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コロナ禍で廃業したラーメン店「国分町味よし」の営業再開を決心しました

はじめまして。仙台・国分町のラーメン店「味よし」で店長をしていた氏家剛と申します。

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味よしは先代である私の父が50年以上前に開業したラーメン店でしたが、コロナ禍で2020年4月に閉店を余儀なくされました。

一度はお店を諦め、生活のためにハローワークで就職活動を行う日々も続いていましたが、「父が作り上げたこの味を残したい」という思いや妻の助言もあり、キッチンカーでの営業再開を決心しました。

現在は、順調にいけば2021年2月に再開できるように準備を進めています。再開にあたり、コロナ禍で苦しむ飲食業界の現実や味よしのことを多くの方に知ってもらいたいと考えて、初めてnoteを書くことにしました。

味よしのやり方が正しいのか、今はまだ分かりませんが、応援してくれる方がいらっしゃればすごく励みになります。

また、緊急事態宣言が続く中、多くの飲食店が苦しい状況に陥っています。同じ立場にある方に少しでも参考になれば幸いです。


味よしについて

1966年、初代店主である父が30歳の時に、仙台市三番町にてラーメン店『味よし』を開業しました。

店は、8坪ほどのカウンターだけ。一般的なラーメン・焼そばからのスタートだったそうです。その時、自分は1歳でした。

4年後、1970年に大町の少し広い店舗へ引っ越ししました。この頃、ラーメンに加え和食や洋食も出す大衆食堂へとモデルチェンジしました。
自分は幼稚園に入園。両親はとても忙しくしていました。とにかく出前が大変だったようです。

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店を切り盛りしながら、父はラーメン一本で出前をせずに経営を成り立たせたいと考え、仕事を終えた夜に空き店舗を探し回ったそうです。

そこで目を付けたのが東北一の繁華街「国分町」でした。日本は高度経済成長期で、人が娯楽目的で仙台の中心に集まり出した頃。国分町路地の角地の店舗と運命的な出会いをした父は即決し、1975年、国分町に『味よし』を移転しました。父が40歳の頃です。
この時、自分は10歳でした。

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父が若い頃、横丁で食べた美味しいメンマがのった細麺の味噌ラーメン。いつか自分もあんなふうに作ってみたい、と、試行錯誤を重ねあみ出したのが、今に残る味よしの味噌ラーメンです。

ですから、父も自分も、細味噌が好きなんですね。メンマも、一から味付け。妻は、食べるのが遅くてすぐに伸びちゃうと言い、太麺が好みのようですが。

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その後、味よしはバブル時代へ突入した好景気と共に発展することができ、1997年までに3店舗まで拡張しました。

・・・ところが。
バブルがはじけて下がった景気が盛り返したかと思った1997年でしたが、翌年以降、右方下がりに景気が低迷。
20002年に1店舗を閉店、その数年後にはもう1店舗の経営を関連会社に譲渡することととなり、以降、国分町店のみで経営してきました。

仙台の街並み、国分町の人の流れも、この半世紀でだいぶ変化しました。
仙台初の地下鉄となる南北線の開通や「東北楽天イーグルス」の創設。バブル期の絶頂で人が賑わっていた繁華街・国分町からもだんだんと人の流れが分散していきました。

そして、2011年3月11日の東日本大震災
復興支援になればと震災直後から炊き出しを画策しましたが、ガスが使えず、飲食店でありながら、何もできませんでした。
また、震災で流通がストップしたことで、抗がん剤治療中だった母の治療薬が全く手に入らなくなり、治療半ばで2011年10月に命を落としてしまいました。
亡くなる直前に、母は妻に対して「剛を頼むよ、店を頼んだよ」と、言い残したそうです。
・・・味よしの発展の裏には、常に母の尽力がありました。
大きな後ろ盾を失ってしまったことは、店にとっても自分にとっても暗い影を落としました。
一家にとって悔いばかりが残る年・・・。

ずーっとこの仙台の地に生まれ育ち、沢山の人に支えられて来たのに、何もできなかった・・・。何か手だてがあれば、何かしらできたかもしれないのに・・・。

そんな思いの、自分と妻でした。

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仙台はさらに、2015年12月に2本目の地下鉄となる東西線が開通。
仙台駅にますます人が集中し、どんどん東口への整備が進み、オシャレな駅ビルが建って行きます。その時に思ったのが、「国分町って、こんなに人がいなかったっけ?」ということです。

そして、新しいこってり系ラーメン店が仙台にも沢山軒を並べるようになり、味よしのあっさりした昔ながらの味わいからは徐々に客足が遠のくようになりました。

それでも、東北一の繁華街・国分町の締めの一杯として多くの馴染みのお客様に支えられながら、営業を続けてきました。


コロナ禍で廃業

そんな矢先の2020年、新型コロナウイルスが直撃します。

そして、仙台で一番はじめにクラスターが起きた場所が、店のある国分町からさほど遠くない、一番町の飲食店でした。

それまでもコロナの影響で客足が遠のいていましたが、このクラスター発生が報道された日の夜から今までとは比べ物にならないほど売り上げが急落しました。ひどい日は、通常時の4分の1以下ということも…。

