靖国神社の厚顔無恥と希死念慮が吹っ飛んだ話:創作のための時事勉強会62

※注意
 本記事は時事的問題について、後で振り返るためにメディアの取材や周囲の反応を備忘録的にまとめたものです。その性質上、まとめた記事に誤情報や不鮮明な記述が散見される場合があります。閲覧の際にはその点をご留意ください。


事例概要

発端

※靖国神社の問題点を指摘すると「行ってこい」と罵倒されるが、そもそも行くわけねえだろこんなクソ神社という話。

※まあ私は行ったんですけどね、という話でもある。

行ったことあるよ

※希死念慮が消えない頃に行って、一瞬で「死ぬべきか、生きるべきか」が「絶対に死んでたまるか!」に切り替わった。そんな場所。

※ちなみにこれらの体験談が拙作『#404NF:銃大国日本探偵録』に主人公の経験としてそのまま描かれている。

個人見解

 まあポストの通りでそれ以上ではないんだが。しかし国のために犬死させられた特攻隊を送った人間のものだと騙る料理を名物として出す神経には参るね。

 要するに靖国神社は国が自分の勝手で殺した被害者を、国が自分たちを美化するために利用しているという場所だ。この場所を見た瞬間自殺の意志を引っ込めるのも納得だろう。自分を死に追い込んだ愚か者どもが、反省するでも弁明するでもなく、むしろその死を華々しく悲しいものだと持ち上げる。いじめで自殺した被害者を前に、加害者が「被害者が死ぬなんて! 気づいてあげられなくてごめんね!」とみんなでわんわん泣いているような……。死してなお己の意志と尊厳を軽んじられるくらいなら、そりゃあ誰に迷惑かけようと生きてやろうってもんだ。

 ちなみにこれもマジの話。そういう薄気味悪い体験がしたいなら一度靖国神社に行ってみてもいいだろう。

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