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日本最北端紀行。その2(本州脱出編)

前回のあらすじ

下記参照

2日目

旅程

秋田→青森までのルート。こうして素直に行けばおおよそ4時間程度だが…

秋田駅6時13分発の奥羽本線・大館行きに乗車。
乗車前に、駅前のセブンイレブンで朝飯のパンとおにぎりを買ってきた。秋田らしいものを食べたい、というせめてもの願いは叶えられなかった。
この日は、秋田から青森に向かい、そこからはフェリー函館まで渡り、夜は函館の街を楽しむ計画を立てていた。電車でも函館には行けたが、フェリーも楽しそうだという好奇心が勝ち、旅程に組み込んだ。
フェリーの出航時刻、あとは青森で昼食にするのでその時間も考えると、正午には青森駅まで着いていれば十分そうであった。秋田から青森までは奥羽本線で4時間程度で着くため、6時発の電車に乗るのは少し余裕を見すぎにも思える。

なぜこの電車に乗ったか。
奥羽本線ではなく、五能線に乗りたかったから。

秋田駅を出て、途中の東能代駅にて下車。
そこから五能線に乗り換えた。

というわけで…。

旅程(変更後)

変更後の旅程がこちら。五能線経由にすることで所要時間は4時間→6時間に増える…

五能線とは、日本海側の海岸線に沿って運行している電車。白神山地や十二湖などの最寄り駅もこの路線上にある。いったん海岸線のほうまで出て迂回するぶん、奥羽本線を使うルートよりも所要時間が延びた。前日夜遅くまで電車に乗っていたこともあり、できればもう少しホテルで寝ていたかったのが本音である。
しかし、それを取っても余りあるほどの絶景が車窓の外には広がっていた。快晴の青空と、真っ青な海。水平線がくっきりと見える。そんな中に加わる陸地の緑・茶色が良いアクセントになっている。
こんなに良い景色を見られるならば旅の人も多いかと思っていたが、乗客は意外と少なく、車内にはゆったりとした時間が流れていた。時々うたた寝しつつ、ただ電車に乗ってぼーっと景色を見ているだけでよい時間を過ごした。
川部駅が五能線の終点であった。そこからは再び奥羽本線に乗り継ぎ、青森駅を目指した。先ほどまでは時々雨雲も見かけていたが、このときにはもう無くなっていた。

能代駅のホームにあったバスケットゴール
車窓からの景色。絶景!
五能線終点駅 川部駅

青森駅に到着。
改札を出るとすぐに、青森の名産品を多く取り扱っているお店『A-FACTORY』を目指した。数年前に青森に来たときも立ち寄ったのだが、シードルの試飲などができて楽しかった記憶があり、お昼時は絶対にここに来ようと決めていた。
以前は気づかなかったが、名産品の売店や試飲コーナー以外にもちょっとしたフードコートがあった。そのうちのあるお店にて、オムライスとアップルハイボールのセットを注文。シードルを提供しているお店は他もあったが、ハイボールも飲んでみたいなと思ったので、この注文でよかったなと思う。帰り際には売店にて、フェリーで飲むためのりんごジュースを購入した。

オムライス&アップルハイボール
A-FACTORY。建物がかっこいい

A-FACTORYを出た後は、青森市内の循環バスに乗ってフェリー乗り場に向かう。
乗り場の受付で乗船手続きを済ませると、いよいよフェリーへと搭乗。乗用車も運べるタイプのフェリーで、乗用車と我々一般人の入口が同じところだった。大型トラックが運び込まれ、係員の誘導に従って停車しようとしているすぐ隣を進む。
フェリー内には、ベンチやソファに腰掛けられるスペースの他に、雑魚寝ができそうな広々とした座敷の部屋もあった。当初は深夜便を使って、寝ている間に函館に移動する案も計画していたが、その場合はこうした部屋で寝られるのか、と具体的なイメージがようやく沸いた。
見たところ乗客も少なそうで、ここでゆったり過ごすのも悪くなさそうだ。そう思い、座敷の一角に寝転ぶ。今朝も早起きで、まだ昨日の疲れが残っているのも感じられただけに、寝ようと思えばすぐに寝られそうだった。一方で、せっかくフェリーに乗ったんだから景色など楽しまなくてもいいのか、という想いも沸いてきて、しばし葛藤した。
そんな最中、お手洗いに行きたくなったので席を外した。戻ってくると、先ほどとはうって変わって大勢の人が船内に溢れかえっていた。自動車の運び込みが行われたことで、車に乗っていた人たちが続々と入船していたためだった。自分がもといた場所の隣には赤ちゃんを連れたご夫婦が陣取っていた。赤ちゃんは静かに寝ていたが、もし起きて泣かれたりしたら自分は寛げなさそうだと思い、代わりの場所を探すことにした。
だが、既に他のエリアも人で埋まりつつあった。『座席取れたよー。優先席だけど』と電話口で話す人の声も聞こえてくる。その辺で空いていたカウンター席に腰かけてみるが、隣で夏休みの宿題をしている女子学生たちの邪魔をしているように思えてしっくりこない。フェリーは既に出港しており、今更「しっくりくる場所がありません」なんて理由で降りることはできない。
結果、先ほどとは異なる座敷の部屋に残っていたわずかなスペースを確保した。横たわると、近くで寝ていた人の足がすぐ側にきて臭かったので、頭と足の向きを逆にして再び横たわった。
座敷の部屋にはテレビがあり、高校野球が流れていた。雨で試合が一時中断されている様子が放映されていた。部屋の窓から外を見やる。快晴とは言えないが特に雨風なく比較的穏やかな天候であり、テレビの向こうの場所とは全く異なるところに居るのだと感じた。
横たわって目を瞑る。しばらくすると、徐々に意識が遠のいていった。

