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韓活韓国語を教えるということ

 韓国語教育のもう一つのカタチ、韓活韓国語を教えることについて、考えていきます。教える側の視点に立った韓活韓国語のおさらいです。

時間というコストを考える

 これまでの教育では教育時間を真剣に考慮してきませんでした。専門教育より時間が短くなる分、ダイジェストを教える、途中まで教えるといったことはしてきましたが、虚しさが残りました。

 時間数に応じて、教育内容を根本から見直しませんか。

 既存の大学での第二外国語の教育時間は平均して100時間ほど。語学習得という意味では、時間数が圧倒的に不足しています。
 途中で、プツンと終了するのはもちろん不誠実ですし、ダイジェストと言われるものも、文法の枝葉が多少省略されても、文法を凝縮した学習であることに変わりはありません。
 短時間な分、専門教育よりぎゅうぎゅうに詰め込むことになります。こうした中途半端な文法中心の詰め込み教育は、苦しみだけを味わわせて習得はさせられないという危険性をはらんでいます。だから教えていても虚しいのです。

 時間のコストは大学教育を想定した問題提起ですが、プライベートレッスンでも参考になるテーマだと思います。

物語を味わう

 なので、技巧をコツコツ積み上げていくテクニカル重視の学びを見直したいと考えています。私が提案するのは、異世界をのぞきにいくような活動です。文化と言葉を融合させた、異文化理解に根ざした総合教育。簡単に言うと、技巧習得より物語を体感させよ、ということです。

 なぜ韓国語を習いたいと思ったのかと学習者に聞くと、この10年近く、半分以上が推し活のためだと答えます。楽しい推し活の延長として韓国語学習に足を踏み入れているということです。「韓国語ができるようになりたい」=「推しの世界をもっと知りたい!味わいたい!」なのです。
 現地ショッピングのためのコミュニケーション力、作文するための文法力もあったらいいかもしれませんが、言葉の世界に垣間見られる異文化の「物語」「世界観」「思考」を味わうことこそが、語学習得の醍醐味です。そこをまず味わってもらう教育にしてはどうですか?

 物語を味わうとは。例えば、字幕なら、1秒4文字以内で表現するという制約のために、異文化は日本の文脈に「翻訳」され、省略されてしまいます。そこで消されてしまった意味世界を知る取り組みは、物語を味わうことです。
 推し活のために韓国語を学びたいというニーズに応えるためにも、発音法則や活用といった文法概念のインプットより、社会文化的なコンテキスト、レアリアという、今まで軽視されてきた領域に目を向けたらいいと思います。

 そもそも文法を骨抜きにして外国語学習が成立するのか?と思われるかもしれません。文法「も」言語習得にとって大事な要素ではありますが、時間制約のある教養では、文法に時間を割きすぎるのはもったいないと思います。ほとんどの学習者が習得に至らず、学習内容が記憶にも残らないのですから。

 語学を習得するのに文法を「基礎からコツコツ」は正論ですが、時間制約がある中では十分に積み上げられません。語尾活用を「スパルタ」された挙句に習得に至らないまま、学習者が本来辿り着きたかったはずの目標である「キラキラ」の世界には触れることもないのです。文法からスタートすると、世界観の醍醐味を味わえるようになるまでが遠すぎるのです。

 だったら「基礎から」をやめて、「キラキラから」でもいいじゃないですか。「基礎から」が良い人は今まで通り基礎から積み重ねて学んだらいい。そうでない人には違った選択肢もある、その一つとして、物語を味わう教育を提案したいのです。

 また、文法ではなくアウトプット型のコミュニケーション学習も、時間とお金がかかる教育です。時間制約のある中では、異文化理解のためのインプット型教育、自身が持つ意味世界とは異なる世界への気付き、といったものを与える教育が良いと思います。

リテラシーを評価する

 「物語を教えるのはいいが、一体何を評価するのか」という指摘があるかもしれません。大学の語学教育には評価が伴います。確かに評価を無視して韓活韓国語を推すことはできません。

 これまでの、文法と単語・表現の暗記中心・言語学中心の「技巧」の習得では、習得具合を試験で評価し、学習者を格付けしてきました。出来不出来を目に見える形で採点しやすい、評価する側としては楽チンな評価方法です。

 しかし、韓活韓国語はリテラシーを育むものなので、既存の正誤を判断する評価方法は馴染みません。評価方法も既存とは異なるものにする必要があります。

 韓活韓国語では、スペルや活用などの正誤評価ではなく、関連づけなどを評価するレポート試験が良いでしょう。手間はかかりますが、講師にとっても新たな気づきがあるはずです。

生涯残る学びはどっち?

