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一夜明けて

SOMOSOMO
Zepp ONE MAN TOUR 2024『REAL』
Zepp Shinjuku公演

ドラム&マニピュレーターとして参加させていただきました。

SOMOBAND(仮)

個人的な所感としては「とんでもなく楽しかった」と「光栄でした」に尽きる。月並みな言い方だけれど”忘れられない一日”になりました。

僕は役に立てただろうか。
自分で良かっただろうか。
きっと大丈夫だったはず。うん。

多くの人が喜んでくれていたから、それが何よりの答えだったと思う。

「楽しかったライヴ」って、思い入れが強い因子があればあるほど(例えば憧れだったZeppに立てた、という達成感なども含めて)一生忘れられない宝物になるから。この先の人生で色んなことが起きていく中で、支えになるような日になれていたらいいなと思う。
観に来てくれた人たちにとっても。彼女たちにとっても。

自分にとっての"そういう日"も鮮明な思い出として、お守りとして、ずっと残っている。僕の過去と重ねて比較するわけじゃないけれど、そういえば自分にもそんな頃があったな、なんて柄にもない感慨を抱いたりもした日だった。

制作・技術の方々、とりわけFOHの渡邉さん、モニター/アシスタントの齋藤さんにはこの場もお借りして(当人たちにも直接口頭で伝えはしたのだけれど)改めて心より感謝御礼を申し上げます。

軽んじられるとまでは言わないけれど、制作サイドはお客さん目線だとスポットが当たるセクションではないから、影の苦労に対してなかなか理解が及びにくいところに忸怩たる思いがある。『裏方』とは言われたもので。

僕には「それが仕事だから」で片付けてしまえるほど簡単なことには思えない。本来ならとんでもない偉業なのに「音は良くて当たり前」「できていて当たり前」で、逆に何かあればすぐに悪者として見られがち。演者も言ってしまえばそうなのだけれど。

我々演奏家がどれだけ音を奏でたところで、彼ら無くして客席には届かないのだ。とてつもない重責のもとで仕事を担ってくれている人たちだ。尊敬しかない。

今回ドラムを手配してくれた(株)エレクトリのAR担当・清水氏と、LERNIのスティックをいつも提供してくださっているモリダイラ楽器の梶田氏にも御礼を申し上げます。

ケータリングの飲食物、綺麗な楽屋も、誰かが用意してくれたもの。用意するに至るまでの発注から、飾りつけと張り出しも。
毎度関わる現場においては可能な限り顔と名前を覚えて帰るのだけれど、全員にきちんと挨拶し切れなかったのが悔やまれる。

安心していい演奏ができたのはあなた方のお陰です。

本当にありがとうございました。



「なんか"バンド感"すごいありますよね」

とはFOH渡邉さんの弁。
Y.O.U.さんのバンドe:choでは7年ほどサポートを続けさせてもらっているから、メンバーであるギターの884を含めここで固まっている音があり。
MASUMIとは10年以上の付き合いで、彼のバンドをサポートしていた時期もあれば一緒にプロジェクトをやっていた時期も、同じ現場を回していた時期もあり。
Y.O.U.さんを引き込んで自分の現場で弾いてもらうこともあれば。
MASUMIとY.O.U.さんで別の現場に飛び込んでいくこともあり。

ある意味、自分のバンドがあったとしてもそれ以上に一緒に音を出しているメンバーと言っても過言ではないのかもしれない。
4人で住んでる家はないけれど、集まれば井戸端がその時の巣になる。

その昔ある現場で言われたこと。

「Y.O.U.さんがお母さんで、あくとさんはお父さんって感じですよね、なんか」

・・・そこはお兄さんとかじゃないんだね。
あとY.O.U.さんがお母さんなのは見た目のバイアスで、キャラクター的には僕がお母さんな気がする。どうだろう。
僕は初っ端から「よしよし」ってベタベタに甘やかすタイプで、Y.O.U.さんは「えー?どうしようかなぁ?」とぼやきながらも甘やかすタイプだ。たぶん。僕には甘い気がする。どうだろう。
思い返してみると、彼の右腕みたいな立ち回りが多いような気もする。それは単純に”リズム隊だから”というくくりによるものではないと思う。僕がお世話を焼くのが好きなタチなのもあるのかも知れない。

同じリズム隊としてだけでなく、ビジネスのワークフローから物事への認識や嗅覚、周波数みたいなものが近しいと感じる部分も頼もしい。なんせ長いこと一緒に居るのだ、何をどうすればいいかは肌感覚で解る。
飄々としていて時に毒っぽい人だから「(あくちゃんなら全部任せられて)楽だから」なんて言い方をされるのだけれど。
今更なんも言わんでも別にね、みたいなところは、ある。同期だったらMASUMIぐらい親友だったかも知れない。
もちろん友達ではあるんだけど、先輩だし、兄貴みたいなものだからね。

あと自分にとっては稀少な"同じ空間に長時間居合わせても疲れない人"だったりもする。とどのつまり。要するに、色々と楽なのだ。

因むと、僕とY.O.U.さんはライヴの前日に同じMV撮影の仕事でゴリゴリに肉体を酷使していたのでそのダメージを大いに引き摺った一日でもあった。たかだか現場が一日二日続いたぐらいで何を、という話でもあるのだけれど、こうやって共感と経験を長い時間をかけて分かち合ってきたから今に至るんだよな、などと妙に感慨深い気持ちになったりもした。

