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鋼の錬金術師を観て企業のあり方を考えてました。

鋼の錬金術師を観ました!面白かった!!
ホイットニーです。

鋼の錬金術師は、エドとアルの兄弟が自分の体を取り戻すために賢者の石を探しながら、世界を旅し、国を救うというストーリーです。

この国には暗い過去と陰謀が張り巡らされていて、イシュタール人とホムンクルスという敵がいます。お話の途中からは、地方と中央の対立もあったり外国人の介入など、相関図が複雑になっていきます。

錬金術は等価交換なら大抵なんでもできるんですけど、人を生き返らせることは出来ません。

そこで賢者の石が必要なんだけども、色々大変なんですね。

実はこの物語では、錬金術はあまり中心に無いんですよね。
もちろん、戦う上では頻繁に使われるんですけど、錬金術ありきではないというか。

テーマになっているのは、等価交換ではなくて、復讐と強欲と感じました。

復讐も強欲も言葉からイメージできるようにあまりいいものではなくて、これらに取り憑かれるとろくな人生にならないぜ、って言われている気がしました。

僕は復讐するような相手も出来事もなかったのですが、強欲はなんとも考えさせられます。

強欲を象徴するキャラクターが出てくるんですが、彼は仲間を大切にしています。

このことは結構核心をついている気がしていまして、お金とか権力とかあらゆるものを手に入れたとしても、近くに友達や仲間がいないと虚しいと思うんですよ。

これは幸福の資本論でも、「社会資本からしか幸福は生まれない」との記載がありました。

強欲の行き着く先が仲間だとしたら、それほど悪い事ではないと思いますが、排他的な仲間集めだったらちょっとやだなーってところでしょうか。

鋼の錬金術師では、旅の途中途中で仲間が入れ替わります。

当然のことながら、仲間達にはそれぞれの人生があり、果たすべき役割があるので、ベクトルが同じなら同じ旅をするし、ズレればそこで別れます。

ワンピースはベクトルが長い距離同じと言えそうですが、実際にはルフィの夢以外に語られる事は後半になるにつれてなくなります。

海賊王になったら、その後考える的な感じなのかも。

呪術廻戦にしてもドクターストーンにしても、主人公とボスキャラ以外の人生はそれほど重要視されていませんが、鋼の錬金術師は誰が主人公になってもおかしくないキャラ立ちが特徴と思います。

それぞれの人生があることは当然なんですけど、これを企業に置き換えると少し違った見え方になります。

企業は従業員を雇用するときに、「俺の人生についてくるか」を確認します。

俺とは、社長ではなくて企業であることを強調しておきます。

企業の人生とは、売上を上げ続けて、コストを下げ続けるつまらないけど資本主義では正しい人生です。

これにコミットする仲間に入社してもらうのですが、企業は従業員一人一人の人生を考えません。

企業は生き物ではなくシステムなので、情が及ぶところがないのです。

ハイキューというバレーボールをテーマにした漫画がありますが、いつものメンバーが入れ替わることはありません。これはスポーツというシステムにコミットしたメンバーが集まっているから。

実際の企業もスポーツもメンバーが突然辞める事がありますが、システムはそれを受け入れようとしないんですよね。

鋼の錬金術師では、平然とそれを受け入れていて登場人物一人一人を大切にしていることが分かります。

僕は企業という形がこの点でダサいと感じていて、例え離れ離れになったとしてもいつかまた一緒になる時もあるくらいの許容があっていいと思うのです。

以前いた大手企業では、出戻りOKな制度がありました。
一度辞めてもまた戻ってきていいよという制度。

僕は使っていませんが、実際にはよく使われていたようです。

この制度は結構いいなと思っていて、挑戦が怖くなくなりますし、会社としても社員を旅に出す気持ちになれます。

しかし超絶矛盾がありまして、僕が辞めようとする社員を止めちゃうんですよね。

なぜなら、まだこの会社で学ぶことがあると感じるからです。

とはいえ、それは一体どこまでなのか線引き出来ていませんし、ただ寂いしいからということも否定できません。

結局のところ、僕に許容が足りないのかなと思ったのですが、多分、僕がエドとアルのように自分の旅をちゃんとしていないからそう思うんだろうと感じました。

僕は人が育つ環境を作りたいと考えていますが、振り返るとエドとアルほどの覚悟を持ってその旅をしている訳ではありません。だから他人のことを気にしちゃうんでしょうね。

もっと自分の旅を大切にすべきですね。

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