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正しいとは?多様性とは? 本紹介①

 こんばんは。あいしんかくらです。

 今週は我ながら本を読んだ一週間でした。インプットしただけで何もしないと体内に食べかすがたまっていく一方だと思ったので、気になったことを消化して体外へ排出しようと思います。

 「正欲」 朝井リョウ
 
今まで朝井さんの作品はエッセイしか読んだことがなく、痔に苦しんでいる人というイメージが個人的にあった朝井さん。(「風と共にゆとりぬ」より。)
 そんな痔のイメージはどこかへ吹っ飛ぶほど、心に迫りくる作品でした。その中で心に引っかかった点を紹介します。
 作中で主人公の1人である検事の啓喜が、「正しいルート」という言葉を何回か使用します。啓喜の息子は不登校で、学校に行こうというそぶりは全く見えません。仕事柄罪に手を染めてしまった人と対峙する啓喜は、社会的に「正しいルート」で生きることを自ら放棄しようとする息子を理解することができません。
 そもそも「正しいルート」ってなんでしょうね。作中のニュアンスとしては、学校に通って他人とかかわり、将来的には安定した職に就く…という感じですかね。
 近頃そんな「正しいルート」の存在に感づいていた私は、この表現が存在を確信させるものになりました。「正しいルート」は、人生の苦難から自らを守る一番の近道なのでしょう。効率化され無駄のない公式のようなもの。ただ、その公式に当てはめる人生が良いとも思えません。現状から少しでも前に進めることを手あたり次第やっていくしかないのかもしれません。自分の肝に銘じておきます。

 そしてこの作品は「多様性」が大きなテーマとなっています。近年はマイノリティな特性を持つ人たちへの理解が進んできていますよね。ただ、作中では私たちの想像も及ばないようなものを持っている人の存在に気付かされます。想像が及ばないことを認識したり、理解することは至難の業です。さらに、一つ理解したとしても、すべてのものを理解することは到底不可能です。
 では、気付けないマイノリティとどう向き合ったらいいのか。話の中では、2つの方法が出てきます。
 1つは放っておくこと。どうせ理解されないのなら放っておいてくれ。他者に迷惑はかけないから。これが、今作に出てくる当事者の言い分です。
 もう1つは対話すること。人間は当然過去に出会ったことがないものは、すぐに受け入れることはできません。ならば理解できるようになるまで話し合う。これも自然なことです。ただ、話し合いをするためには、当事者たちが自らのコアな部分をさらけ出す必要があります。誰しも他者に話したくないことはあります。それを無理をして引き出し、つらい思いをするのは本末転倒になる気がします。
 多様性がここまで叫ばれるようになったのは、皆が窮屈な思いをせず快適に過ごしたい、という思い故でしょう。ただし、人によって何が窮屈に感じるかは異なります。1人1人が考えること、感じることは違い、それがそのままの存在であり続けられる。これが真の多様性だと私は思います。

 何冊か紹介しようと思ったのですが、一冊の本のみでとても長くなってしまいました。気が向いたら、続きを書きます。

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