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10年間の歩み(自省録)

はじめに

2024年3月31日をもって、北九州市の外郭団体である公益財団法人北九州産業学術推進機構の雇用としての所属は終了したので、これも一区切りと思い、関わり始めた2014年4月から取り組んできたことを振り返りたい。
2024年4月1日からは個人事業に対する委嘱としてマネージャ職を拝命し、週3とはいえ取り組みを進めさせていただくので、あくまでも一区切りに過ぎないけれども。

本noteの目的

本noteの目的は私自身としてこれまでの取り組みを振り返ることにより、これまでと今後を含め自分が取り組む理由などを改めて明らかにすることにある。
いわゆるチラ裏的な内容ではあるが、せっかくなので公開しておこうと思う。誇るなどの意図はなく、むしろ振り返ると実力不足のことばかりで、違う世界線があったのなら、もう少し良い形で寄与できたのではないかと思うと忸怩たるものがある。
ある意味では、それらを示すことにより、これから地域で活動しようと考えている方々に対する参考となれば幸いに思う。
あるいは「糸川って何やってるかよく分からない」と言われることが多いので、その理解の一助となればとも思う…が、これを読んでもやっぱり具体的には理解されないだろうな、とは思いつつ。
自分向けの文章の意味合いから、ですます調ではなくである調で書いているのは容赦いただきたいのと、この記事内では本業として取り組んできたことを主に記載し、並行して取り組んできたことについては割愛する。

公益財団法人九州ヒューマンメディア創造センターとの出会いとe-PORT2.0の立ち上げ

私が北九州市の産業振興に関わるようになったのは、2014年4月から。
直前までは北九州市内のシステム会社に所属していたのだが、とある理由で3か月ほど空白期間が生まれてしまうこともあり、当時、北九州市の外郭団体である公益財団法人九州ヒューマンメディア創造センター(以下、HMCという。)の職員として赴任されていた方に「有期(アルバイト)でも構わないので何か仕事が欲しい」と相談させていただいたことがきっかけだった。
ちょうど当時、HMCでは次の指針となる構想を策定中であり、それこそが私が長らく北九州をフィールドとして活動することになった理由の一つである『北九州e-PORT構想2.0』(以下、e-PORT2.0)だった。

e-PORT2.0の策定(2014-5年)

e-PORT2.0とは、と語ると長くなるので、詳細は下記の資料を参照していただきたい。

https://ktq-dx-platform.my.site.com/DXmain/resource/1648700123000/ePORTConcept

簡単に言うと、産学官民金の連携体を構築し、それぞれ社会課題を解決するような活動や、その活動を支える基盤を構築していく、というもの。後述の北九州市DX推進プラットフォームに発展的統合を遂げるのだが、その時点では約130社・団体の連携体として集積していた。

これは、それまでのe-PORTが構築してきたデータセンターやICT企業などといったインフラ的リソースをもとに、デジタルを活用した具体的なユーティリティ(機能体)を地域内で生み出していくという意味合いを持っていた。

2014年4月入職当時から既に検討が水面下では行われていたが、具体的な検討委員会などは2014年度内に実施され、2015年2月に構想は完成、2015年4月に発表会が行われた。
私の職務としてはこれらの検討委員会の事務局運営と、最終的な構想文の取りまとめ、校正などであった。

この後、e-PORT2.0における活動として、守恒地区における認知症徘徊対策に向けた技術実証が進められた際には現地へ足を運んでの実証サポートなどにも取り組むほか、城野地区で当時予定されていた街びらきにおける受益者負担のデジタルサービスの提案取りまとめなどを実施していた。

この構想の推進にあたっては、それまでの協議会形式を発展的に解消して推進主体となる機構とパートナーという形に二分したのだが、この方針はメリットデメリット両方あったと振り返る。
メリットとしては、方針決定などを迅速に行うことが出来たからこそ、後述する補助制度や対話会などの取り組みを試行的にでも実施できた一方で、デメリットとしては主体的に取り組む組織が限られてしまい、連携すると言いつつも関りしろが不明瞭になってしまったことで、正直なところこれは絶対的な正解があるというよりも、それぞれの時点でどうすべきかを常に分析しながら進めるほかないようにも思われる。

