赤羽芳昭

映像制作のプロデューサー、演出などを主な生業としています。下北沢小劇場を深く愛する演劇…

赤羽芳昭

映像制作のプロデューサー、演出などを主な生業としています。下北沢小劇場を深く愛する演劇おじさんでもあり、舞台撮影編集なんかも副業にしております。よろしくお願いいたします。

最近の記事

父の葬儀9 最後に

お寺を後にしたマイクロバスは、再度葬儀会場に戻りました。ここで、納骨の間にスタッフの方にお花を全部花束にしてもらっていたので、用意した精進料理弁当と一緒に弔問の方達に配りました。いわゆる、お土産です。そんな大量にもらって持って思ったかもしれませんが、花は生花だったので配ったほうが良いそうです。残りは実家の祭壇に飾る分と、かごの缶詰類は住職にお分けするのと、家に持ち帰りです。またしても大量にお弁当が余りましたが、母が近所の友人達に配るというので全部実家に持ち帰ることにしました。

    • 父の葬儀8 納骨

      檀家のある寺に戻ると、先ほどの住職がすでに待機されていて、早速一同は本堂に上がりました。椅子が並べられていて(正座しなくていいのがほんと助かります)、適宜座ると、お経がまたスタートしました。初七日の繰り上げということもあったので、三度目のお経です。その後、ご焼香はまた同じ段取り。今度は進行してくれるスタッフもいないので、みんなで目配せしながらのちょっとたどたどしい流れに。まあそれでも無事終わり、お経ののちにちょっとしたお話が住職からあり、本堂を出ました。 外ではSさん始めス

      • 父の葬儀7 火葬場

        火葬場まで車で15分ほどでした。マイクロバスでの大移動でしたが、一度に全員を運べたのでよかったです。到着したらここでもスタッフが待ち構えていて、棺を下ろしてもらいました。役職順に火葬場の中に入っていき、棺を焼く流れになっていきます。役職者の持っていた位牌、お盆などは火葬している扉の前におきます。隣で知らないおばさんも火葬されていて(写真があるからわかる)、ちょっと妙な気分になりました。 焼き終わるまで大体90分ほどかかるとのことで、それまで控え室で昼ごはんになりました。それ

        • 父の葬儀6 告別式

          眠れないまま朝を迎えました。宿泊した部屋はホテル並みのもので、大きな風呂もあるし、部屋も広い。流石にたっぷり時間があったのですが、何しろ外は何もないし、することもないのでぼんやりと大画面テレビでワイドショーなんかを見て過ごしました。 やがて、まだ1時間以上前なのに母と妹が到着しました。二人(と妹の旦那さん)は実家に泊まっていたし、気が気ではなかったのかもしれません。それから、続々と親戚たちが集まってきました。そう、まずこれがすごかった。何しろほとんど顔を合わせてない人たちば

        父の葬儀9 最後に

          父の葬儀5 通夜

          葬儀会場は車で10分もかからない近場にありました。周りは田んぼだらけの寂しい場所でしたが、建物は近代的で立派なものでした。到着すると、スタッフの方が出迎えてくれて、棺を運んでくれました。私は一旦控え室に通され、私物を置いて会場に入りました。たった一日二日でこんなに準備ができるのかと驚くくらい、すでに祭壇と花がセットされ、大きな遺影の写真も飾れていました。ロビーにはモニターが設置され、父の写真が映っていました。 やがて、実家から他のみんなが到着しました。きっと同じような感想を

          父の葬儀5 通夜

          父の葬儀4 納棺の儀

          その日は、朝から実家に集合しました。私は自宅で喪服に着替え、数珠を携えて家に到着しました。タイスケの表と、施主挨拶の原稿(こちらもテンプレをSさんが用意してくれました。そうなんです。挨拶コメントをやることになっているらしいのです)を懐にいれ、まずは続々と弔問に現れる近所の方々へのご挨拶です。妹夫婦も合流し、いよいよというところになりました。 それにしても驚いたのは、母の友人の多さです。ひっきりなしに訪れたほとんどの人は友人で、これだけの人と毎日一緒にいたら母も元気なわけだと

          父の葬儀4 納棺の儀

          父の葬儀3 通夜の前

          翌日は通夜と告別式の細かいタイムスケジュールの確認、父の死を知らせるため、親類一同、友人知人への連絡です。タイスケは基本的にSさんが組んでくれたので、それを元に電話連絡大作戦が展開されました。といっても、ほぼその辺りは母に頼るしかありません(何しろあまり知らないので)。父方の兄弟はすでに皆死亡しているので、甥、姪たち、母方はほぼ存命なのでそちらは知りうる限りに人に連絡をしていました。それでも、葬儀に参列できるのは全員というわけには行きません。急なことですからね。で、出欠を確認

          父の葬儀3 通夜の前

          父の葬儀2 遺体を病院から自宅へ

          その日、朝7時半くらいに私の携帯に電話がありました。最初気が付かず、すぐには出れなかったので、折り返したところ、病院からで、7時過ぎに父親が亡くなったとのことでした。父が危篤状態になった時に病院から直接電話があり、母と甥(私の従兄弟、Kさんとします。彼は母の住む実家に一番近いところに住んでいます)が駆けつけた直後に、死亡が確認されたらしいです。私は母の携帯に電話したのですが、そんな状況ですので冷静に話すことができず、Kさんが代わりに電話口で、状況を伝えてくれました。「ひとまず

