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オーバーワークの悪循環

特に体の不調は感じないのに何故かパフォーマンスが停滞したり、すぐに疲れてしまうといった経験をされたことがあるかもしれません。

それが数日では回復せず、数週間あるいは数カ月、場合によっては年単位で続くような大変困った状況はオーバーリーチング、オーバートレーニングといった言葉で知られています(この記事では一括してオーバーワークと呼ぶことにします)。

このような状況は過酷なトレーニングを続けるアスリートだけに起こるものなのでしょうか?

答えはノーで、オーバーワークの弊害は誰しもに起こり得ます。

今回の記事ではオーバーワークな状況ではなぜパフォーマンスが停滞してしまうのか?についての一説をご紹介し、皆さんが実施しているトレーニングの中に潜むオーバーワークの危険性をチェックしてもらおうと思います。

是非、最後まで読み進めてみてください。


オーバーワーク

この記事では「オーバーワーク」をパフォーマンスが停滞したり、今までよりもトレーニング中疲労しやすくなってしまった状況を指すことにします。

一回のトレーニングというよりも、週単位、月単位の積み重ねで生じるものだと捉えてください。

では、今皆さんが行っているトレーニングは丁度良い刺激なのか、それともオーバーワークになる可能性がありそうでしょうか?

これを判断するのはなかなか難しい問題です。

というのもトレーニングは週単位、月単位で「今までよりも高い負荷をかけること」にチャレンジしていくもの。言わば現状を突破する試みです。

上手くパフォーマンスが向上できたのであれば丁度良かったと言えますし、疲労が重なりパフォーマンスが停滞してしまったのであればオーバーワークであったと判断されるでしょう。

つまり、今進めているトレーニングが丁度良いのか、もしくはオーバーワークなのかは後々振り返って初めて判明するため、「気づいたらオーバーワークだった」という状況に陥りやすい性質を持っています。

スポーツ科学の分野ではオーバーワークの深刻さによってオーバーリーチング、オーバートレーニングと区分されています。

ざっくりとご説明すると以下のような違いです。

オーバーリーチング
パフォーマンスが数日から数週間にわたって停滞すること。疲労感やその他の症状が見られない場合がある。

オーバートレーニング
パフォーマンスが数週間から数カ月、ときには年単位で停滞すること。症状は人によって異なり、多様。

参考1

上記のように区分されますが、各区分に明確な定義はありません。重要なことは、パフォーマンスが停滞している状態から回復するのにかなりの時間を要する可能性があるということです。

しかも疲労感やその他の症状がないにも関わらずパフォーマンスが停滞することもあり、自分自身の状況が不明になって、焦りから更に強度の高いトレーニングを重ねるという悪循環に陥ることにもなりかねません。

調査研究によれば、大学生の持久系競技者で10%ほどの選手がノンファンクショナルオーバーリーチング以上の状態にあり、アスリートの60%で過去にオーバーワークを経験し、愛好家においても30%ほどの人が経験したことがあるという結果となっています。(参考1)

これらの調査結果からも、オーバーワークははっきりした自覚なしに引き起こされる可能性があると言えます。

では、このようなオーバーワークな状態でパフォーマンスの停滞がなかなか快方に向かわないのはなぜなのでしょうか?

近年、その要因は筋や循環系などの末梢性の疲労というよりも、脳に起因しているのではないかという研究結果が報告されています。

簡単に言えば「脳がトレーニングを受け付けなくなった」ということなのですが、それがどういうことなのかということを少し遠回りをして説明していきましょう。



アロスターシス

体の適応を説明する概念として、アロスターシスというものがあります。

皆さんはホメオスターシスという言葉はご存知でしょうか?日本語では平衡状態を維持する働き、例えるならヤジロベエのように左右に振られても元の直立に戻るような働きを指す概念です。トレーニング理論でもよく登場する言葉です。

この概念をもう一歩前進させたものがアロスターシスで、平衡を保とうとする位置が直立だけではなく、右に倒されたらちょっと右に傾いた状態でバランスを保つような、色んな姿勢で平衡を保とうとする働きを指します(そのため動的平衡と呼ばれることも)。

