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でっかい背中とドロップハンドル、おとん自慢のロードマチック

昨年の4月に父が亡くなり、一周忌。
ちょうど5月頃からはじまった
われらが阪神タイガースの快進撃を見ることなく
実にあっさりと、ぽっくり逝ってしまいました。

父が21才の夏、わたしが生まれました。
関西でも知られるガラの悪さで有名な町で育ち
6尺の大きな身体と
気性の荒さを持て余していた青年でした。
きっと父親になるには、
まだまだ、若すぎたに違いありません。

けれど一家の大黒柱として、精一杯に稼ごうと
選んだ仕事が、夜勤のある下水処理の仕事。

公務員とはいえ、背広姿の父の記憶はありません。
作業服を肩にひっかけ、颯爽と
ドロップハンドルの自転車にまたがって
職場に走り去る後ろ姿が、
実にカッコよく見えました。

この父の愛車の荷台が、わたしの指定席。
二人乗りで飛ばす、タバコ屋までの道のりは
いまでも鮮やかに覚えています。

突然、車体が傾く左カーブ、
振り落とされまいと、父の腰のベルトを
小さな手で、力いっぱい握っていました。

お酒が好きで、外でも家でも
ビール、日本酒、ウヰスキー。
盛り場での喧嘩騒動は日常で、
夜中にパトカー同乗の帰宅も、幾度かありました。

近所の商店、開店催しのゲストで招かれていた
プロレスラーの ”サンダー杉山” を
ずーっと睨んで挑発したり、
父子のキャッチボールでは
加減知らずの返球に、
おびえる息子を面白がったり、
電気屋にドライヤーを買いに行っては
6畳間には不相応な、でっかいカラーテレビを
売りつけられて、5年のローンを組まされたり・・・。

いつまでたっても虚勢や見栄をはる
子どもみたいな人でした。

妹がやっと歩き出した頃
低学年ながら、育ち盛りの息子の
腹を満たしてやろうとの親心でしょう
母には内緒でこっそりと
焼肉屋さんに連れていく、その道すがら
愛用のセイコー・ロードマチックを質草にして
資金調達していたのを、
意味しらずとも、子どもながらに気づいていたのか

遠慮して、腹八分目に抑えた自分のことを
今は褒めてあげたい。

旅もせず、美食家でもなく、飽き性なので趣味もなく
口下手で人づきあいが苦手。
腕っぷしが強くて、酒のみで、
優しいくせに、怒りん坊。
欲がないうえに、外ヅラが良いので
いつまでたってもお金に縁がない、

いわゆる、エエ恰好しいの父。
そんな「お父ちゃん」のことを
わたしは、本当はすきだったんだなぁと
いなくなってから、気づきました。


追記
流行りの「家族葬」で見送りました。
1年を過ぎても、父の死を知らずにいる知人もいることでしょう。息子として、父の人生、生きていたという証明をしてあげたくて、私のお付き合いある方々に喪中はがきの形でこの文章を送付させていただきました。
先日、母との思い出をnoteにアップしたので、天国の父に叱られぬよう、間髪いれずにアップさせていただきます。



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