新ビジネス創出支援補助金の立ち上げ(2017年)

こうして立ち上げた構想の推進にあたり、実証のサポートなども取り組んでいたものの、やはり取り組みの促進には資金的支援も必要という議論が内部では行われ、2017年からは「新ビジネス創出支援補助金」の運用を担う事となった。(制度設計は2016年度中に他の方に行っていただき、2017年からの実運用を担当)

この補助においては、IT系ビジネスの創出を支援するもので、当時としては珍しく人件費にも適用可能であり、金額はフェーズ毎に実証支援で最大100万円、事業化支援で最大500万円(いずれも補助率2/3)として実施。
この補助を活用し、小倉駅北口のにぎわい実証に取り組む事業者をサポートしたり、ベンチャー/スタートアップ界隈では猫のIoTトイレや保育園内みまもりシステム開発のサポートも行わせていただいた。

私自身がベンチャー/スタートアップ界隈との接点を持つようになってきたのもこの頃。

この補助制度自体は、今は北九州産業学術推進機構のDX推進補助金と、北九州市本体が実施しているスタートアップ向けの補助制度に引き継がれおり、当時市の担当者とも色々議論したのが懐かしい。

反省点としては、実施主体としての外郭団体自体の知名度が低く、広く周知出来なかったこと。また、1年目は随時採択の形式をとっていたところ、逆に申請しにくいように捉えられたのは意外だった(夏休みの宿題と同様、締め切りはあったほうが良かった)。
また、北九州市内における各種補助制度との整合性を取りながら制度設計するのもハードルが高いということ。これは特に独自財源のみで実施していたころと比べて市の財源も活用しながら実施していた中では、制度毎の整合性が取れなければ予算が付けにくい、という出す側の論理が先行してしまう。さらには年度単位の予算で実施すると、どうしても年度頭の公募によりがちなのが難点で、ビジネス創出の観点では年度に捉われない制度をどう創るか、というのは引き続き課題と捉える。(補助の担当ではなくなったのもある)

北九州みらいのビジネス創り対話会/ビジネスプランコンテストの実施(2016-8)

上記の補助制度の施行と並行して取り組んでいたのが、市内における活動の種の発掘と醸成。
そのきっかけとなったのは、当時の富士ゼロックス社が長崎県壱岐市内で実施していた「みらい創り対話会」への視察に伺ったこと。

市民同士だけでなく、企業が対話を通じて活動の種を生み出している姿に感銘を受けたことから、北九州市内でもこの取り組みが出来ないか議論を重ね、また、市民対話の文脈ではなくビジネス創りの観点から実施すべく名称も「北九州みらいのビジネス創り対話会」として企画実行(2016-7)。
これは、半年かけて地域の方々の関係性を構築し、ビジネスの種を発掘し、最終的にはビジネスモデルを描いて発表する、という流れの6回に分けたワークショップ。
そして、その中から傑出したビジネスプランとなるものを評価し苗として育てていくために取り組んだのが「北九州みらいのビジネスプランコンテスト」(2017-18)だった。折しも、その当時北九州ではいわゆるビジネスプランコンテストがちょうど開催されておらず、そのことをとある方から指摘されたことで企画実施。
対話会から生まれたビジネステーマだけでなく、広く公募することで地域内のすぐれたプランの発掘という意味合いでも一定度の役割を果たすとともに、単に表彰するだけではなく、パートナー企業からの企業賞を募ることで、賞を出した企業とビジネス主体者のつながりも作れたのではないかと思う。
内容の詳細等は一緒に取り組んでいただいた当時富士ゼロックス社員の方のインタビューを参照。

実際にこの取り組みを通じて起業した方や表彰させていただいた方が今は北九州におけるキープレイヤーになっていることも踏まえると、これらの取り組み自体は意義あるものだったと振り返るが、当然のことながら反省点も多くある。この辺の詳細は明文化すると差支えが色々あるので聞きたい方はオフラインでどうぞ。
一言で言うと、共助が公助化すると弊害があるというのと、入口から出口の制度を作ってもそれを維持し続けることの難しさ。それらを痛感したからこそ、今私がStartup Weekendに傾倒していることもあり。

