AIイラストは「生命への侮辱」?:創作のための時事勉強会11

※注意
 本記事は時事的問題について、後で振り返るためにメディアの取材や周囲の反応を備忘録的にまとめたものです。その性質上、まとめた記事に誤情報や不鮮明な記述が散見される場合があります。閲覧の際にはその点をご留意ください。


概要

発端

AI利用とハリウッド

個人見解

魂の表現

インタビューの終盤、インタビュアーからデル・トロ氏に「この映画は骨の折れる芸術作品です。一方で現在は、AIアートが注目を集めています。アーティストを映画制作のプロセスから排除することでも知られていますが、あなたはAIアートを使用していますか。また、AIアートについてどのように思っていますか」という質問が投げかけられました。

これに対してデル・トロ氏は、「芸術は魂の表現だと思います。最高のものは、自分のすべてを包み込むもの。ですから、私は人間が作った芸術を消費し、愛しています。私は機械やテクノロジーによって作られたイラストレーションには興味がありません。人間の感情や表情をテクノロジーで再現しようというような会話が映画について交わされたとしたら、私は深く傷つき、宮崎駿監督が言うように、『生命に対する侮辱』だと思います」と宮崎氏の過去の発言を引用して回答しました。

宮崎駿監督の「生命に対する侮辱を感じる」という言葉を引用してギレルモ・デル・トロ監督がAI生成作品を非難

 芸術や表現という行為はそれ自体が趣味性の強いものだと言える。冷凍食品に「温かみがない」と言うのはばかげているような感じがするが、趣味性の強い芸術鑑賞において「AIによらない人の手による作品を見たい」と思うことは普通の感情である。

 というか冷凍食品を忌避することに関しても、食事の趣味性を考えればそれ自体は不自然ではないのだが。この場合問題なのは自分で食事を用意するでもなくその他家事をするでもないくせに手間のかかる調理法だけを「認める」ような態度である。

 つまるところ今回ハリウッドで起きたストライキに関するAI関連の話題のひとつは、資本家が労働をすることなく利益を享受する一方で、AIの多作性と速度を称揚しそれと対等な勝負を人力に求めていることにも由来するだろう。まさに何もしないくせに冷凍食品に毒づく関白夫が資本家の位置という感じ。

生命に対する侮辱

 デル・トロ氏が引用した宮崎駿の発言は、ドワンゴ川上がAIに人間が想像できない動きを学習させることで気持ち悪い動作を再現させようとしたことに対する発言だったようだ。

「ボロ」制作の合間に、当時ドワンゴ代表だった川上量生氏がCG映像をスタジオジブリに持参して、宮崎氏や鈴木敏夫プロデューサーにプレゼン。「AIで『人間が想像できないような気持ち悪い動き』を学習させることで、ゾンビゲーム等のモーションに用いることができる」と説明を行ったところ、宮崎氏は「これを作る人たちは痛みとか何も考えないでやってるでしょう。極めて不愉快ですよね。極めてなにか生命に対する侮辱を感じます」と意見を述べました。

デル・トロ氏は宮崎氏の発言を引用した上で、「偉大なアーティストであるデイブ・マッキーン氏と話した時に、彼は私に『AIが絵を描けないことが最大の希望』だと言いました。AIは情報を補完することはできますが、描画することはできません。人間の感情や表情、柔らかさを捉えることは決してできません」と述べています。

上記引用と同記事から

 より詳細な当時の指摘は以下に書かれていた。

 当時の状況や背景を正確に追うのは難しいのであくまで私見だが、川上の行為でおそらく大きな問題を孕んだのは、人工知能を通してこの奇怪な描写を行ったことではないかと思う。

 川上はこの奇怪な描写に対して自身の思索や創造に対する責任を負いづらいようになっている。それこそ人工知能を通したからだ。人工知能が学習した内容によって出力したものだから、そこに自身の責任は発生しない。だから「あの...これってほとんど実験なので、世の中に見せてどうこうというものじゃないんです」という釈明にならない釈明が出てくるのだろう。

 宮崎駿が知人の障碍者男性を連想し引き合いに出したことこそ差別だと指摘する向きもあるようだが、これは裏返せば、この表現を出した場合、どういう連想から誰を傷つけることになるかという思慮が行き届いたということである。

 また川上に対する宮崎駿の認識として以下のような指摘がある。

なお、「生命に対する侮辱」発言の真意について2018年10月に開催された「ドワンゴゲーム会議」の中で、宮崎駿氏への独占インタビューが行われています。宮崎氏は「人工知能というものをいろいろもてはやすと、やっぱりばかげたことが起こるんだなって。その時に、川上さんみたいにアナーキーな人は、歯止めを持ってないなと思ったんですね。やっぱり、ごく普通の地べたで暮らしている人間にとっては、不快なものは不快ですよ。そういうことで僕は反応しただけですよ」と当時のことを説明。その上で「あのウケ狙いがなかったら変なものだなってなるけど、あのくそ真面目な顔したオヤジ顔がくっついていたんですよ、あそこに。あのウケ狙いのオヤジ顔を笑って済ましているっていうのは、やっぱり川上さんの大きな弱点だっていう風に思うけれど、欠陥は俺だっていっぱい持ってるから。なんか面白いことできるかなと思ってやったことでしょ?」と川上氏の意図について理解を示しています。

上記引用と同記事から

 「歯止めを持ってない」という指摘は非常に重要だと私は考えている。現にAIによる創作の問題は著作権や乱造もあるが、ディープフェイクの問題もあり、いずれも法整備が追い付いていない中で社会的な問題を解決する要素とは倫理や論理による「歯止め」に他ならないからだ。

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