          父の葬儀2 遺体を病院から自宅へ

          父の葬儀1

          タイトル通り、私の父が先日亡くなりました。90歳の大往生でした。1ヶ月ほど大きな病院で入院生活をし、近くの病院に転院して10日ほどで息を引き取りました。最初の入院時に、病院の医師から「正直生きているのが奇跡です」というくらい、状態は悪かったのですが、それから1ヶ月以上生きていたのだから、改めて人間の生命力ってすごいなと思います。 病名は、腹部大動脈瘤破裂でしたが、老衰により心臓もかなり弱っておりましたので、入院時からほぼ寝たきりでした。何度か見舞いに行きましたが、言葉を交わ

          ただいま東京プラス

          初めて、使ってみました。 もうおそらく数万円は使わず捨ててしまったクーポンです。有効期限が1日だし、使える店が本当に少ない。使える店に当たる確率ってほんと低いので、残りの1日で見つけて使い切るなんてほぼ不可能だと思います。だから、まんまと得した気分にさせられて、でも実はとても損した気分で終わる、なんだか分からない不思議なクーポンです。 そんなクーポン、ついに本日使えました!とあるお店の入り口に、「ただいま東京クーポン使えます。アプリのみ」との張り紙を見つけました。少々お高

          ただいま東京プラス

          自転車屋さん

          自転車の出張修理なるものを頼んでみました。近くに自転車屋さんが見当たらなかったのと、パンクした自転車を持って運ぶのが大変だと思い、わざわざ自宅まで来てもらって修理してもらえるなら、多少割高でもいいかと。思い切って電話してみました。 すると、忙しそうにしてそうな電話の先で、「場所どこですか?」「修理ですか?」「〇〇円くらいかかりますけどいいですか?」など、いろんな質問をされたので、一つ一つ丁寧に症状などを話していきました。で、「今日は色々入っちゃってるから、遅い時間になるかも

          自転車屋さん

          年末は結局忙しい

          この前、また生活様式が変わるのではという記事を書きましたが、それとはあまり関係なしに、自分の状況も日々かわっていくわけで。 今年は去年に比べダントツに暇な年でした。仕事が目に見えて減ったし、だからと言って急に他のことをすることもできず、ただ悶々としている時間が多かった気がします。ギリギリ生活できるからそれに段々と甘んじる日常を受け入れるようになってきました。 ところが、最近どんどん仕事が増えていって(収入が、ではないです)、結局年末までかなり予定が詰まってしまうことになっ

          年末は結局忙しい

          また生活様式変わるの?

          私は少しだけですがSNSも再開したし、映画批評のサイトに定期的に投稿もしたりしています。割と普段から書くことが多かったりするので、このnoteには何を書いたらいいのか、ちょっと迷っていました。だからか、この前までしばらく投稿をしなかったこともあります。 結局ここには、「モヤモヤ」を書くことにしました。SNSではあまりぼやいたりネガティブなことを書くのはどうかと思うし、特定サイトにはそれ相応の記事として投稿するので、こちらが一番いいかなと、ようやく決めました。 最近のモヤモ

          また生活様式変わるの?

          また一つの時代が終わった

          個人的な話です。 この前、ずっと契約していた会社がついに契約解除になりました。正確には年内いっぱいです。最初は少し動揺もしましたし、これからのことはもちろんあるのですが、今はちょっとホッとしたというか、つきものが落ちたような気持ちです。 ここは本当に色々あったところで、本来ならコロナ禍の前に一切やめようと思っていました。それが、コロナのことやこれからどうなるかわからないご時世に突入したので、ダラダラと続けることにしたのです。ところが、結局ろくな仕事もできず、ただ漫然とやり

          また一つの時代が終わった

          マウント合戦ってほんといや

          最近やたらとマウント取りたがって主張してくる輩と出会っている気がします。ほんと、気がつくと私の行為に対して「いや私ならもっと上手く出来る、良い方法知ってる」みたいに、自分の方が上だみたいな、いわゆる「マウント」をとりにくるわけです。あんまり言われると、ついこっちも言い返したくなって、マウント合戦になりがちですが、ほんとこれって嫌ですわ。くだらない。 「教えてあげる」という親切レベルで言ってくれる方もいるでしょう。でも、相手を非難している気配を感じると、途端にマウントじゃんて

          マウント合戦ってほんといや

          前にいた会社のこと。

          あまり振り返るようなことはしたくないのですが、最近ちょっと思い出す状況があったので、いい機会だから書いておきます。 もちろん、実名は伏せます。 私は何度か会社を変わりましたが、最後にいた会社は、いわゆる、東証一部上場の大きな企業でした。入社したのは30代後半と、かなり遅かったのですが、その時はとてもラッキーだと思いました。その前まで、フリーランスで活動していたのですが、大病を患って入院をしたことをきっかけに仕事がなくなり、途方に暮れていました。そんな時、その会社にいた友人

          前にいた会社のこと。