公益財団法人北九州産業学術推進機構との統合およびテレワークサポートセンター等の立ち上げ

公益財団法人北九州産業学術推進機構との統合(2018年)

2017年度まで所属していたHMCは北九州市の方針で公益財団法人北九州産業学術推進機構(以下、FAIS)との統合された。この背景には、折しもIoT(モノのインターネット)の隆興があり、これまで情報産業(IT業界)を中心に振興を進めていたHMCと、製造業・自動車産業の業界を対象とし、また技術的にはロボット等を中心に振興を進めていたFAISを統合することにより、時流に合わせた組織体制を構築することがあった。

FAISの事務所は学研都市ひびきの(北九州学術都市)にあるため、旧HMCメンバーもそれに合わせてひびきのへ移転。

とはいえ、この中でも基本的な路線は変わることなく、e-PORT2.0の推進に取り組んでおり、西日本シティ銀行様とのタイアップによる「NCB ITビジネスセッション」を北九州で開催したり(2018)、システムトランジスタ主催で「ロボットアイデアソン」を開催したり(2019)と、オープンイノベーション文脈でも様々な取り組みを推進。

https://roboeve.com/

おりしもe-PORT2.0自体も2015年から17年のフェーズ1が終わり、フェーズ2としての活動を開始したタイミングでもあり、より一層e-PORTパートナーの巻き込みを進めていく段階になっていた。

と、思っていたらコロナ禍に突入。様々な活動に支障が出ることに。

テレワークサポートセンターの立ち上げ(2020年7月)

初の緊急事態宣言が発令されたのは2020年3月。
実はその前から先進事例の視察のため、e-PORTパートナーに向けた中国ツアーの企画もしていたのですが、さすがに募集も断念し、お蔵入りに。

財団勤務自体もテレワークが主流となると見込み、当時のセンター長の指示の下、財団全体に先行して部署内でのテレワーク施行に向けた制度設計や各種ルール策定。後に財団全体の制度にも反映された。

この経験を踏まえ、北九州市内中小企業向けのテレワークサポートの必要性を実感したこともあり、北九州市内のIT企業4社(インフォメックスタイズ寶結リンクソフトウエア)「北九州テレワーク支援コンソーシアム」を締結し、「北九州テレワークサポートセンター」を立ち上げた。

この立ち上げに際しては、諸々の調整があり、結果的に市の事業の位置づけにもなったものの、コンソーシアムが主体として事業設計を進めていったことは意義があったと感じている。

このテレワークサポートセンターは、その後「北九州デジタル化サポートセンター」と改称し、さらには現在の北九州市ロボット・DX推進センターワンストップ相談窓口の機能として再編されて継続して実施中。これまでに300社以上からの相談を受け付け、デジタル化・DXに向けたサポートを実施。
とはいえ、私の役割自体は制度自体の設計と運用統括なので、私自身が個々のデジタル化の支援を実施してノウハウを積み上げているわけではなかったりもする。

ちなみに、この取り組みの(私の中での)本質的な意味は、北九州市内IT企業自体のビジネスモデルアップデートにある。
これはこれで長い話になるので割愛するものの、人出し・下請け構造から脱却し、いかに地域企業にとっての良きパートナーとなれるかが今後のIT企業の在り方の肝になると考えるからこそ、下請けではなく直接相談企業と接することにより経験を積んでいただく、という事を主眼としている。ので、実は地域企業のデジタル化推進は付帯物と捉えていたりする。

この取り組みにも対話会・ビジコンと同様の反省点は有って、これも明文化すると差し支えるのだけれど、支援すること自体が目的化しては駄目だな、とは思う次第。

ちなみに、プロボノとして「北九州テイクアウトマップ」を立ち上げたのもこの時期。この辺は以前のnoteに書いたので割愛。

それまでの週5勤務から週4勤務に切り替えたのも2020年度から。上記のテイクアウトマップの活動が出来たのも週4勤務だったからこそ、とは思う。

北九州DX推進プラットフォームの立ち上げ(2020年12月)

