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ちゃんと映画館で観ている映画レビュー

 今回をもって、映画としては破綻のない映画であってもいわゆる商業映画路線は、☆を三つから二つに下げていこうと思います。映画として、見られる作りになっていれば取り敢えず☆三、というやり方をしていたのですが、それでは面白みに欠けるというか、……疑問に思うことが増えてきたので。

 「GUNDA」(☆☆)

 撮影は見事だが単純な寓話を作ろうとして失敗している。 

 「ユンヒへ」(☆☆☆☆)

 バイセクシュアルの問題を韓国映画生来のリズムで、陽性の美のうちに捉え込もうとしてそれなりに奏功しているとみるべきだろう。日韓の問題を扱うに際して象徴的であるために☆をひとつ足した。展開が楽しく、配役も面白い映画だが、その企図は日本人からすると不敵なまでに大胆にとれてしまう。

 「ブルーサーマル」(☆☆)

 青春アニメ映画。現代においてグライダーを主題とする意味も価値もまったく見いだせないが、アニメならばしかたがないだろう。問題は映画として、結末部に首をかしげさせられる点である。また、アニメ表現として肝心の空の美しさが欠落しているのも重大な瑕疵ととらざるをえない。平均的な、アニメ好きならば観て後悔をする映画ではないと補足はしておきたい。

 「ボブという名の猫」(☆☆)
 意外と依存症患者のリアリティをよく捉えてくれているし、演出や編集、カメラワークにも問題はない。だが猫という題材ゆえに紋切り型に堕しているのはいうまでもなく、出版社に声をかけられて自身のサクセスストーリーを出版する、という顛末を話の着地点にしているところにも、問題がある。要は「多くの人間に受け容れられるから出版をしたい」という作中の編集者の安易な意図と、映画の主旨とが、重なり合ってしまっているのである。サクセスストーリーの枠をはみ出る過剰ななにかを期待できない――期待している層はそもそもこの映画を観ないだろうが。

 この映画にかぎって2のための予習でVODで観ました。

 「ボブという名の猫2」(☆☆)

 練れた脚本で前作の観客を裏切らない、安全な物語が展開していく。

 「ブラックボックス 音声分析捜査」(☆☆☆☆)

 配役や演出や編集などに目立った瑕疵はない。開幕直後の音響の効果に期待させられ、肩透かしを食らう、次第に音響によってなにが起こったのかを捜査するという題材が必然性をなくしていくのだが、次第にだれを信じればいいのか分からなくなっていくサスペンス劇としての効果はみごとで、見応えは十分にあったといえるだろう。

「白い牛のバラッド」(☆☆)

 結末部が安易に過ぎる。あまりにも安易であるがゆえに、それまでのシーンの積み重ねのひとつひとつが、交換可能なシークエンスと思われてしまうほどに。つまり、オチが来ることによって、こういう終わり方であるのならばこれまでの展開はどうでもよかったではないか、と釈然としなくなってしまうのだ。それが残念になってしまう性質の映画ではあっただろう。

 「私の名前はヴァレンティナ」(☆☆☆)

 トランスジェンダーもの(ブラジル映画)。やや唐突で都合のいい展開が散見されるが、それが喚起する独特の節回しが癖にならないこともない。俳優たちの演技はこの映画の質を大きく上げており、単に啓発的な映画の域にはとどまらない、ドラマとしての映画に仕上がっている。新宿武蔵野館で観劇。こうしたドラマは最近、老齢の方が目立ってきたような気がする。彼らは「ふむ、今はこういう時代か」と真面目に見入って、終劇後もじっくりと最後までエンドロールをみて、そして席を立っていく。素敵におもう。

 「ベルファスト」(☆☆☆☆☆)

 掛け値なしの傑作。自伝的作品として、最高度の客観性を有しており、なおかつ他人を楽しませるためのひとつの作品として、すべてにおいて筋が通っている。一人の人間を描く、街を描く、その歴史を描くということは、同時にフィクションをつくるということにならざるをえない――その事態を、作中人物が映画を観る時こそカラーになってしまう、空想が現実を陵駕する効果を生み出しながら、映画が作り出せるありとあらゆるユーモアの手法で、あくまでも客観的に自らの体験したことを描き抜いている。この監督の映画への勝利は、映画を讃美し、人生をも祝福しているのだ。

 「ゴヤの名画と優しい泥棒」(☆☆)
 ☆ひとつ寄りである。この映画は、史実を否定するのにも、忠実にそれを描くのにも、十分な手つきもなければ構成力も足りていない。ストーリーは牽引力を欠いており、実話にフィクションが負けているため、ユーモアも効果的になっていない。

 「コーダ あいのうた」(☆☆☆☆)

 聾唖者を描いた作品であるが、障害者を描いた作品によくある教条的な臭みがないのが好もしく、単純な障害者ジョークというのでもない、この作品だからこそ描ける華のあるユーモアが充溢している。周りが聾唖者であるなかで主役が天才的な歌唱力をもっている、という設定は物語に均整を与えており、脇役陣の演技も健闘していて、どこを切り取っても面白い。主人公にシャッグスのレコードを聴かせているのも好もしい点である。

 「アンネ・フランクと旅する日記」(☆)

 明確な駄作である。アンネ・フランクの日記を博物館に展示する手つきを批判し、アンネ・フランクの持っていたとされる問題意識を現代の難民問題へと移植させているが、どうであれ、ならばアンネ・フランクという主題を抜きに難民問題についての重厚な映画を、自分の力で撮ればいいだけのことである。日記中の空想の友を主役に据える設定や、詰め込み過ぎのプロットと、それに由来した混乱したストーリー構成、なにより癖のある絵がまったくアニメ映画の快楽を感じさせてくれていない。

静かに本を読みたいとおもっており、家にネット環境はありません。が、このnoteについては今後も更新していく予定です。どうぞ宜しくお願いいたします。