新しい技術を用いた学習

 教育現場を見ていると、機械翻訳を使用した学生を叱りつける場面に遭遇することがあります。

 機械翻訳を論文コピペのように捉えているのかもしれませんが、機械翻訳はコピペではありません。言葉を置き換える行為をサポートするツールです。機械翻訳された訳語が正しいのか、自分の意図する言葉なのかどうかは、自分で主体的に判断しなければなりません。そしてそもそも機械翻訳は、プロや専門家でも利用することがあります。翻訳補助機能として活用しているのです。
 
 昨今、自動字幕や機械翻訳の発達により、言語そのものはかなりの部分がカバーされるようになりました。翻訳したい時に、文章を解体して用言と語尾を見分け、基本形を辞書で引く作業は不要になりました。
 グローバルコンテンツを渡り歩くユーザーにとって、自動翻訳機能はもはや日常のツールです。息を吐くように自動翻訳機能を利用しています。SNSや動画サイトでは、韓国語が分からなくてもほとんど不自由しない時代になったのです。

 機械翻訳にかけたレポートをそのまま提出してしまうのは問題かもしれませんが、機械翻訳が生活の中に定着している以上、機械翻訳の使用を前提とした課題にするか、機械翻訳を使用できない課題(教室内で課題をこなす)にするなど、講師側にも工夫が必要だと思います。単に遠ざけようとするのではなく。

学習順序を変える

 学習順序にも変革が必要だと思っています。いわゆる一般的とされる学習順序は次の通りです。この順序ないし比重はテッパンなので、変更しようという動きは、これまでほとんど見られませんでした。

文法(60%)

フレーズ・コミュニケーション(30〜40%)

文化(やりたい人はどうぞ)(0%〜10%)

既存の学習順番(%は学習の比重)

でも、韓活韓国語ではこんな順番を提案します。

文化(60%)

フレーズ・コミュニケーション(30%)

文法(やりたい人はどうぞ)(10%)

韓活韓国語の学習順序

 用言の活用は、ITを活用できる時代には知っていても知らなくても良い知識となるので、優先順位を下げて一番最後ないし一番少ない比重にしています。

 私は既存の学習が全く間違っていると言いたいわけではありません。機械に頼らず、自分が書いて読んで理解したり、字幕なしで分かるようになりたい。時間とお金と熱意と能力(語学習得では残念ながら若さも条件の一つ)のある人は、既存の順序でも良いでしょう。
 しかし、言語習得には長時間の訓練を求められる「技巧」の世界であることを忘れてはいけません。「韓国語は簡単だ」とそれこそ簡単に言いますが、英語などの西欧圏の語学習得よりも簡単なのであって、誰もが楽に習得できるという意味では決してないのです。

 そして学習の到達目標に検定試験を公然と置くケースが増えましたが、これにも疑問を呈したいところです。検定試験は学習者がどれほど語学の「技巧」を習得しているかを確認するためのものです。検定試験にリテラシーを評価する尺度はありません。検定試験は技巧を高めたい人のみがチャレンジすればよいのです。
 教養教育で検定にパスする力を身に付けられるのは、上位数%に過ぎないと思います。検定試験合格を到達目標にしてしまうと、不合格だった学習者は脱落者のレッテルを貼られるだけなのです。頑張った自分へのご褒美、実力試しという意味では検定にも果敢に取り組んでみたらいいと思います。でも、教養教育で万人にそこまで当たり前に求めるのは酷です。ネイティブや習得済みの人は忘れがちですが、言語習得は特殊能力です。

 専門教育は「技巧教育」でゴリゴリ鍛える。大衆的な教養教育では「世界観」や「異文化理解」を教えて、やりたい人だけ「技巧教育」に進んでいくという順序を提案したいです。誰もがゴリゴリ技巧から学ばせる愚かさに、そろそろ気付いてほしいなと思います。

 1年で語学習得させるというハナから無理な設定をやめて、1年で教えられることをデジタル社会に適応させた形で考えませんか。機械翻訳が日常になった現代社会で、これまでと全く同じ文法教育のままでいいのですか。誰もが同じ教育順序、内容で学習すべきなのですか。語学学習はつらくて当たり前じゃなくて、「楽しさ」を味わわせてはいけないのですか。こうした問いに答えていきたいのです。

語学以外の見識を大事に

 韓活韓国語では、ことばも文化を良い塩梅で混ぜ込むので、学際的な広く深い「総合知」が大事だと思っています。
 しかし、実際の教育現場では、講師の語学力だけを重視する傾向が顕著です。講師を採用する際に、発音と文法知識の習熟度だけを見て、次の順序で評価し採用しがちなのです。

①韓国語ネイティブの言語学者
②日本語ネイティブの韓国語を専門にする言語学者
③その他の韓国関連分野の学者

 でも、韓活韓国語では、これまで最も低く評価されていた③の講師を評価し直すべきだと思っています。

 韓国語を教わるときに、国語の先生と、社会の先生では、どんな違いがあるでしょうか。

 「ことば」を教えるというと、ことばの仕組みや表現をたくさん知っていそうな国語の先生(①②)を選んでしまいがちですが、「ことば」に限定された教育に退屈さや窮屈さを感じて挫折する人をたくさん見てきました。

 「言葉を通じた、ことばから垣間見られる社会や文化」が知りたいのであれば、社会の先生(③)が適任です。両者では、授業内での蛇足や言葉の切り取り方が全く違いそうだと想像できますよね。韓活韓国語は、いわば、英語を英語の先生に習うのではなく、英語を社会の先生に教わるようなものなのです。

そんな韓活韓国語が堪能できるNHKラジオ講座の再々放送が始まっていますよ。チェックしてみてください。(2023年1月現在)

これらもチェックしてみてください。


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