それでも収束する事を強く願い営業を続けていましたが、ある日社長である父の口から「このまま続けていてもいずれ借金をするようになってしまうので、そうなる前に廃業しよう」と言われました。

正直、このままでは店を維持することも難しい状況でしたし、この頃は国や県による助成もハッキリ決まっていなかったので、廃業を受け入れざるを得ませんでした。

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2020年4月18日、開業から54年、国分町に店を構えて40年以上の歴史に終止符を打ち、味よしは営業を終了することとなりました。

キッチンカーで再開を決意

店を閉店してからしばらくは、ハローワークに通いながら職探しをしていました。調理師の資格を活かそうと飲食店の求人を探しましたが、予想通りコロナ禍で飲食店の求人はほとんどありません。2社ほど履歴書を送ってみましたが、採用には至りませんでした。

働き口も見つからず、希望が見えない中、妻から「あなたは本当はどうしたいの?」と、聞かれました。

私は正直に「今はとにかく収入の為にどこかで働くけど、いずれは細々とでもいいからまた店をやりたい。」と、答えました。

妻は、「本気でそう思うなら、私も全力で手伝うよ!前からキッチンカーがあったらいいよねって話してたじゃん。キッチンカーやろうよ!」と、私の背中を押してくれました。

正直、閉店のショックから立ち直れず、まだ前向きになれない自分でした。資金もノウハウも無くて、現実的じゃない、という思いになります。

しかし、妻はじっとしていられない性分で、
「区役所で支援制度をい聞いてきたから」
「起業相談してくれる『仙台市産業振興事業団』のアポとったから」
と、私に替わって動いてくれました。これが閉店してから3ヶ月ほどたった7月初旬のことでした。

2020年7月2日に、初めて仙台市産業振興事業団を訪問し、担当の玉置さんと夫婦で面談していただきました。キッチンカーをやってみたい旨を相談すると、キッチンカー製作に携わっているイベント会社(株)HAKKAを紹介して下さいました。

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(株)HAKKAの代表である小松さんと面談する中で、キッチンカーにかかる費用、作製会社について、納車までの期間、出店場所について等の詳しいお話を聞くことができました。それに対して玉置さんは融資先の紹介やクラウドファンディングの提案をして下さり、雲を掴むような話だったものが現実味を帯びてきました。

小松さんを通してキッチンカー製作をしている(株)THREEさんに見積もりをとってもらったり、キッチンカーに必要な機材を教えていただいたりする中、同時進行で玉置さんには融資を受ける為に必要な創業計画書の見直しやクラウドファンディングについての相談に乗っていただいていました。

そして、9月半ばにキッチンカーを実際に見てみましょうということで、(株)THREEさんを訪ね、キッチンカーに実際に設置してある厨房機器を見て、触れたその時に、よし、やるぞ、という気持ちが強く湧いてきました。
(実は、それまでは面談して相談に乗ってもらい、パソコンに向かうだけでしたので、料理人の私にとっては紙の上で物事が進んでもピンときていなかったのが正直なところだったのです。)

さらに、小松さんからの紹介で10月31日と11月1日にイベント出店の機会をいただきました。

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イベントでは、2日ともすべての時間で長蛇の列となり、予想の倍以上の食数の売上げとなりました。レジ担当だった妻は、沢山の人から味よし再建を願う励ましの声をいただいたそうです。
この2日間の出店で、味よしはこの半世紀で地元に強く根付き、多くの方々に支えられてきたのだということを改めて実感し、ますますキッチンカーでの再起への力をいただきました。

その後、日本政策金融公庫から融資を受けることが決まり、キッチンカーの契約も済ませて、現在は2月中旬の再開を目指して準備を行っているところです。

準備の状況や再開後の営業場所などについては、TwitterFacebookで発信していきたいと考えています。


また、味よしの再開を多くの方に知ってもらおうと、2月25日までクラウドファンディングを募集することとしました。おかげ様で、多くの方から温かいご支援と応援メッセージをいただいております。もしよろしければご支援をいただけますと幸いです。

おわりに

最後までご覧いただき、ありがとうございました。
皆様の力強い応援をいただきながら、国分町味よしはキッチンカーで復活します。
店を構えていた時は、うちのラーメンを食べる為にわざわざタクシーを利用したり、遠方から電車を乗り継いで来店してくださる方がいらっしゃいました。本当に嬉しい限りでした。
キッチンカーでの営業が始まりましたら、今度はこちらから皆様のお近くへ出向いて昔から変わらない味よしのラーメンをお届けしたいと思います。
これからもよろしくお願いいたします。

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