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#40 「あらた」は「あたら」?

”可惜”を読める人は、どれくらいいるのでしょうか?国語を専門に学んでいる人は”常識”の一つなのだろうと思います。この文字を見ると高校生の頃、国語担当の先生が一生懸命説明していたのを思い出します。「皆さん、言葉は生きています。意味も次第に変わっていくんですよ。」と、黒縁眼鏡で能が大好きで、時々教壇で謡い(うたい)を唸っていたあの先生が熱く語ってました。先生が言うには、平安時代の初めまでは、「あらたし」”新し” は(初めて、今までと違う)と言う意味だったそうです。しかし、「あたらし」”可惜し” が間違えて使われだしたそうです。本来は、あたら”可惜”は(”惜しくも” おしくも、残念な)と言う意味だそうです。

 日常生活で「可惜しい」と言う文字を見ることがないのは、「新(あらた)しい」を「あたらしい」と間違えてしまい、本来の”あたら”の意味(残念)が消えてしまったからで、本当に”残念”です。

 平安時代に誤用によって定着した”新しい”あたらしい は、今は正しい使い方です。黒縁眼鏡のあの先生が熱く語っていた1200年ほど前からの誤用は、もうみんなの常識になって当たり前ですね。

 授業で説明していると、「イイカゲンにしておいてください。」と言うと時々学生さんが、「先生、手を抜くんですか?」と尋ねることがあります。「いえいえ、良い加減で、好い下限ではありません。」と答えることがあります。まるで落語の世界です。よく似た例には、「適当に」「貴様」など、前後の文章や会話の場面によっては、意味が真逆になります。「キサマ、テキトーナことするな!」と怒りながら言われているときには、「あなた様のお好きなように、適切に対処してください。」では決してありませんね。コミュニケーションは、相手の顔の表情・声の調子・身振りが言語より重要だと思います。時々、そのあたりをとらえ損(そこ)ねると、ココロの双方向通信が難しくなります。本当にそんな時には、「可惜しい」。  お後がよろしいようで。