鬼生田貞雄の文学 ―第三回― 「それは苦難の道だよ」(二)


 ある説は、三春町の町名の由来を「見張る」から採ったとしている。どちらが正しい、正しくないかは擱くとして、「三つの春」から採ったというそれとともに、この説も町の性質を正確に言い当てている。かつて城下町であった三春町には、今もあちらこちらに小高い山が散らばっていて、ために往来は上り下りが激しい。知らず坂の頂上に立つと、たちまち眼下に地区の一帯を「見張る」ことができる。防衛拠点としての機能に富む城下町の骨格は、今にも残されている。
 龍穏院が建つ小山からも、田舎町の風景が、見下ろすように見えていた。裏山の墓地の草木の匂い。咲きこぼれる桜。粗野な方言。地方出身の作家に散見されるように、彼もまた大作志向の小説家であったが、雄大な風景とともに育つイメージは、そこに聯関を持っていたであろうか。どうあれ、三春町の山並みとともにある彼の幼き日の原風景は、のちの彼に複雑な感情を与えるものであった。故郷に対する葛藤や、確執が彼に待ち受けており、彼が東京を知るほどに、郷里は文学的主題として定位されてゆく命運をたどっていった。
 大正四年に咢全が病没。鬼生田貞雄が七歳にならないころである。祖父よりも早いその死は、だれも予期していない突然の死であった。彼と母フクの身許は、郡山市の廣度寺へと移った。廣度寺は郡山西田町鬼生田に在所を置き、鬼生田貞雄の祖父の実家でもあった。「鬼生田郷土史」には「縁起三春町天澤寺ノ末寺道存和尚第一世タリ」云々とあり、その始原から三春町との繋がりがあったと知れる。
 田村中学校に入ると、小山の上の龍穏院のはなれから、彼は通学をし、学校では好成績を得た。田村中学校在学当初、年度を通じて「成績の順位が一番か二番」とあるので、勉強はできた方だった。その中学校で彼は同級生の姉に初恋をした。彼はすらりとした体格に整った顔立ちをし、寡黙であったが、旧友の書いたものを読んでいるかぎりでは、自意識過剰の文学青年の印象はそこにはない。「柔道も強かった」とあり、校友会報の野球部報にも選手として名前の記載がみられる。女生徒たちには滅法もてた。それは異様な盛り上がりで、「女性の話題の中心であったし、また事実、その町で知らぬ女性はなかった」。
「五分刈りの頭に紺絣の角袖、朴歯の高下駄」、龍穏院のはなれに下宿する彼の学友、長尾生一は書いている。長尾もまた彼の父を「和尚さん」と呼んでいたのであるから、それを「朴歯の高下駄」と併せてみた時に、そしてまた鬼生田貞雄がのちに作家となることを念頭に置いた時に、膨らんでくるある風合いがある。そこは田舎の学生であるから、弊衣破帽、長髪とはいかずとも、不良少年(バンカラ)であることを、背伸びをして愉しんでいる学生の姿である。
 その身なりで、山道を二人で歩いてゆく。

 その山道を黙って歩るき続けた或る秋の終りも近い肌寒い日、人影のない芒の道は登り坂となり杉林につづいていた。やがて草むした崩れかかった石垣が見え始め、くちた石段が右に曲りながら更らに急坂となる。私達は息が切れ始めて来た。登り詰めた処は、天守閣跡、枯れ始めた草の間にぶったおれた。そこは東北の小藩の城跡である。澄んだ空、森閑としてここらの秋は足が早い。フト草むらを冷たい風が横切った。私達はようやく煙草に火をつけ、立ち上って、山あいに埋っている小さな城下街を見おろしていた。
                   「遠い少年の日を憶う」長尾生一

 天守閣跡とは三春城址を指す。現三春小学校の近傍にあるちょっとした山であり、私も三春町在住の学生時分、遠足や学校行事の折りに山道を登らされたものであった。元住民の感覚で雑駁にいってしまえば、広大な公園と云ってもいい。人けがなく、爆竹などを鳴らしていてもだれにも気づかれないので、私の時代にも、学校終わりの夕刻など、たまに不良がそこにたむろしているのであった。
 いわば長尾生一は、鬼生田貞雄の悪友であった。
 はなれに同居するこの年下の友人に対して、鬼生田貞雄は親身に付き合った。父を早くに亡くしている彼は寡黙であったが、その父がもういない寺のそばに友と過ごして、友誼に厚く育った。友誼。私はそれを大仰に云うのではなく、それは彼の生きているうち続く、彼のおよそ天性の素質であり、ある見方をすれば呪縛でもあっただろう。

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福島県生まれの戦後作家の唯一の評伝を収録(第73回福島県文学賞入賞)。石上玄一郎らとともに作った同人雑誌から幾人かの芥川賞作家を輩出。ベストセラーを多数出版して、戦後の二見書房の復興に貢献。収容所文学、地元福島県を舞台とした小説でも傑作を書き残すも、地元の福島県内ですらまったくの無名の作家――それが鬼生田貞雄です。

福島県生まれの小説家、鬼生田貞雄についての文章をまとめています。評伝「鬼生田貞雄の文学」は一章部分のおわりまで無料で公開しています。この作…

静かに本を読みたいとおもっており、家にネット環境はありません。が、このnoteについては今後も更新していく予定です。どうぞ宜しくお願いいたします。