ふと目が覚めた。
1時間ほど仮眠しただろうか。座敷内の空調が寒くて目が覚めてしまった。そのままうつ伏せに横たわっていると、船体の揺れを全身でダイレクトに感じた。どうやら波の起伏の激しい場所を渡っているらしい。
そして、若干の気持ち悪さを感じ始めた。船酔いがやってきてしまった。『船酔いしました』とSNSで投稿するが、こうして真近のスマホを凝視する行為こそ船酔いを加速される。さらに気持ち悪くなってしまい、座敷の部屋を飛び出した。
甲板に出て、外の空気を吸いながら遠くを眺める。無限に続く海面や、遠くにそびえる陸地を眺めていると、多少だが酔いがおさまってきた気がした。ただ、船内に戻って少し時間が経つと、まだ気持ち悪さがぶり返してしまう。入船直後は座敷の部屋を見て、次来るときは深夜便もいいかなとか考えていたが、きっと船酔いでまともに眠れないだろうと思い、脳内でその選択肢を消去した。
そんなわけで、函館に着くまでの最後の1時間ほどはずっと、座ることも寝ることもできず、船内の手すりに捕まりながら窓の外の景色を見て立ち尽くしていただけだった。

甲板からの眺め(出港前ですが)

そのときに、とある老夫婦を見かけた。
旦那さんは鼻にチューブを通していて、奥さんは杖をつきながら歩いている。旦那さんがお手洗いかどこかに移動したいのを、奥さんが介抱してあげているように見えた。
この人たちさっきも見かけたな、と思った。自分が雑魚寝していた座敷の傍らで、このお二人も寝ていた。
ふと、近くにあるソファーのエリアが目に入った。車椅子や足の不自由な人のピクトサインと「優先席」の文字が書かれたそのエリアには、お菓子や飲み物を座席に広げながら、元気が有り余って騒ぐ子供たちと、それに手を焼く親で埋まっていた。
その光景が妙に引っかかった。あの老夫婦にこそ、この優先席を使ってもらうべきじゃないだろうか。なぜ、誰も譲ろうとしないのだろうか。
きっと、そこに座っている人たちにも何らかの事情があったかもしれないが、あの老夫婦のほうが辛そうだと自分には思えた。そんな風に、目の前の光景をただただ傍観して、だからと言って何か働きかけるわけでもなく、ひとりでに心を痛めていた。

フェリーは函館のターミナルに到着した。ようやく、船酔いからも解放された。Googleマップで現在位置を確認し、自分がもう本州ではなく北海道の地に足を踏み入れていることを改めて認識した。
ひとつだけ誤算があった。ターミナルは函館の中心地から離れており、そこまでの行き方を考えられていなかった。近くのバス停も、その日の運行は既に終了した。
幸いにも歩いて行けそうな距離ではあったので、ひとまず歩き出す。とある一角に出ると、近くに『函館駅前行き』の行き先表示が出たバスが停まっており、運良く乗り込むことができた。五稜郭公園の近くにも停車するとのことだったので、その近くで夕食にしようと車内で食事処を調べ始める。結果、五稜郭公園の近くにある回転寿司屋に行こうと思い立った。
お店に近そうなバス停で降り、歩き始める。函館市内は路面電車が走っており、足元のレールの溝にキャリーケースのキャスターが引っ掛からないよう気をつけて歩く。広島や松山、熊本など、路面電車が走っている場所はどこも好きだったので、この街のこともきっと好きになるのだろうとか考えた。
回転寿司屋に到着。ベルトコンベアで流れてくるお寿司がどれも美味しそうで、ついつい多く注文してしまう。なかでも、厚切りうなぎが本当に厚切りすぎて、食べ応えがあってとりわけ印象的。店員さんも、作ったお寿司をベルトコンベアに乗せる前に『ウニどうですか』『厚焼き玉子どうですか』と、いったんお客さんに勧めてきてくれて、ついつい手を伸ばしてしまった。自分の好きなお笑い芸人「さらば青春の光」のコントにも、こんなのがあったなと思い出した。

厚切りうなぎ寿司

この日のお宿に向かう。ハイシーズンゆえどこも値が張ったこともあり、カプセルホテルにした。
チェックインして、受付の方の案内通りにカプセルのあるフロアを目指す。カプセルの中に寝転んでみると、何度か壁や天井に頭や身体をぶつけた。閉塞感も以前よりも感じて、こういうところによくとなっていた学生時代は特に不自由を感じず泊まれていたのにな、と当時からの変化を感じた。
お風呂に行くと、先約の方がいらっしゃった。身体を洗ったり、浴槽に浸かったりした後で、先約の方に引き続き自分もあがり、脱衣所で着替える。
「どちらからいらしたんですか?」
脱衣所にて、先ほどの人から声をかけられた。旅先でよくある、心温まりそうな一幕だ。
ただ、そのときの自分はその声掛けに応えられなかった。『関東から来ました』と正直に答えて、『遠くからよく来ましたね』とか返されるのが、このコロナ禍の中で嫌味に感じられるようになり、何て返そうか悩んでいる間に返答のタイミングを逃してしまった。
そんな理由が真っ先に浮かんだが、今振り返ってみても何か一言返せばよかったと後悔している。相手の方の勇気を踏みにじってしまった。

そんな後悔の念も、寝て起きる頃にはいくらか和らいでいた。周りにいびきをたてて寝ている人などが全くおらず、自分史上最も穏やかなカプセル泊となった。
ホテルを出てようやく、陽の光を浴びた。時間は朝の6時。まだ訪れたばかりで何も知らない函館の街並みが、自分を出迎えるということもなく、ただ眼前に拡がっていた。

つづく

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