例えば血圧の変動は常に一定の値に戻るような動きにはなっておらず、寝たり活動したりすることに合わせて異なった値で平衡状態を保ちます。(下図)

参考2

状況に応じて平衡点が調節されるというのは血圧や血糖値などの体の恒常性の維持以外にも、例えば乳酸閾値(LT)での乳酸値の平衡状態など多くのことに言えます。

このような動的な平衡状態を脳がコントロールしているというアロスターシスの考え方が、続くエネルギーコストという問題に関連していきます。



エネルギーコスト

私たちは消化吸収や免疫、ダメージの修復、その他様々な機能がコラボレーションすることで無事毎日を過ごせている訳ですが、トレーニングにかかるエネルギーコストがかさむと、これらに割り振られるべきエネルギー資源がカットされ、トレーニング分へ補填されるような調整が行われます。(下図)

参考3

一般的なイメージでは食事によって必要分のエネルギーを確保できていれば、トレーニング分のエネルギー予算が他のエネルギー予算を圧迫するようなことはないように思えます。

しかし実際にはトレーニングに必要な分のエネルギーが食事から確保できていたとしても、他を犠牲にすることがあるようです。

そのような事例の一つとして大陸横断マラソン時に行われた研究では、フレッシュな第一週には他のエネルギー予算に影響を与えることなく走れていました。(下図)

しかし疲労やストレスが溜まった最終週では、予測される総エネルギー支出よりも実測値が600kcalほど小さくなっていました。走ることにかかるエネルギーは変わりませんので、つまり他の機能が犠牲になっていると考えられます。(下図)

参考4。「予測」はランニングが他のエネルギー予算を圧迫しないと想定した場合の総カロリー。

あちらを立てればこちらが立たず、脳はどうにか体のシステムが破綻しないようエネルギー資源を割り振る必要があります。

ここでアロスターシスの話に戻ります。

例えば激しいトレーニングを繰り返す中で、エネルギー分配の問題からトレーニングが生きることにとって”脅威”であると脳が判断したとします(実際に脅威であるかどうかとはまた別の話)。

そうすると次に同じ状況が発生した場合、その状況から離脱させることが脳にとっての最適解となるため、運動を持続する際に設定される体の各平衡状態は以前を下回るような値に変更されるでしょう。

実際オーバーワーク状態の選手は強い疲労を感じたり、脳からホルモン分泌を刺激するシグナルが低下したり、血中乳酸値が低くなる(グルコースの代謝機能が落ちている)などの症状が現れ、動的な平衡状態が変更されたことが伺えます。(参考5)


さて、少し遠回りをして「脳がトレーニングを受け付けない」状態をご説明してきました。ここで一度整理をしておきます。

高いトレーニング負荷の継続

脳が体の機能を担保するエネルギー分配に「問題あり」と認識する

脳はトレーニングを中止させるよう、辛さを感じやすくさせたりエネルギー供給を下支えするホルモンの分泌を低下させる

パフォーマンスが停滞するor低下する

アロスターシスという概念は、脳がパフォーマンスを積極的に制限させ得ることを説明しています。

このような流れが怖いのは、ケガは時間が経てば治りますが、オーバーワークは脳に定着してしまった認識を解除しない限り元の状態に戻らない可能性があります。

一度何かの技術を取得すればなかなか忘れないのと同様に、オーバーワークという認識を脳が忘れるのにも時間がかかるということなのかもしれません。

オーバーワークは特定の病態ではなく、脳によるある種の防衛反応として起こる場合があり、パフォーマンスが元に戻るまでに数週間、場合によっては年単位必要である理由の一説として、アロスターシスという概念で解説される脳の働きをご紹介してみました。



オーバーワークのチェック

では、今オーバーワークになってしまっているのかを判断できる材料はあるのでしょうか?

