そして、出し切ったと思っても残ってる空気にも気づく。
沈んでもなお、空気を感じる。
そうなると、力がどんどん抜けるのがわかる。


ばなな先生の話を聞いていて、そんなことを思い出しました。

ばなな先生の話では、「浮く」ためにそれまで重しとなっていたものを手放すということが必要だっていう話。

私の頭に浮かんだのは「できる私でいること」。

先に言ってくれた答えは「理事長でいること」でした。

理事長でいるって、できる私でいることだったのかなー
手放しは大きくて、どこへ行くのーとはなってますが。
とにかくあっちこっちやってみること。

自分で決めていこう。
まだまだ手放すものはありそうだ(´▽`)
私がにぎっているものに目をむける。
年末だし!ひとつひとつ終わらせていこうっと。


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