いつでも裏切れる。という安全地帯から離れよう。

自分の内面をさらけ出すことが嫌いな私は、人との会話ではいつも、「これを聞いてどう思うか」「相手からどう思われてるか」をすごく意識しなが過ごしている。

そんな自分だから、相手に自分のすべてをさらけ出すことも、相手のすべてを知ろうとしたこともない。
これは、どんなに親しく、普通なら親友と呼ぶべき人にも。あるいは家族にも。

なぜそんなことをしてきたのだろう。何を恐れているのだろうと思ったときに考えついたのが、
「相手の事を絶対に裏切らないという保証をしたくない」ということ。

相手にコミットしたくない。のだ。

人生を上手く生きていこうとすればするほど、人は小さな嘘を、帳尻合わせを重ねていく。それは一つ一つに大きな罪はなくともすごく綱渡りなことだ。

そんな綱渡りのどこかで、相手を裏切ることが、「無い」と、言えない。
それが心の奥でずっと燻っている不安であり思い。

だけど、同時に裏切るかもしれないと思っていることに強い罪悪感を持っている。
だからこそ、「絶対に裏切らない。味方です」と言い切ることができない。

そうしてしまえば、「裏切れなくなる」し、更に本当に裏切ったときの罪が倍増しそうな気がするから。

「裏切らないなんて言ってない」そんなクズみたいな立ち位置をなんとか保とうと必死になって生きている。

これは楽をしているようです実は精神に強い負担をかけている。こんな微妙な立場を保とうとするから、コウモリのようにヒラヒラとあちこちで筋が通っているように見せるように努力しないといけない。 

本当に楽なのは「絶対に裏切らない」と言い切ってしまう事。
世の中案外それでも裏切って生きている。言葉なんて、ただの言葉。
それを割り切れない意外に真面目な正確だからこそこんなにも悩んでいるだけのこと。

自分の言葉を言質にされることなんてそうそうないのに。

セーフティゾーンに思われる、一番つらい地帯を抜け出そう。
そして身を投げ出してしまおう。裏切らないと叫んで、裏切らない努力はしてみよう。
本当に裏切らないか、そんなことは何年もあとに考えればいい。

そして最後は過去は過去と笑えばいい。

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