楽しかったな。本当に。



ライヴハウスに出るのが夢だった。

『仕事だから』『観に来てくれる人がいるから』といった指向性のない、漠然とした、しかしながら純然たる願い。会場の良し悪しなんてよく知らないし、機材のこともわからない。リハーサルの進行の仕方も、モニターの注文の出し方も、PAや照明といったセクションに関する知識も何もなく、ただただ純粋に「ライヴハウスに出てみたい」と思っていた。

なんかバンドやってる感あるし!カッコいいじゃん!みたいな。

混じり気のない憧れが叶った日の感動を、今も覚えている。会場の名前も。フロアにはお客さんが何人いて、リハーサルではメンバーと何を話したか。対バンはどんな人だったか。どんな想いで演奏をして、どんな気分で家路についたか。何もかもを。


バンドを組むのが夢だった。

超がつく田舎では髪を伸ばしているだけで不良扱いなので、ロックな音楽を、それも大きな音の出る地下の小屋でやるなど以ての外。東京に行ってプロのミュージシャンになりたい、などとのたまおうものなら、物見世小屋の話の種にされるのが関の山といったところ。

音楽で食べていこう、職業にしよう、という認識/概念すら自分の中に根付いていなかった。同じような仲間が集まれば、何か楽しいことが起きるんじゃないか。夢のような世界が待っているんじゃないかと、何度も何度も空想した。スラム街の犬も食わないようなよくある話で、現実はそんなに甘くはなかった。

続けてきてわかったことは、自分の場合は「どうしてこうなった」と「こんなはずじゃなかった」の成れ果てが、あっちに行ってこっちに行って、ようやく見つけ出せた”居場所の確保の仕方”であり”おそらく向いているであろう音楽家としての生き方”がセッションミュージシャンというスタイルだった、ということ。

それは「それでも」を拭い切れずに、いつかの自分が諦めてきた色んなことを、見果てぬ景色を、違った形で見せてもらえるようになれた、ということ。

”誰かが夢を叶える瞬間に立ち会える”生き方を選び取れた、ということ。そんな風に言えるのかもしれない。

「自分に誰かのサポートなんて無理だ」と思っていた時期もある。”仕事”だなんて烏滸がましい。とてもお金なんてもらえない。元来僕はそういう、自己肯定感がマリアナ海溝より深くに位置する気質の人間なのも手伝って、それをどこかで割り切ることを『バンドで夢を叶えたかった自分』を手放すことに直結してしまうかのように思い込んでいた節がある。

このところ自己の変遷を振り返りがちなのは、生活環境が一新される状況なのも大いに手伝っているものと思う。引っ越しの準備って過去と向き合う作業だね。

自分がはじめてZeppに立った日のことは、本当によく覚えている。

もう10年以上も前のことになるけれど”その日”があったおかげで、バンドを諦めたことも、音楽業から身を引こうか悩んでいた時も、色んな辛いこと悲しいことに打ちのめされた時も。
「それでもあの景色があったから」がんばれた。生きて来られた。
お守り代わりの思い出のようでいて、ある意味では呪いのようなものでもある。どうしようもなく魅せられてしまった。虜になってしまった。ここ以外での生き方がわからなくなるぐらい、記憶に焼き付いた日だった。

昨日は「僕がはじめて”友達とのバンド”でZeppに立てた日」と言える。Y.O.U.さんに、SOMOSOMOに、連れていってもらった。どれほどありがたいことだろう。

みんな眩しくて、輝いていて、こっちが思わず泣くところだった。危ない。ただでさえ涙腺緩いのに。

夢のお手伝いをさせてもらった。僅かながら、微力ながら。
7人で、あんなにも素敵な空間を創り上げていた。
後ろを任せてもらえて感謝しきり。

ちなむと演奏中、派手にパフォーマンスをしているようでいて実は冷静に袖や周囲を見渡したりもしているのだけれど、制作陣の満足気な「うんうん」顔でまた泣きそうになったりもしていた。なんですかその顔は。もう。

あとはやっぱり、バンドメンバーがこの4人だったから、それはもう楽しかったなぁ。こんなに楽しい仕事でいいのかな。これまた泣きそうだった。すぐ泣く。

柄にもなく”はしゃいで”しまった。楽しかったんだ。本当に。

サポートする側なのに、大切なものを思い出させてもらったような。影を落としていた心の弱い部分に、仄かに火を灯してもらったような。
自分のキャリアの中でまた一つ、心の底から誇れる宝物のような一日になりました。

ありがとう。

この仕事ができて幸せ。

僕が喜ばせたい人たち、笑っていて欲しい人たちがそうあってくれたら、いつだって此処が自分の最果てでいいや、と思う。

しかしながら”幸福”とは、辿り着いた場所じゃなく状態のことを指すから、この先も走り続けなくちゃならない。
楽しい道は、決して”楽な道”ではない。
けれど、背中を押してくれる思い出がまた一つ増えたことを祈って。

また。ここから始まる。
いつだってここが、夢の最果て。


思い出をありがとうございました。



・・・最後にいっこだけ。

生まれてはじめてお客さんの前でセンターお立ち台に立ちました。
でしゃばってすいませんでした・・・その場のテンションって怖いな・・・。
あ、見た目で怖がられるけどただの無害な臆病者です。ドラム叩いてる時だけスイッチ入るので「喋ってみたら思ってた人と全然違う」ってよく言われます。すいません・・・。

以上。

読んでくれてありがとう。
9人目の推し(8人目はY.O.U.さんなので)になれたらいいな!!!!!


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