見出し画像

#50 京都タワーの設計者 山田守

前回は私の生まれ故郷の岐阜県羽島市出身の有名な建築家坂倉準三さんを取り上げあました.偶然にも,もう一人有名な建築家山田守さんが同じ町で生まれています.東京の聖橋日本武道館を設計しています.(スゴイ!)以前,福岡県門司市に出かけた時,味のあるNTTビルだなーと思っていたら,山田さんの設計(門司郵便局電話課)でした.最初,逓信省営繕課で電信・電話建築に携わったので,その一部とたまたま遠く九州で出会ったのでした.

 山田守さんが生まれた場所は,私が高校時代に通学で利用していた名鉄竹鼻線長間(ながま)駅の近くでした.もうこの駅の区間は廃線になってしまい線路の跡しかありません.この駅の近くには、たぶん羽島市で一番有名な人物の一刀彫の円空の生誕地があります.出生地にはいろいろな説があるようですが,地元では羽島が円空誕生の地としてアピールしています.

 山田さんの一番有名な建築物は,やはり京都タワーだと思います.私も以前は,京都の洛中に無粋(ぶすいな)なロウソクが一本あるなーと思ってました.でも実はあのタワーの設計コンセプト,登るための展望タワーじゃないんですね.下から見上げる人が”灯(ともしび)”に見えるように設計がされています.鉄骨を一切使わず,鋼板の張り合わせだけでつくってあるので開口部がなく、エレベータで上昇するお客さんは,途中の景色は一切見えず展望スペースも狭いです.すべては、”灯”のためです。京都は高いビルがないので,遠く離れていても京都タワーがライトアップされ”灯”はどこからでも見えます.さすがに東寺の五重の塔を目印にと年中ライトアップはできません.(以前noteに書いたように”塔”はお釈迦様の卒塔婆なのですから.)このタワーの建築前には,当時の日本中の文化人やら建築関係者を巻き込んで,大論争したらしいのですが無事出来上がっています.京都駅に行くと,原広司さん設計のビルガラス壁面に京都タワーが写りこみ,二本の”灯”を見ることができ,これはこれでイイナァと思います.パリのエッフェル塔も,竣工当時の評判は最悪だったそうです.時代が経つと人の目も”いい加減”なもので,よさが分かるようになるんですね.

 同じ町から偶然二人が有名な建築家になったと書きましたが,二人目の山田さんは坂倉さんのことを知っていて,「俺もできる!」と思っていたに違いありません.コルビジュエにも会っているようなので,坂倉さんの後を追って自分の道を切り拓いたのだと思います.たとえ先人がいなくても「俺はできる!」と思えるかが,人生を突き進むかどうかの”剣が峰”なんでしょうね.いつもできるという”心の灯”を消さずに”生きましょう”。