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馬券が当たる事。過程の事。そして自身に起きた変化の事。

 競馬の話であるので、苦手な方はまたの機会に……



 なお、先に断っておくことがある。

 この文は2019年2月14日ごろ(だろう。自分のことだから→いや、どうやら令和に切り替わるタイミングだった頃みたいだ→嘘だったわ10月くらい、じゃね?)にnoteの下書きに放置したものだ。この度、心機一転あってnote再開にあたり、下書きフォルダ内に居たので、なんとなく「公開」ボタンを押した。

このまえがき代わりのほか、加筆添削はいっさい無し。だから〆がなんともヘンだが、このまま放り出すことにする。

約2年の天然熟成を経て、さてどんな匂いがするかな。




 まずはカバー写真を見てほしい。

 

 外れ馬券の束である。


 彼らはレースが終わっても尚、私の手元に居る”放蕩息子”どもだ。

ちなみに私は独身だ。生涯の伴侶の予想は、自分自身に◎を打ってある。

軸は変わらないとして。紐に愛と憎くらいはおさえておかねばならぬ。


 そんな私にとって”外れ馬券”は

”出来の悪い子供”同然に感じるのだ。


 まったく役立たずで扱いに困るばかりなのだが、

かといって邪険にあしらう気にもなれないので、

こうして何かの役に立ってもらうことにしたのである。


 だって彼らを生み出したのは、他ならぬ私自身なのであるから。


 もっともよい親は、喜々として子供と別れるものなのだろう。

むろん、ネグレクトや暴力的な手段によって離別を実現するなど御法度。

ともに望まれて来て、望まれて行くのがよろしかろう。


 さて夢想の話はともかくとして、

2分少々の間に、はからずとも不肖の親となったる者、

ならば非難の受け方にも意地と流儀がある。

せめていくらかの反省を試みなければならぬ。


 馬券が当たる事


 【勝率】3/19 = 約15%

 【回収】128%

 9月現在の結果を数字だけで表すとこう。


 世にあふれたデータと数字のまぜまぜ丼は食傷と拝察するので、

少しは奇をてらった視点で読み解いていくとする。

できないことはできないのだ、割り切った方が身軽だろう?


 馬券が当たった時の心境


  「はッはッはッ……」


 2018年11月25日、私は地元の場外馬券場で笑っていたのであった。

それどころか画面の向こう側のレース映像を眺めながらに、

一人拍手でゴールまでの直線、200mの様を称賛していた。


 そうだ、競馬ファンには記憶に新しい、

牝馬アーモンドアイがジャパンカップ(G1)で

レコードタイムを叩き出し、勝利した例の日だ。


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 実は私にとって馬券購入デビューの日でもあった。

一番人気の馬に単勝¥1,000。

大胆不敵なビギナーのエントリーである。


 レコードタイムの発表にほとほと上気しながらに、

期待に応えた”息子”と手を取り、払い戻し機の行列に参じた時、

”親”になる気持ちを知った気になったのであった。


 「競馬って面白い!」

ではなく、金銭が増えた喜びでもなく(オッズ1.4倍だが)

「自分の目に狂いはなかった!」

という自己陶酔の方がはるかに上回っていたことだけは確かだった。


 つまり、私はとんでもないエゴイストだったのである。

正直、興奮した。

常からに最も嫌悪するタイプの人間が、

よもや自身の本性だったとは!


それは本当か?もっと知りたくなる


 その後は画像の通り。

ものの見事に私は”不肖の親”に転じてゆくのであった。

子に夢を見るのは結構だが、押し付けるものではないと知る。


 鉄は熱いうちに、というが、

言葉や知恵も焼け焦げるような実践が伴ってこそ、身につくのだ。

熱狂の真相を知りたいなら、いっそ極限まで駆ければよいのだ。


 鉄火場とはよく言ったものである。


冷静になる為に要するコストは割高である


 声を出して笑った理由は、

読みを的中させた、自身の能力を確認できた喜び。

 時と場をはばからずに拍手したのは、

自分が内容をデザインした手製の馬券が認められた肯定感からであった。


 競馬を経験することで、自分自身の人間性を、

かなりの深度まで調査することが可能であったこと。

それが自分自身にとっての競馬、ファーストインプレッション。


 予想していない物理非物理が、内から外から突っ込んでくる。


 それが¥1,000と2分20秒06というコストで、踏み込んだ世界。


 感動した。競馬は素晴らしい。


 結局、競馬デビューの2018年は数字で-¥8,800。


 そんな記号は行く年の番組視聴率ほどに些末な問題であろう。

私は親になったのである。

最大の経験を得たのであるから。


過程のこと

 

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 唐突であるが、

じつは自身の競馬デビュー後(例のジャパンカップ)、

12月上旬から家族が入院沙汰になった。


 出先で倒れ、四肢が動かないという。

感染症の疑い、精密な検査を要するとして、即日入院となった。


 率直に言って、突発的にカネが必要になったのである。

それも確実に、多額に、然るべき期日付き。

そういう条件でカネが必要になった。


 この時、折しも起業に向けて動いていた時期であったので、

時間の融通を利かせることはできたものの、

実際的な介助と介護は私に押し付けられることとなった。


親にデザインされる子の心持がわかった


 有り体に言えば、

「ちょうどいいタイミングでお前が暇しているのだから、

そういう巡り合わせなのよ……だから、」


 親の期待する通りに、振る舞うよう説かれるわけである。

実際にそのデザインが家族身内の中で圧倒的一番人気であった。

その引力を跳ね除けるだけの根拠もなく、介助と介護を担当する。


 だが、その判断の結果、

次のアクションに向け準備していた貯蓄は日ごと消失。

予定は一切組めなくなり、あらゆる計画は凍結した。


 こうして思いがけない出来事が差し込んできた結果、

自身が競馬に掛けるものの、その意味が明らかに質を変えたのであった。


「いい人生経験をした!」

と、呵々大笑だった頃とは違う、

先行きが不透明な中で、「勝負」に挑む心持になったのである。

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 だが実際には「勝負」に甘えただけであった。

競馬で勝てば状況の悪化から脱出できる、と壮大な夢を抱いて、

馬券をデザインし続けたのであった。


 結果は惨敗である。必然の惨敗であった。甘えの為の惨敗だ。

なにより緻密な根拠が要求される場面で、

やすやすと希望だけで逃げ切れるわけがない。


自宅でのサポートへ

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 有馬記念の惨敗以降は、向き合うべき問題に集中した。


 70日ほどの入院から自宅療養+通院へとシフトした。

この頃から、自身の起業の為に用意した、

資金ばかりを心配している姿勢を改めはじめていたと思う。


 競馬もすっぱりと1、2、3カ月絶った。


 親の欲でデザインされた子は惨めであった。

エゴイストを本性にする自身の行いが、輪廻したようにも感じていた。

応援者が親、馬券が子……そういう歪な価値観を得たのもこの頃だろう。


 まぁ実際にはそんな殊勝な意識が先だったのではなく、

「もういっそ極限まで行ってしまえばいい!」

とばかりに雑念が吹き飛ぶほどにコストが掛かったからである。



 


 




 



 










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