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一歩に至らぬ半歩でも

自分の日々が安寧であっても
近しい人が困難にあると思うと
自分の日常にも暗い影を落とすけど
世界がネットで繋がってニュースが同時多発に駆け巡るようになってしまっては
もはや近い遠いの距離も縮尺が意味をなさない

もし本当に心を痛めるというのなら
世界は戦争や飢餓や暴力に溢れているから
ほんのひと時だって涙の乾かぬときはない

例えばウクライナ侵攻
主権国家の国境を武力で越えて
自治を奪おうとする行為に
世界中が抗議したし
破壊し尽くされて
見る影もなくなった街の景色に
目を覆いたくなるけれど

その映像を見ながら
実は私は夕餉のときだったりして
対岸の火事どころか
火の粉が飛んでくることもない遠い国の
逃げ惑う人々の叫び声は聞こえないし
火薬の臭いもしない

元旦早々の大地震
投稿された画像の多くに石灯籠があって
ああ初詣だ
1年で最も人が神社に足を向ける日
そして氏子と神社
人々の繋がりが注連縄に綯われている地域で
地震が起きたのだろうと

正月ボケの頭が叩き起こされたけど

でも私の日常は日常で実は淡々と続いている

その舌の根も乾かぬうちに
四国で大きな地震が起きたけど
経済的に大きな影響力を持たない地域のニュースの扱いは急速に小さくなって
実際の被害の大きさと反比例して乖離して今日の大谷翔平に関心は奪われていく

他人の痛みを自分ごとのようにその身に引き受ける想像力は大切だと思うけれど

自分がいくら胸を痛めたと言っても

崩れた牛舎の下で静かに牛は
黒い瞳で光の方を見つめて
白い息を吐き続けている
遠く離れた私には
その息遣いは聞こえてない

東京でぬくぬく温まった部屋でそれを知ることができるのは
全国のミルクスタンドを取材している記者さんが、地震前からの信頼感を得て孤立した牛舎に徒歩で案内されそして見て書いたからで

フェーズを変えるのは
感情じゃなくて
ただただひたすら行動だ

同情するなら金をくれって
パワーフレーズがあったけど
寄せられたお気持ちじゃ
倒れた家も牛舎も再建できない
マンパワーとマネーパワー
感情を行動に変換した人の数だけ
多ければ多いほどうねりになって局面を変えうるんだと思う

知るは行動の原動力になる

その人の悲しみを引き受けて涙することができるなら
その逆もできるはず
悲しみではなく
希望をともに見出して
一歩と言わない半歩
自分にできることで現実に関わっていくこと行動でアンサーを投げかけていくことで
世界にコミットしたいと思うと
中学生新聞みたいなことを50も過ぎて恥ずかしげもなく書くけど
一生書き続ければそれは墓碑になると思うから書き綴るしか出来ない

ママチャリガニ股で漕ぐ赤毛にできるのは
遠征して選挙のポスターを張り替えて回って
チャリで選挙戦を戦い抜く
WORLD ORDER須藤さんに
賛同と連帯の意思表示を

勿論貼り付けるのは大好きなインドと
WORLD ORDER

須藤元気さんを選挙応援したいわけでは実はない
ただいつぞや匝瑳で田んぼの学校を見せてもらったとき
たまたまWORLD ORDERの内山さんが市議選に立候補していて
じゃあと選挙ポスター貼りを手伝わされたご縁があるから
本丸須藤元気さんの出陣と聞いて馳せ参じぬは末代の恥と勝手の思うだけなのです笑





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