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銭湯の思い出

こんな風に体の芯が透き通るみたいに寒くなってくると、毎年思い出す人がいる。

シゲフミ君だ。

この夏、私はひょんなことからシゲフミ君のお母さんの訃報を聞いた。
それからというもの、今年はいつにも増して彼のことを思い出している。



私が小学2年生だった頃、我が家の給湯器はすぐに壊れた。
月に1度はお湯が出なくなり、翌日に業者さんを呼んで直してもらうのだが、しばらくするとまた、唐突にお湯が出なくなる。

お湯が出なくなるのは大抵は夜の早いうちで、そうすると母は「また!」と怒りだし「でも新しいのは無理やし」とすぐに諦め、それから「手が冷たい、汚れが落ちない」と独りごちながら夕飯の食器を洗う。
兄と弟は、やったぜというような顔をして「お風呂は明日にする!」と宣言し、おかっぱ頭の私は父に連れられて銭湯へ向かう。


我が家は、飲み屋街のすぐそばにあって、それと関係あるのかないのか不明だが、家から東には藤の湯、北には鷹の湯、南には清水湯、とそれぞれ歩いて5分ほどの距離に銭湯があった。

3軒ともに父が子供の頃から営業している銭湯で、清水湯だけは数年前に改装したらしく、ところどころ新しかった。


東にある藤の湯は、全体に照明がうす暗く、小さな銭湯だった。脱衣場はいつもしけった木の匂いがする。浴槽は浴室の奥に据えてあり、端には小ぶりの石を積み上げたお湯の流れる小さな滝が作ってあった。

北にある鷹の湯は、浴室の中央に大きな長方形のお風呂があった。浴室の扉をガラっと開けると、すぐ横手にケロリンの桶を積んだ三角の山があって、ケロリンの椅子も常にきちんとに並べてあった。浴室の壁には富士山みたいな山をモチーフにしたタイル絵がある。

南にある清水湯は、蛍光灯の光がくっきりしていて、3軒の中で一番明るい。浴室の中央に2層に分かれた大きな浴槽があって、壁際には、腐った緑色をした薬湯と、オロナミンⅭみたいにまっ黄色の電気風呂があった。



「ともあれ、今日はどこの風呂に行く?」
父に聞かれて、
「うーーん、、、じゃあ、清水湯にする!」
と私は答えた。


あの頃、私はタイル集めに凝っていて、友人と空き地を巡り歩いてはタイルのかけらを拾い集めていた。タイル絵の綺麗な鷹の湯の壁は、いつまで見ても見飽きないが、やはり新しい清水湯の誘惑には勝てない。なにしろ清水湯の脱衣場にはエマニエル夫人が座るみたいな、でかい籐椅子もあるのだ。(エマニエル夫人のインパクトのあるポスター?なら幼稚園の頃から知っている)
私は風呂上りにあの椅子に座り、南国の女王みたいにコーヒー牛乳を飲みたいのだ、何度でも。



我が家のお風呂で使っている白いプラスチックの桶に、石鹸ケースとティモテのシャンプー、それに薄いタオルを入れる。バスタオルと替えの下着をビニール袋に詰めて、父に連れられて清水湯まで歩いてく。
私の父は、年がら年じゅう下駄かサンダルを履いている人で、その日も、もう11月というのに夜道に下駄をカランカランと響かせていた。

「出る時に呼ぶぞ。」

「うん、分かった。」


男湯と女湯に分かれて暖簾をくぐる。番台で小さなテレビを見ているおばさんが「こんばんわ」と言い、父が2人分のお金を払ってくれる。(確か子供は50円だった気がするのだけど、まさかそんなに安い訳はない、、?)


私は脱衣場でさっさと服を脱ぐと、桶を持って浴室に入り、大急ぎで髪と体を洗う。

まずは2層に分かれたお風呂のぬるい方にそろーっと入り、それから薬湯に向かう。
ぬるっとしている草緑色の薬湯では、浴槽が深いために、小学生の私ではつま先立ちしても、お湯面が首のあたりまでくる。百草丸みたいにお腹に効きそうな、渋い匂いをさせるお湯につかりながら、浴槽のヘリに両手とあごをのせて、1人でたゆたっていた。