血液検査や心拍、脳など様々な研究が盛んに行われていますが、残念ながら確実にオーバーワークであると判定できるような指標はないようです。(参考5)

というのも今までご説明したように健康体であっても脳が拒否するような場合があり、そのためオーバーワークを一律に評価することは困難です。

そこでオーバーワーク関連の論文から、オーバーワークに至るまでのトレーニングサイクルの特徴を抽出してみました。

<トレーニングサイクル>

  • 強度を右肩上がりに増加させている

  • リカバリーの不足

  • 単調なトレーニングサイクル

<パフォーマンスの状態>

  • パフォーマンスが停滞している、もしくは少し低下

  • セッション(一回のトレーニング)の後半、疲労感が通常よりも強くなる

上記のようなトレーニングサイクルを実施していてパフォーマンスが停滞している場合に、もしかするとオーバーワークの危険性が高いかもしれません。


◆強度を右肩上がりに増加させている

今まで以上の高い負荷をかけ、それに体を適応させることが効果的なトレーニングに必要な要素です。(過負荷の原理)

しかしそれを忠実に守って、右肩上がりに負荷を高め続けていこうとするトレーニング計画はオーバーワークの危険性が高まります。

例えばスイートスポットトレーニング(SST)を実施していく際、体の適応を促すには徐々に強度設定を高めていく必要があります。

平均パワーで表現するなら、今日が240wなら次回は少し上げて242wなどと、徐々に上げていきます。

このこと自体に問題はありませんし、むしろそうすべきですが、このような右肩上がりの状況を長期間継続していくことでオーバーワークの危険性が高まります。


◆リカバリー不足

体がどれくらいの時間で回復するのかは非常に難しい問題ですが、リカバリーが適切でないトレーニング計画は良好な適応の循環から外れてしまいます。

良いトレーニング循環がオーバーワークへと変貌する事例を、引用をよく見かけるサラブレッド(競走馬)の研究からご紹介しましょう。

その研究ではサラブレッド7頭に対して37週間のトレーニングを実施。トレーニング内容は以下2つのメニューを毎日交互に実施するというものです。

・インターバルトレーニング(3分ダッシュ-3分ジョグ×4-6セット)
・持久走(20分間ジョグ):リカバリー

2週に1回体力テストを行って、負荷設定を随時更新していきます。

その結果、週を重ねるにつれてサラブレットたちのパフォーマンスはどんどん向上していきました。

しかし37週目から持久走の強度のみを高めた(65%HRmax→82%HRmax)ところ、数日のうちにサラブレッドたちは明らかに疲労し、食欲も落ち、トレーニングを完遂できずにオーバーワークになってしまったという結果になっています。(下図)

参考6

ポイントは隔日で行われていた20分間のリカバリーを、高めの負荷(FTP強度ほど)に切り替えた途端にサラブレッドたちにとって良好なトレーニング循環がオーバーワークへ変わってしまったことです。

どれくらいリカバリーを設ける必要があるのか?を明確にお答えすることはできませんが、リカバリーを犠牲にしてまでトレーニングを行うことは懸命ではないとお伝えしておきます。


◆単調なトレーニングサイクル

右肩上がりではないにしても、高いトレーニング負荷を継続することがオーバーワークの危険性を高めます。

トレーニング用語では「モノトニー(単調さ)」とも呼ばれます。

心拍数やパワーなどをstravaなどのアプリで管理されている方は、「長期トレーニング負荷」や「CTL」、「フィットネス」、「相対的エフォート」といった名前のデータがあると思います。

それらは長期的なトレーニングの推移を数値として出力してくれているもので、この推移が一本調子の方はトレーニング負荷が単調である可能性があります。特に高い値が続いている場合に、注意が必要です。

単調さというのもやはり人それぞれ内容が異なってくるので、具体的な指針をお伝えすることはできませんが、トレーニング内容の単調さに加えて、週単位、月単位で見たトレーニング計画も単調にならないよう工夫していきましょう。



私の事例

以上、オーバーワークにまつわるトピックをお伝えしてきました。最後に私の事例(というよりも検証)をご紹介したいと思います。

本当にパフォーマンスが停滞するのか?を実体験として確認すべく、右肩上がり、リカバリー不足、単調な内容で半年間ほどトレーニングを実施してみました。

<内容>

  • FTPを簡易的に測定(こちらの記事の方法)、強度を決定して開始

  • 一日一時間のトレーニング

  • メインとなるトレーニングをぎりぎり回復した状態で繰り返す(次の内容)

  • FTP+10w(5分):FTP-10w(5分)を4セット連続で実施(つまり40分)

