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保育園という場所

今の保育園に通わせてから一年と半分が過ぎた。信頼しているし、担任の先生の責任感もリスペクトしているし、環境も好ましく思っている。この保育園はオープンと同時に入園したので、子供たちはふたりともいわば一期生である。一期生であれば、皆そうなりやすいのかもしれないが、自分たちでこの園を作っていってる気が確かにするから不思議だ。この園の歴史の一端を担っているという意識は、居心地を良くさせるから、それも不思議といえば不思議。

言わずもがな、保育園に入るのはたいへんに難しい、そして厳しい。東京という過密地域ならなおさらだ。基本的に両親ともにフルタイムワーカーだ。ゆえに、皆さん忙しい。子供の送迎時に挨拶と短い言葉を交わすが、それだけ。どんな家に住み、どんな家族に囲まれ、どんな考え方を持ち、どんな気持ちで毎日仕事にあたっているか、何を支えに家と保育園と職場の往復をしているか、だから、想像するしかない。私と似てる?それとも、全然違う?

私は週末子供たちとどこで何をして過ごしたら楽しいか、いつも考えている。平日は仕事と家事に追われて余裕がない分、土日は彼らとゆっくり、しかし有意義に過ごしたいのだ。とはいえ、ゆっくりは過ごさせてもらえないのだけれど。笑。

地域のイベントがあると参加するようにしている。大した子育て論は何もないのだけれど、少なくともわたしは、地域と子育てを連動させたようなイベントに参加すると幸福度があがるのだ。なぜだろうなぁ。考察を進めなければならないが、なぜなのかはよくわからない。一般によくいわれる、定年後の、会社と縁が切れたあと、地域コミュニティに居場所があったら孤独を避けやすく自己肯定感が上がるというアレと似ているアルゴリズムがあるのかもしれない。

話が逸れたが、そんなわけでわたしは地域の広報誌を会社鞄に常備し、暇さえあればガン見する。それだけにとどまらず、街の至るところに貼ってある区の掲示板を見たり、近所のお店のイベントがないか確認したりして、地域の情報を取り入れようと試みる。そこで、よく会う親子がいる。お父さんと息子の組み合わせ。息子さんはうちの長女よりひとつ大きくて、保育園のお迎えの時間がうちと酷似しているので、もう名前も覚えたし、なんとなく性格もわかる。そんな親子と地域イベントで会うと、「お!またここでも」と思う。そして次第に少しだけ気にしてみるようになる自分がいた。何故なら非常に珍しいから、父と子供の組み合わせというものが。母と子供なら、たぶん目に留まらない。

料理教室にも参加していた。近所の大学のダンボール教室にも参加していた。いつも、ふたりで来る。次第に想像する。お母さんは、いない?それとも病気療養中?単身赴任中?わからない。たぶん聞く距離感になることもないだろうと思う。お父さんは、その雰囲気から家事も仕事もしている雰囲気が漂っている。どんな仕事してるんだろう。

彼らは、すごく自然で、父と息子というわりと珍しい組み合わせだけど、いつも、地域イベントの中に溶け込んでいる。どこで見ても溶け込んでいる。ソワソワした、ストレンジャー的空気を発していない。わたしはそれを遠目に見ながら、みんなが彼らに自然に、普通に、接し続けてくれるといいなと願う。父子という組み合わせを不思議に思わないでほしいと願う。

わたしは、いつも心の中で(勝手に)応援している。がんばろう、親ひとりでも。大丈夫。大丈夫。完全な形じゃないといけないわけじゃない。色んな形があっていい。色んな色があっていい。

これからもたくさんの家族に会っていくだろうが、彼らのことは、心の片隅に残り続け、たまに思い出し、思い出すときは元気でいるといいな、と願うだろう。

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