しばらくすると、ガラガラっとすりガラスの扉が開き、背の高い女の人が入ってきた。

浴室の入口は、薬湯風呂の正面にあり、女の人の姿がよく見えた。その人は、明るく染めた髪にパンチパーマをあて、肩幅が広く、首元には金のネックレスが光っていた。
どこかで見た顔だなぁと眺めていると、女の人の背後から、ひょこっと小さな男の子が飛び出した。


「あ!!!」


私はとても驚いて、それから、心の中で嫌らしくジワーっと笑った。小さな男の子は、あのシゲフミだったのだ。



シゲフミは1年生で、力が強くて乱暴で、小学校に上がる前から近所ではやんちゃで有名だった。女の子たちが遊んでいると、上級生だっておかまいなしにちょっかいをだして邪魔をする。
今日だって私は、昼休みにまみちゃんとお母さんごっこをしていたら、シゲフミに手作りのいろりを壊された。お母さんごっこを馬鹿にされて口喧嘩をし、最後には教室に戻ると見せかけたシゲフミに小石まで投げられたのだ!


ははーん。。シゲフミの奴、まだ女湯入ってるのか。
へーーー。私はお父さんと男湯に入ってたのは年長までだぞ。
私は子供1人だけでちゃんとお風呂に入れるんやで。ぐっふふふ。これはアタシの勝ちやなぁ。
明日まみちゃんにこのこと言ってやろ。明日が楽しみや~。


くさい薬湯から濡れ髪のおかっぱ頭を突き出して、ニヤニヤしながらシゲフミを見ていると、シゲフミもすぐに私に気が付いた。

シゲフミは、体を洗っているお母さんの陰にさっと隠れると、それ以後は絶対に私の方を見ようとしなかった。
私はそのシゲフミの様子を見て、さらに調子にのった。
悠悠と薬湯を出ると、これ見よがしにゆったりと、真っ黄色の電気風呂に入る。


見るのだ!シゲフミ!私はつま先立ちでしか入れない電気風呂にも1人で入れる!!チクチクかゆいのだって平気なのだ。あっははー!!


シゲフミは、私なんて一切見もせずに「早く帰りたい」とお母さんをせっついているようだった。お母さんに「何言ってんの」と追い払われている。
シゲフミは最小限の動きで体を洗うと、ほんの気持ち程度に湯舟につかり、走り去るように脱衣場へ消えていった。


我が勝利!!!
いい気味ー。少しのぼせてきた私は、本当はちょっと苦手な電気風呂を出て、2層に分かれた大きな浴槽のへりに腰かけた。
そして、パンチパーマと仏像の頭って似ているんだな、もしかして一緒の髪型なんじゃないかと考えた。



「ともあれー、出るぞーー」
男湯と女湯を隔てている壁の途切れた天井の方から、父の声が降ってくる。
「分かったーー」

私は大きな声で叫び返すと、持ってきた桶を抱えて脱衣場に向かった。

そこにはもう、シゲフミとお母さんの姿はすっかり無かった。




銭湯でシゲフミにあった翌日、意気揚々とまみちゃんに報告すると、

「え?ともあれちゃん、シゲフミ君に裸見られたの?それまずいよ。すごく恥ずかしい事だよ!人に知られたらダメ!」

と言われた。驚愕ののち、カーっと顔が熱くなったのを覚えている。「湯舟にいたから見られてないしな!」と一生懸命に取り繕った幼き日の私よ。

この記憶は誰に語られることもなく、長らく封印されてきた。
(当時はプール授業の着替えも2年生までは男女一緒に教室で、みたいな時代だったのだ。確か。)


こんなに長く書いたが、私とシゲフミが仲の良かった時期は一度もない。きっと彼は私の存在なんて欠片も覚えていないだろう。

それでも私は折りにふれて、あの清水湯での夜を思い出している。



今ではもう、3軒の銭湯のうち2軒が廃業してしまった。残った1軒もほそぼそと営業しておられる様子である。

あの頃、午後になると勢いよく側溝に流れ出てくるお湯に葉っぱを流して遊んだり、友達と連れ立って銭湯に出かけたり、本当に窓から浴室の中が見えるものなのかと周りを自転車でウロウロしたり(見えるわけがない)、銭湯は確実に幼き日の私の毎日を豊かにしていた。


懐かしい思い出なのである。



(どうぞフィクションとノンフィクションの間のお話と思ってください(*´з`))

読んでくださって、ありがとうございます!


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