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そして東へ

お引っ越しをした。

四捨五入すれば20年住んだことになる神奈川県は横浜市に別れを告げ、じきに都民となる。上京したつもりが、京を越え川を越え辿り着いたのが横浜。住めば都とは言ったもので、すっかり慣れた今となっては愛すべき街、愛すべき第二第三の故郷と言っても過言ではないほどには関わり尽くした。

そう、過去一度たりとも東京都民だったことがなく。

自称ミュージシャン(神奈川県在住•30代男性)
━━━━満を辞しての上京。

格好がつかない。

ブログは、もともとは仕事に関係ない素の自分のこと、趣味のこと、好きなこと等々について書き記すチラシの裏側のようなもので「わざわざSNSで呟くまでもないような」あれこれを投下するはずの場所だったのだけれど(そもそもSNSが苦手なのではあるが)どういうわけなのか「読んでるよ」だの「もっと書いて」だのと同業者・関係者からも言われるようになってきていてあまり気が抜けない。
更新が止まっている『あくらじ』もまた同様に…いずれ。

わざわざ電子の海を泳いで読みに来ておいて内容に文句を言ってくる手合いも居たとして、果たしてそれってどうなのだろうとも思うのだけれど、一応。

駄文乱文についてはあらかじめ悪しからず、ご承知おきいただけますと幸いです。

では書こう。”エモい”を筆に乗せる。

初めて住んだマンション(どうしてもお部屋でドラムの練習がしたかったので鉄筋マンションで探した)は、相鉄線「西横浜駅」から歩いて5分のところ。横浜駅からは歩いて20分。家賃は5万2千円。
家庭の事情で保証人不要の物件を探すほかなく、選択肢は限られたものの、なかなかどうして住みよい6畳1Rだった。あまりの住みやすさに開拓意欲はすっかり薄れ「如何にここから動かずに居られるか」という行政からの立ち退き勧告をものともしない地元民ムーブを繰り返すこととなる。以降も”横浜駅から歩いて帰れる場所”に住み続けた。

以前も書いた気がするけれど現金8万円とボストンバッグ一個で上京した。初期装備にもほどがあるが、貧乏育ちの18歳には大金だった。

「最寄りどこ?」と聞かれて「横浜」と答えると「人住むとこあるの?」とよく言われた。とてつもない都市圏・繁華街なようでいて、その実、10分も歩けば閑静な住宅街だったりする。アクセスがめちゃくちゃに良い上にだいたいなんでもあるので非常に便利。横浜駅を最寄りに定めても徒歩20分圏内に4〜6万円台の物件は意外とある。これから一人暮らしを始める人や横浜に住みたい人のお役に立てれば之幸い。
保土ヶ谷は上り坂が凄まじいのでやめておいた方がいい。西区にとどまるべし。

なお治安はあまり良くない。
疲れた身体を引きずって家路につくにも、ビブレやらドンキやらひしめく西口の繁華街を歩いて突き抜けなければならなかったので、一時的にでも喧騒とエンカウントしたくない人にはしんどいかも知れない。

「顔を出す仕事」をしていると知人・友人への遭遇率も比較的高い。ついさっきまで会場に見に来ていたファンに声を掛けられることなどもあった。タワレコでサイン会をした時は家から徒歩で行ったっけ。懐かしい。

住み始めた頃はまだ西口側に東急ハンズがあった。石橋楽器店もあった。何やら最近大きな施設が建てられたが、一度も入ることなく去ることになる。あの辺りは昨今は夜の店の客引きだらけで、通るたびになんだか辟易してしまう。
吉村家も移転した。長らく続いていた駅の工事はひと段落したらしい。
十数年も住んでいれば街並みも変わるというものだ。

ちなみに横浜駅に歩いて行ける距離に住んでいる=ランドマークタワーやみなとみらい、大桟橋、赤レンガ倉庫、桜木町、中華街などといった主要の観光地にもその気になれば歩いて行ける。

上京(上浜?)初日の夜は、家から見えるランドマークタワーに歩いて行った。土地勘が無かったし当時は今でいうGoogleMap的なアプリもスマートフォンもなかったので40分ほど掛かった。もう二度と引き返せない大冒険に出てきてしまったような不思議な気持ちに包まれたのを覚えている。もとより帰る家はあってないようなものだったので、自分の力で自分の人生を始められた喜びが大きかったのだけれど。
要するに、浮かれていた。

「最寄りどこ?」と聞かれて「横浜」と答えると「遠くない!?」という反応もよく貰った。だいたい仕事で行く渋谷、新宿までは30分ほどなので家から駅まで歩くのを含むと通勤所要時間は1時間ほど。そんなに遠いかな。
都内で仕事をするとなると「今から来れる?」にすぐには行けないことと「終電ヤバいんでお先です」を百万回ぐらい言う必要が生じるのも押さえておいて欲しい。とはいえ小田原や三浦海岸辺りから通っている猛者も時折いるので、それに比べると横浜は恵まれていると思う。

そういうわけなので「今から来れる?」にすぐ行ける、且つ首都圏で終電を逃しても歩いて帰れる距離に居住地を定めてみることにした。今の稼働率をこの先も維持、ひいては底上げしていくことを鑑みると、体力的にも精神的にも、自分の音楽家人生の残り時間がそんなに残されていないような気がしてしまった、というのもある。

