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3月11日のこと

妻が羽生結弦選手のファンで、3月11日のアイスショーチケットが入手できたので、(ショーには行けないが)同行するということで、クルマで宮城県へ。
羽生結弦選手の写真・ポスター展やホームリンクを見て、利府町にあるショーの会場に妻を下ろした。

青葉の風テラス


 そして向かったのは陸前浜田駅。ここには学生時代最後の夏休みにやってきたことがあった。
 就職が決まった1989年夏、本当にその就職先で良いか悩んでいた。青春18きっぷを手に、あてもなく北へ向かう。夜に仙台に着くと七夕祭り最終日。街をぶらついたのち、仙石線の最終電車に乗車。無人駅の待合室で夜明かしができるのでは?
と駅を物色していて、陸前浜田駅でここならと思い電車を降りる。
 待合室に蛾はいた記憶はあるが、寒くもなくこざっぱりとした待合室だったのでそのまま眠りについた。早朝に明るくなると、民家が線路の向かいにあり、急に恥ずかしい気持ちになった。そして始発電車で石巻に向かい、石巻線で小牛田へ出て帰京した。そんな旅をする中で、就職先について何と無くだけど納得できて、30年余りがすぎて今に至っている。
 そんな場所が12年前、震災に遭っている。自分自身は2011年はシンガポールに駐在していた。NHKワールドプレミアムはニュースを流し続けて、夜にふとうつらうつらすると緊急地震速報の音声が響く。自分の中ではものすごく辛かった記憶なのだが、さりとて普通に電気水道ガスがあり、日常の生活が続いていた自分は、震災を知らないというのが、負い目になっている。
 陸前浜田駅の付近も津波に襲われたのだろうと思い至ったのは何年もあとだった。ただ調べてみると比較的被害は大きくないとのことだった。
 浜田には13時過ぎに着いたのだが14時46分を迎える前に「かき焼き処」へ向かう。
 ここも津波の被害はあったが建物は残ったとのこと。30分食べ放題をお願いしたのだが、想定以上の牡蠣が。

これを一人で

 全部いただいてから陸前浜田駅へ。

陸前浜田駅待合室


 いろいろな思いが渦巻いてきたのだが、ホームで仙石線の電車などを撮りながらしばし過ごす。まもなくその時刻となる少し前に、駅近くのお宅から年配の女性が一人出てこられた。

仙石線の205系


 お邪魔になるかなと思いホームから出て駅前で長いサイレンを聞いた。若い頃は10年は途方もない長さを感じたが、今の自分に僅か12年と思える。
 別に自己満足でしかないのだが、妻が羽生結弦さんのチケットを取れた時いた瞬間から、ここで14時46分を迎えたいと思っていた。なので羽生さんにも感謝してちょっとだけだが納得ができた気も。

 海は春目前で穏やかな表情だった。

おわり

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