通信制高校に入ったきっかけ②

こんにちは、さくらいです!前回の更新から数日が経過してしまいました🥲自分のことを自分の言葉で伝えることの難しさをひしひしと感じています……

今回の内容、前回までよりだいぶ長くなってしまう上に、読みにくいかもしれませんが、自分の気持ちを率直に書き表しました。最後までお付き合い頂けますと幸いです🙇‍♀️


私が不登校となってしまったのは高校2年生の夏休み明けでしたが、それ以前から学校を休んでしまう日はとても多かったです。1年生の頃からなんだかんだ理由をつけて保健室に通ったり、使われていない教室に1人でこもって授業を受けなかったり、という日もありました。あと1時間出席が足りていなかったら単位を落としてしまい進級できていなかった科目があったくらいです。

不真面目な奴だと思われてしまいますね。間違っていません。私は本当に意思が弱い人間だったのです。

高校に入ったばかりの私はとにかく必死でした。周りに馴染もう、早く友達を作ろう、と躍起になっていたのです。私は元来とても人見知りで、自分から行動を起こすことが嫌いで、新しい環境に慣れることにかなり時間がかかってしまいます。中学時代、学校が好きだったと以前の投稿では書きましたが、1年生の頃は入学してもしばらく友達ができず、いわゆる「ぼっち」という状態でした。高校では早く友達作って浮かないようにしなきゃ!色んな人と仲良くならなきゃ!そんな気持ちが先走って、とても無理をしていたなあ、と今では思います。

頑張った甲斐もあり、気さくに話せる友人ができました。ただ、その子の前で自分のままで居られた時間は本当に少なかったと感じています。とにかく嫌われることが怖くて怖くて。好きでは無いことを「好き」と、好きなことを「嫌いだ」と。やりたいことを「めんどくさい」。気になることを「興味無い」と。本当の私のままじゃきっとこの子は離れていってしまうから、少しでも自分を良く見せなきゃ、と沢山嘘を吐きました。

それでも友人たちと過ごす時間はとても楽しかったです。一緒に写真を撮ったり、少し遠出してみたり、夜中に何度も電話して馬鹿みたいに騒ぎまくったり。ほんの1、2年前のことなのに、あの頃の自分を少しだけ羨ましく感じます。ああいうのをきっと青春って言うのかなーなんて思っちゃったり。

そんな生活を続けていましたが、やはり自分を偽るというのは大変でした。次第に学校に行くことが辛くなり、学校を休みがちになってしまいました。最初の方こそ友人達から「大丈夫?」「明日は来れる?」と心配してくれるLINEやDMがたくさん届きました。最低だけど、ほんの少し嬉しかったんです。私のことを必要としてくれていて、気にかけてくれている。自分の存在を認められている気がしました。
慣れ、とは恐ろしいですね。学校を休む日が増える度に、私のいない非日常は日常へと姿を変えていきました。私が居なくても、みんな楽しそうに、当たり前のように生活できることを知ってしまいました。学校を休んだ日に更新される、キラキラ眩しいインスタと、反対にだんだんと少なくなっていくLINEのやり取り。私、いなくてもいいじゃんって思ってしまったんです。必要とされてないんだって。

そこからはもう悪化の一途を辿るばかりでした。いる意味の無い学校に通えない、行っても私を必要としてくれる人はいない。もう自分のことが惨めで惨めでたまらなかったです。
周りと自分の差への絶望で、限界でした。

あまりこのようなことを書くのは良くないのでしょうが、本当に死にたくて消えたくて。電車の時間を調べて、どう飛び込もうかと計画を立てた日もありました。怖気付いてしまったのと、そのようにして死んでしまった場合、家族に莫大な金額が請求されてしまうこと、とてつもない人数に迷惑をかけることを考えて辞めました。その他にも色々考えたのですが、葬儀にかかる費用やら後処理にかかる手順の多さやらを見て、死ぬことは諦めました。でも生きたいとは思わなかったです。死ぬ勇気も、生きる勇気も無かった。あの時死んでしまっていたほうが良かったのかもなぁ、なんて考えてしまうことが今でも時々あります。

学校に行かない、ということにも限界はあります。だんだんと授業への出席日数の猶予が無くなっていきました。これから先、どうするのか。とうとう逃げられない問題と直面することになりました。

用意された道は3つ。今の高校に頑張って通い続けること。定時制の高校へ転入すること。通信制の高校へ転入すること。高校を退学すること。
ここで私が選んだ選択肢が「通信制高校に通う」ということでした。

母を初めて泣かせてしまいました。お願いだから今の高校を辞めないで。普通であって。

なんて親不孝な子供なのだろう、と思いました。親の望む子供になれなくて、決して高くは無い「普通」になることもできない。私はどうしようも無い子供でした。

母の涙を見て、一度私は今までの高校に通おうと決めました。

校門をくぐることがどうしてもできませんでした。足の震えもさと、涙と、抑えきれない嗚咽でぐちゃぐちゃになってしまいました。やっとの思いで校舎に入って立ち寄った保健室でも、1時間ほどで限界を迎えてしまい、そのまま帰りました。

その姿を見ていた母は、私に期待することを辞めたのだと思います。何度も話し合い、通信制の高校へ転入することを決めました。あんなにも暑かった夏はとうに姿を消し、頬を撫でる風に、鋭く冷たい香りを感じる11月のことでした。



これが普通になれなかった私の去年のお話です。ダラダラと書いてしまい反省です……💦この選択が正しかったのか否か。それは今でもわかりません。できることなら周りのみんなのように、普通に高校に通って、普通に卒業したかった。私が普通なら、両親にこんなに迷惑をかけなかったのに。そんな思いは一生消えることがないでしょう。
今の私にできることは、この道が正解だったと言えるように努力することです。美しい花は咲く場所を選ばない。という言葉を知っていますか?どこに咲くかではなく、どう咲くのかが大切なのだとこの言葉が教えてくれました。

胸を張って卒業できるように悔いのないような高校生活を送れたらいいな、と思います!

ちなみにですが、私さくらい、18歳になりました🥳成人です👍👍👍👍👍👍👍👍嫌だ……


いつも以上にごちゃごちゃとした内容になってしまい申し訳ございません🙇‍♀️今回もお読み頂きありがとうございました!

まだまだ暑い日が続くのでお体に気をつけてくださいね☺️

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