「まだ若いんだから」と人は言うかもしれない。
若いんだから、に何が続くのだろう。

若い=なんだってできる、は違うと思う。なんにでもなれる、も違う気がする。

僕は誰かに向かって「まだまだ若い」なんて、とてもじゃないけれど言えないや。

80円で6枚切りの食パンと水道水で日々を耐え凌ぎ「いつかなんとかなるのかな」「そんな日が来るのかな」と不安を抱えていた日々を振り返ると、今はようやくなんとかなっている気がするので、少しは自分を褒めてあげたい。
流石に家賃の滞納まではいかなかった(と思う….)けれど、携帯も電気も数え切れないぐらい止まったし、真冬にガスが止まって水のシャワーを浴びたり、帰りの電車賃が無くて何駅も何駅も歩いて帰ったりしていた。

渋谷のラブホテルで清掃のバイトをしていた時に(初出しエピソード)同僚だったバンドマンのKくんと「いつまでこの日々が続くんだろうね」「いつ抜け出せるんだろうね」なんて、そんな話をよくしたものだ。
ぼやいて、朝まで飲んで、またぼやいて、騒いで、泣いて。
スタジオのゴミ箱から拾った死にかけのスティックでステージに立って、そのまま深夜のバイトに行って。

そんな日々が、今はとてつもなく愛おしい。
あれはあれで、結構楽しかったんだな。

そも、僕には「いつか絶対売れてやるぞ!!!!」みたいなメラメラとしたものがそんなに無く。いつ無くなったのか、バンドを諦めた時に一緒に燃え尽きてしまったのか、その辺りはもう思い出せないのだけれど。
日々を無事に過ごすこと、安寧を得ることに安らぎを覚えてしまった自分に対する鞭・・・と言ったほどの大仰なものでもないのだけれど「根を下ろすほど落ち着くにはまだ早いんじゃないの?」と、気持ちの面でやや枯れ始めたきらいのある自分を駆り立てるために、まずは環境から変えようと思った次第で。

臨界点はとうに過ぎたと思い込もうとしていた。仲間がいなかったら、とっくに音楽を仕事にするのを辞めていたと思う。


どうしようもなく過ぎ去ってしまった後だからこそ、振り返ってから見えてくる時間というものが在って。

今になって過去に目を向けてみると、それらがどれだけ僕の支えで居続けてくれたことか、とても筆舌には尽くし難い。

お金は無くても心は豊かだった。
いつどんな時でも音楽はすぐそこに在った。

街を歩いたって誰も僕に気付きはしないけれど、スタジオに行けば、会場に行けば、掛け替えのない時間を共にする仲間が、スタッフさんが、お客さんが、確かに居たのだ。

規模や人数ではない。金額でもない。言葉で追いつけてしまえるほどわかりやすいものではない、名前のない感情の連続体。そのひとつひとつが、今の自分を形作ってくれた。ぼやけていた像に輪郭を与えてくれたと、そう思う。

こんな僕にでも何かできることがあると。
此処に居ていいのだと、そう思わせてくれたものたち。

全ては、横浜という街に降り立ってからはじまったことだ。

忘れ得ぬ日々を想う。

あの場所も。
この場所も。
大きかったり小さかったり。
あったかくて、熱くて、優しくて。
どんなに疲れていても、舞台に上がれば笑顔になれた。
小さい頃からの夢だったアメリカにも行けた。
言葉を失うほどの感動を味わえた。
いつの間にか、海を渡っても
僕の名前を呼んでくれる人たちがいた。
イギリスにも行った。
超満員のハッピーバースデー!ありがとう!
「あなたのドラムが好き」と言ってくれる人がいたから
今日まで歩いて来られた。

ちょっとだけ重い病気になったり、怪我をして休んだ期間もあったけれど、仕事を飛ばしたことはただの一度もなかった。
それは数少ない、自分の誇れる部分。
この仕事を、この日々を、心の底から愛しています。

ずっとひとりぼっちだと思っていたけれど、いつの間にかこんなにも寄る辺がある。

決して技術的に優れているわけでも、仕事の要領がいいわけでもない。曲を覚えるのだって遅い方だし、ぜんぶ独学で、現場で叩き上げられてきた、恥と泥にまみれた雑草中の雑草だ。
「なんであいつが」と思う人もいたかも知れない。「自分だったら」と思う人も。「もっと他にいるだろう」と思う人だって。

それでも、この場所を誰かに譲りたくなんてない。
絶対に、誰にも譲りたくない。

たとえ生まれ変わっても、また同じ人生が良い。

泳ぎ方を思い出せなくなって、流されて、どんなに溺れて沈んでも。最後には辿り着ける岸があった。

お金も名声も要らないから、僕が尽くしたい人たちと居させて欲しいな。
時間が許す限り、命の限り、どうか。


僕を僕で居させてくれた全ての人に、あの街で暮らしていた日々を共にしてくれた、全てのものたちに。
心の底から感謝しています。

横浜。大好きな街でした。
育ててくれてありがとう。




そして新居で初めての夜。珍しく、ひとりでビールなんて飲んでいます。

明日目が覚めたら、知らない街の、知らない天井なんだよな。

「これからここで生きていくんだ」って。18歳の頃の僕を、愛しくてたまらない思い出ごと抱き締めて、今夜はゆっくり眠ろう。

見果てぬ夢に胸を焦がすあなたに。明日への不安に心を蝕まれるあなたに。過ぎ去ってしまった日々に忘れ物を取りに行きたいあなたにも。
どうか幸運が訪れますように。

ひとりじゃないです。
なんとかなります。

大丈夫さ。


読んでくれてありがとう。

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