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人類の集合知「さみしいです」

 先生……つまりゲームは最強ってコト!?(ちがいます)

「スタバとかに列を並んでるのとかちょっと情弱過ぎる」みたいなツイート僕も昔見たことあるんだけど もう何か頭が痛くなるって言うかスタバぐらい並んどけや みたいなね「どうするんだ そこで効率良くして」って思う

『タイパ』を求めるなら生きていない方が良い
東師匠16:34時点の発言

 言葉キツすぎの草すぎますね。

 というワケで約一年越しに続編が……来たッッ!

 いやはや、ずっとナニカを書き続けていると、こういうとき感動が芽生えるんだなと。おちあいしぇんしぇい。あずましぇんしぇい。ぼくも喜びを共有できた気がするよ。

 さて、冒頭の動画タイトルが示す趣旨は以下の通り。

 いま流行ってるインターネットコンテンツ消費の意図ノリそのままに──『タイパ』を求めるなら生きていない方が良い──ってなるけど、それは人として意味不明なのは分かるでしょ。だからちょっと待って。既存コンテンツの価値を一旦、見直していこう。


 人間が求めているのは「全身全霊を用いた総合体験」であるということ。そうじゃないと野生の世界は生き残れなかったからそうなった。それが自分にとってはゲームであるし、人によっては仕事であるし家族であるし旅行であるしライブである。

 そもそものそも、ライブLIVEってそもそものそものそもで「生きる」みたいな単語なのでっででっでっていう。ライブアライブっていう一部のおっさんにしかわからない意味不明単語になってしまうっていう。ライブ体験とは生きる体験であり体験ってほぼほぼ生きることなのでっていう。Hey, Yo!?

 人間は、イキる生きるをやりたい。


 ということになる。ナンデ!? ニホンゴムズカシイネー!?

 動画の中ではサブスク音楽が批判されているけど、つまりコンテンツすら個人主義化している、あらゆる雑味がめちゃくちゃ純粋に切り取られて原子レベルの味覚に先祖返りアレンジしてゆくこと。すべてのはじまり、ビッグバンのもとである「オンリーワン」になるまでね、という。いやちょい待てやという。

 未来に向かって加速していたら、

 超スピードで過去に戻っていた。

 その心は?


 〝体験〟ってのは、そんなチャチなものじゃ断じてねえ……。

 例えば本を読む、音楽を聴くというのにあたり、家を出て、街に向かい、店に入り、掲示物を見て、ポップを見て、店員の所作を見て、あるいは話し合い──ここでようやくコンテンツを購入。んで逆向きに道をたどりながら家に着き、そこでまた人間がいればあれやこれやあって──ここでようやくコンテンツを手に取る。

 すげぇ遅い。けど、その間にめちゃくちゃ色々ある。当たり前すぎて忘れている。でもなんやかんやでそれが抜けているから「当たり前がなくなってさみしい」とか言っちゃうのが人の性なのだ。ヘイ人類。ここ数年、「当たり前がなくなってさみしい」だっただろォ~~~ん? と神に煽りをキメられている。

 自分が冒頭にゲームを上げたのは、それが「総合芸術」であるからで、シナリオ、画像、映像、音楽すべてがそこにあるからだ。音楽を鑑賞するにあたって、ゲームのサウンドトラックであれば、当時の記憶がほとんどすべて蘇る。それがサブスクであれ、バラされて個人的情報から、圧縮された記憶を展開し、もういちど生き直している。

 オールフォーワン、ワンフォーオール。ひとがすきになるのは「全身全霊を用いた総合体験」であり、そこから切り取られたオンリーワンのコンテンツとして使うのならばそれでいい。

 だからTiktokはいいメディアだ。サブスクの曲を用いて踊り、サブスク音楽がバズる構造がある。総合的だ。だからTwitterもいいメディアだ。別にオンリーワンの呟きで成り立っているわけではない。インスタも初期は画像オンリーワンであったけれど、今はもうストーリーズがあるわけで。

 動画内の彼らにはサブスクやSNSはクソだと言われており、その趣旨には是非もなしであるが、やはり道具は使い方によるのだと思う。けれども、「使い方」があんまりにもあんまりじゃあないかと。難しいじゃないかと。簡単すぎて難しい。

 そんな爆速レコメンドでエコーチャンバーに急速冷凍して閉じ込められちゃあ、そら一般人は手に負えませんて。クール宅急便で夢幻の国へ出荷されちゃう。だからダメ。ダメなものはダメ。SNSはいいけどダメ。

 使い方より使われ方が簡単すぎるから。


新しいトレンドは、少数派のための書店

そんな中、際立った現象になっているのが、LGBTQ+や有色人種といった少数派のアクティビストが運営する少数派のための書店の開店ラッシュだ。社会的、政治的な主張のあるこれらの書店を総称し、英米では「ラジカル・ブックショップ(急進派書店)」と呼ばれている。

(中略)

書店がARBの会員になるには、以下の2つの条件を満たす必要があり、これを読むと、急進派書店とは何かという概要がつかめる。「社会主義、無政府主義、環境保護、フェミニスト、反人種差別などの問題意識を持っていること」、「グローバル、ナショナル、ローカルな領域における政治的、個人的な変化を促し、支援し、広く伝えるための書籍を置き、販売すること」

(中略)

古くて新しい急進派書店は、時代の変化を受けて、少数派の書店から、「多様性」の大切さに共感する全ての人たちのための書店へ、という歴史的変貌を遂げつつある。BAも近年新しい試みとして、人種を含め多様性に配慮した書店の運営・創設の支援に力を入れるようになった。急進派書店の動きについては、また稿をあらためて報告したい。

「イギリスで書店が増え続ける理由」清水玲奈
より引用。太字は筆者による。

 これまで日々安寧を願って暮らしてきたわれわれが気付きもしなかった超特大重大なビッグ・トラブルに問題意識を持って大活躍されてきた「良心あるひとびと」の熱意に感動し続けてきており……読んでいてたいへん頭の頭痛が痛くなってくるわけである……スタバぐらい並んどけや、みたいな頭の痛みがね。多数派だけが阻害される多様性とはいったいなんなのだろうか。われわれ凡人には難しすぎてよくわからないのである。

 とまれ、このエピソードに気付きを得たのはTheyらも「集まりたい」ことだ。情報共有タグづけしてハッシュハシュする超先生たちの超活動アクティビズムはそろそろ違うメニューに変えたいハシュ~という素直な呼び声が地獄の底から聴こえてくる。そのまま天国でハッシュハシュしていてくだされば下界の民としてまことに感謝の極みである。

 そう、飽きてしまったのである……。

 だがしかし、重い思い──まちがえた──思い思いに過ごしてきた、考え方が多様で異なる紳士淑女のみなみなさん、情報化社会にコネクトして思想ブレイン改造ウォッシュされてきたわれわれが、たったひとつの結論はじまりに至る。それはやっぱり美しいなって。いつものようにシュタインズ・ゲートはフェアにみんなを待っていた!

 相容れない同士ですら相容れる「もうあかんわ」の声。

 これぞ人類の集合知……すごい!!


いやすごくねえよ











追伸:スペース猫ジャーニーでバリエーション出すの思いのほかジワる。おれたちはAIに踊らされているんだ……。

遠い遠い宇宙の果てで、ふわふわの毛をした猫が、とても驚いた顔をしてこちらを見ていました。(In the far, far reaches of space, a fluffy-furred cat looked at me with a very surprised face.)


われわれが深淵を覗くとき、深淵もまたわれわれを覗いているのだ……