そうこうしていると、DX(デジタルトランスフォーメーション)という単語が流行り始め、北九州市もご多分に漏れず「北九州市DX推進プラットフォーム」を立ち上げる、という話に。
この規約策定やコンセプト設計には、e-PORTパートナーのコンセプトなどをインプットとしながら共同で事務局を担う、という立ち位置に。
傍から見ると、e-PORTパートナーとDX推進プラットフォームという同様のコンセプトのものが複数存在することになるため、e-PORTパートナーはこのプラットフォームに移行するという形で活動を終了した。

北九州市ロボット・DX推進センターの設置(2022年4月-)

2022年4月からは北九州市ロボット・DX推進センターが設置され、FAISがその運営を担う事に。
これに伴い、2021年度は北九州市が直接実施していたDX推進補助金も2022年度からは元々やっていた新ビジネス創出支援補助金と統合し、制度の再設計も実施。ただし、直接の担当ではないのであくまで意見出しとして関与。

私自身は専らワンストップ相談窓口(旧テレワークサポートセンター/デジタル化サポートセンター)の運営を行いつつ、持ち込まれる相談やコミュニティ運営を担ってきた。

また、2022年からは北九州市・北九州観光コンベンション協会と共同で「西日本DX推進フェア」を開催し、そのセミナー企画などを担当。
アイドルグループLinQとの登壇セッションを行ったところ、裏で某室長から羨ましがられたのは役得だった(笑)
2023年の企画ではアトツギDXというテーマでのセッションも実施できたのは個人的にはとても満足。

他にも、コロナ禍で縮小傾向にあったコミュニティを復興させる一環として、北九州市内の既存企業における新規事業担当者の集まり「One Kitakyushu」を2023年9月に立ち上げられたのは意義深く感じており、また、このコミュニティを通じて様々企画したいと考えている。

10年を振り返って

30代半ばから40代半ばの10年間をこのような取り組みに費やせたことは、私自身、幸せな事であったとも捉える一方、もっとやりようはあったのでは、とも思うし、満足しているわけではないのも事実。
ただ一つ言えるのは、全てはご縁でしかないなと思う次第。

私が2007年に北九州に来たきっかけ自体も誘われたことでもあるし、なぜこの活動を実施しているかというのも、HMC時代にお世話になった当時の理事長(髙橋さん)から「構想は出来た、ただこれを担う人がいない。異動してきての職務としての担い手ではなく、自分事として担う人になってくれるか」と託されたことも私にとってはとても大きな意味を持っていた。
だからこそ、HMCがFAISへの統合に際して、当時の事務局長には「これまでよく働いてくれた。後は自分の意思で決めてくれて構わない」と言われたとき、その時点で私が居なくなったら、きっと活動の根底は雲散霧消するだろうとも思い、引き続きFAISに所属しながら活動を続けることを選択した。

私の中で少し、託されたことが果たせたかな、と思えたのは、曲がりなりにも一部活動が根付き、評価され始めたと感じたから。
2022年4月の日経自治体DXアワード大賞や、同年9月の内閣官房夏のDigi田甲子園内閣総理大臣賞の受賞は、2015年からの取り組みが形を変えながらも結実したと捉えた。
(もちろん、私一人の力では全く無い。元々2002年からの積み上げがあったからこそだし、何より職務としてでも懸命に実直に真摯に取り組んできた方々の働きがあってこそ)

一程度結実したのであれば、今後はその取り組みを花開かせていく役割は私でなくても良いと思っているので、私自身は改めて取り組みたいことに目を向けて、これも自分事として、今地域に必要な企画を考案し、次の土壌を耕していきたい所存。
そのためのリソース配分の変更として、週4からさらに週3としており、かつ、その週3も昨年度までと同じ動きをするためのものではなく、次の活動に向けて動こうと考えている。
当然のことながら、これまでの活動に対するフォローは必要だが、託しうる存在もいるので、そこはあまり心配していなかったりもする。

ということで、北九州の皆様におかれましては今後もお付き合いいただけると幸いです。

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