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すべての道は挫折に通じ、そして美しい後悔の話

「ではみなさんは、そういうふうに川だと云われたり、乳の流れたあとだと云われたりしていたこのぼんやりと白いものがほんとうは何かご承知ですか。」

宮沢賢治「銀河鉄道の夜」より


この、銀河鉄道の冒頭に出てくる先生。
この先生にぴったりな先生を、私は知っている。


Y先生だ。


Y先生は、私が中学生の時に社会を教えてくれた先生。
黒板の字がいつも几帳面に小さくて、廊下の端をまっすぐに歩き、ついぞ生徒に声を荒げる様子がなかった。
いつもツイードのジャケットを着ている、あの、Y先生。


1 すべての道は挫折へ通ず



どういう因果か、私は2年前、Y先生に再会した。


Y先生が、息子が通う中学校のスクールカウンセラーだったのだ。

再会した日、一通りの挨拶を終えた私は、Y先生に「なぜスクールカウンセラーに?」とたずねた。
Y先生は校長を退官したのち、かねてから希望していた大学に通って資格を取り、スクールカウンセラーになったのだと言う。もっと子供の心に寄り添いたい、自分はそういう仕事がしたい、教師を続けている間ずっと考えていたのだという。


Y先生と約30年ぶりに再会した私は、毎月のように中学校の教育相談の予約をとった。息子(教室を拒否していて、そういう自分自身まで拒否している)のことを相談したり、30年前私の身におきていたあれこれについて話したり、個人的な家族の悩みを打ち明けたりした。

それはY先生と私の(ほとんどが私の)、泣いたり笑ったりほっとしたりの時間の重なりで、私は自制しようと思いながら、それでもまた今月も予約をとってしまった。


「先生、私こんど歌を教えてもらう先生を変えたんです。
もっと上手に歌いたくて、前より上級の先生に変わりました。この年から始めたって歌はたいしてうまくならないのに、月謝が倍になって、いいのかなぁってすごく思います。
ただ自分が楽しくてやりたいだけのことに、時間とお金使っていいのかなぁって時々思います。」

えへへ~、とおどけながら私が言うと、Y先生は、もう何度目かになる「私がにこにこしていることの(家族への)効用」なんかについて根気よく話し、それから

「地区大会で優勝して、県大会に行く。そして、県で優勝してブロック大会、今度は全国まで行く。もし全国で優勝したら、その次の年は?優勝するだろうか。そのまた次の年はどうだろう。

もしも何かで日本一になったとして、それから今度は世界に行って、ものすごい確率だけど世界一になって、そうしたら、その次の年は?その後はどうなるでしょう。

ともあれさん、どんな事でも、どんな人でも、歩いて行けば必ず最後には挫折が待っています。」

と、言った。


「目の前の一つ一つの出来事を、あなたが楽しむ。人目を気にしないで、自分の心で、じゅうぶんにものごとを味わえたら、それは素晴らしいことです。それだけでいいのです。」

と、Y先生は言った。


Y先生と話しているといつも気が付くのに、受け流してしまうことがある。先生の目は、話していると、ときどき喪失をいたむみたいに悲しそうにまたたくのだ。
その目は30年前と全然変わらなくて、相変わらず銀河鉄道にぴったりだと私は思う。


私はこれからも歌おうと思う。


2 美しい後悔について



そんな訳で、この12月から歌の先生を変わった。

先週、初めてのレッスンがあり、「次回はイタリア歌曲集から好きな曲を一つ練習してきて」と先生に言われた。
翌日から私は、早速「Tu lo sai」を練習している。

                     Miranda Brugmanさんの演奏


この曲は、なんだか暗い雰囲気の、寂しい歌、だろうか。
私は、17世紀を生きたトレッリ作曲のこの歌がとても好きだ。時々、ピアノを弾きながら1人で歌うくらいに好きだ。(猫が嫌がるし近所迷惑はいけないので、ささやかに歌う)

この曲の歌詞はこうだ。

貴女あなたは知っている
 
私が貴女をどれほど愛していたか貴女は知っている、
知っている、むごひとよ。
私はほかには何の報いも望みませんが、
私のことは覚えていてください、
そして不実な男を軽蔑してください。
                         作詞者不詳

「イタリア歌曲集」対訳・逐語訳 戸口幸策


ど素人の私が、この曲について語れることなど何もないのは百も承知なのである。何か書くのならちゃんと調べてからでなければと思いながら、今はあまり時間がないので、申し訳ないのだけど、ただ自分の気持ちを書かせてらうことをお許し願う。


この曲の解説はこんな感じ。

原曲はカンタータの中のアリアです。このカンタータの手稿譜は、かつてドレスデンの図書館にありましたが、第二次大戦末期に行方不明となりました。従って、作曲者についても、音楽的な内容についても、現在では確認するすべがありません。

「イタリア歌曲集」解説 中巻寛子


歌詞の文体から、男性から女性に向けての歌だと解釈されているという。




・  と、なると、ですよ・・・


男性は、その女性を愛していたのである。心から愛していた。
そして女性もまた、その男性を愛している、ようであった。

しかし、なんらかの事情(女性にじらされた?抜き差しならぬ事情?)により、男性はなかなか思いを遂げられない。愛に舞い上がった夢見心地から一転、つのる不安と行き場のない思いにさいなまれる。

そのうち、ふとしたはずみから男性は他の女性と関係してしまう。関係した直後に早くもおとずれる後悔。かすかに香る開き直りの気持ち。

男性が他の女性と関係したことを知った女性は、男性の不実をなじり、別れを告げる。

ああ、なんという後悔。おろかだった自分。理解のない女性への怒り、だがしかし、まだ女性を心から愛している。軽蔑でもいい、自分を覚えていてほしい。

以上、私の勝手な想像


うううう。すごい好き・・・

手の届かないもの。透きとおる、温度のない悲しみ。自分がとけてしまう痛み。美しい後悔。


こんな状況に自分が陥ったら、ひたすら泥沼に沈んでいくだけなのだが、物語として浸る分には、物語として眺めるにはとても好き。


来週のレッスンに向けて、練習がんばります。心こめて歌います。
幸せ。


読んでいただき、誠にありがとうございました。


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