  • 完遂できれば次に実施する際に+2.5w

  • 完遂できなければ再度同じ強度で実施

  • 回復状況が想定以下の場合、65%FTP(60分)などを実施(場合によってはレスト)

回復状況の兼ね合いからメインのトレーニングはスタート当初2日に1回、その後3日に1回、最後は4日に1回ほどになりました。回復の目安はw-upの際の心拍や疲労感、サブメニューとして実施していたチェック項目の状態などから判断していました。

オーバーワークだけに的を絞るのなら回復期間をもっと短くすればいいのですが、富士ヒルクライムに向けてパフォーマンスをアップさせたいので、上記のサイクルでオーバーワークにならなければ御の字、なってしまったらそれも一つの経験だなという感じで進めていました。

<結果>

検証開始から順調にパワーは伸びていきましたが、約半年後の現在、オーバーワークの兆候が出ています。具体的には、

  • メイントレーニングが完遂できない

  • 回復期間を1週間設けても、完遂できていた強度が完遂できない

  • より低い負荷でも疲労感が強くて完遂できない

  • スタート当初のメイントレーニングの平均出力:250w(3.5w/kg)

  • オーバーワークの兆候が出たときの平均出力:295w(4.1w/kg)

この記事を書き終える頃(オーバーワークから2週間経過)にはこのような状況は解消できているかなと期待していたのですが、まだしこりが残っています。

食欲その他、メンタル的にも普段と全く変わりはありません。ただ、以前完遂できた強度のトレーニングが完遂できなくなっています。

このような状況から、オーバーワークであると判断しました。

状況が好転次第追記できればと思います。富士ヒルまであと2カ月、少し不安はありますが自分で蒔いた種なので、上手く回収していかねば。。



おわりに

昨今はスマートトレーナーの普及によりzwiftなどで自宅にいながらにして効率的にハードなトレーニングを行える環境が整っています。

このような環境は非常にありがたいことで、私も日々スマートトレーナーの恩恵を受けています。

しかしともするといつでもハードなトレーニングを行えるが故に、オーバーワークになる危険性と隣り合わせになっていると言えるかもしれません。

今回は私の事例をご紹介してみましたが、トレーニング時間は週で5-6時間ほどです。

オーバーワークを促すような研究においても、週に10時間以内の介入を行うことがほとんどで、決してアスリートのように週に20時間のトレーニングを行わずとも、オーバーワークになる可能性は潜んでいます。

パフォーマンスは過負荷な刺激を体にもたらさなければ高まりませんが、それが過剰になることで停滞を招く恐れもあり、その境目がどこにあるのかは人それぞれ。

そのため近年トレーニング計画のひな形を踏襲すればパフォーマンスが上がるという期待に警鐘を鳴らす論文も発表されています。(参考7)

トレーニングを適したレンジで運用していくことは決して簡単とは言えませんが、それを見つけていく道のりもトレーニングの一つの楽しさと言えるかもしれません。

今回の記事が、皆さんの実りあるトレーニングに役立ててもらえることを願っています。

今回も最後までお読みくださりありがとうございました。

また読みに来てください。


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参考文献

  1. Meeusen, R(2013). Prevention, diagnosis, and treatment of the overtraining syndrome: Joint consensus statement of the european college of sport science and the American College of Sports Medicine. Medicine and Science in Sports and Exercise, 45(1), 186–205.

  2. Sterling, P. (2012). Allostasis: A model of predictive regulation. Physiology and Behavior, 106(1), 5–15.

  3. Pontzer, H. (2018). Energy constraint as a novel mechanism linking exercise and health. Physiology.33(6), 384–393).

  4. Thurber, C. (2019). Extreme events reveal an alimentary limit on sustained maximal human energy expenditure. Science Advances, 5.

  5. Halson, S. L. (2004). Does Overtraining Exist? An Analysis of Overreaching and Overtraining Research. Sports Med,34(14).

  6. Bruin, G. (1994). Adaptation and overtraining in horses subjected to increasing training load. Journal of Applied Physiology, 1908–1913.

  7. Kiely, J. (2018). Periodization Theory: Confronting an Inconvenient Truth. Sports Medicine, 48(4), 753–764.

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