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コンフォートゾーンからのプチ脱却で考えたこと

工場でお休みが出て、久しぶりに工場に手伝いに入りました。
慣れない仕事で感じたことをまとめます。

〇コンフォートゾーンからのプチ脱却

今日は久しぶりに卵の工場でお手伝いをしました。

本当にたまご屋さんです笑

慣れない作業だったので間違いが多く、時間もかかりました。初めてや久しぶりの作業でわからないことが多く、尋ねながら作業を進めました。あぁーこれって「コンフォートゾーン」からの脱却ってヤツだなぁと仕事しながら思いました。

わからない状況はストレスです。何をするにも「これはどうすれば良いのか」とか「これはどこに置けばいいのか」といった基本的なことすら聞かなければなりません。このような環境では常にストレスがあり、人よりも時間がかかり効率も悪く、常に「アンコンフォートゾーン」にいるような状態です。

しかし作業をしながら「これは一種のアンコンフォートゾーンだなぁ」と気づきました(プチね)。今日の工場のお手伝いに限らず、知らない仕事をするって事やストレスがかかる状況が私は好きだなぁと気づきました。逆に、いつも同じ仕事や簡単にできる仕事は退屈に感じます。
ですので、今日は慣れない仕事も良いものだと感じながら人に尋ねながらの作業でした。

〇「コンフォートゾーンの脱却だわ」はあくまで自己満足。迷惑をかける相手が確かにそこにいるということ

自分としてはね、「コンフォートゾーンの脱却だわ〜」は良いんです。しかしそこで満足してしまうのは危険、とも思いました。脱却だわ〜、はあくまで自己満足であるということを忘れないように。自分の出来ていない分があるという事は、それをフォローしてくれる周りの人がいるということです。慣れない仕事をする時、自分だけの挑戦で誰にも迷惑をかけない状態なら良いのかもしれません。しかし、実際には仕事で新しいことに挑戦することは、同時に周りに様々な形で迷惑やらお手間やら心労をかけることがあるな、そこまで想像しなくちゃなと思いました。

私が仕事をしている間、間違いをチェックしてくれたり正しい方法を教えてくれたりする人たちがいます。これは通常、彼らが行う必要のない仕事であり、その分余計な時間がかかってしまいます。
今日工場で慣れない仕事をしながら、新しい挑戦やそこに取り組む自分に対してポジティブな思いを持つことは良いけれど、自己満足で終わらせず、迷惑をかけている周りの人がいるって事も忘れないようにしようと思いました。

〇慣れない人を受け入れる、周りの人の心がけとは

今日話したのはコンフォートゾーンの話だけでなく、新人を受け入れる職場や新入生が入る学校のような、新しい人たちが入る環境全てで必然的に起こりうる状況です。

すでに仕事に慣れ、コンフォートゾーンとなったその環境にいる私たちは新しい人たちにどう接するべきか。
月並みですが、周りの人たちもかつて新人だったり慣れない時期があった、その時を思い出して、面倒くさがらずに教えることが大切だなと改めて思いました。

常に慣れない人がいることが当たり前だという環境を作り、教えることを仕事の一部として組み込むことができれば、それも効果的と思います。

新人や慣れない人は周りを困らせようとしているわけではありません。彼らは周りに迷惑をかけたり、声をかけにくいなと気にしながら職場で働いている。そう考えた方が良いなと思いました。

自分の考え方が性善説か性悪説かによって、新人に対する解釈が変わります。その解釈によってはなぜできないのかと批判的に見る人もいます。
教える立場にある場合、新人は困らせようなどとは思っていないと、一旦決めてしまって向き合うことが大切です。(自分に激しく言い聞かせています)

人間関係は鏡のようなものだとつくづく思います。否定的な態度で接すると相手にもそれが伝わるし。相手がやる気があり仕事を覚えたいと思っているんだと私自身が決めることで、かえって私の方が素直に向き合うことができるでしょう。

今日のプチアンコンフォートゾーンを経験し、コンフォートゾーンとアンコンフォートゾーン、それぞれの立場での気の持ちようについて考えてみました。

※どーでも良いけど追記
せっかく卵の話題だからと夕飯をオムライスにしましたが、とても見せられないくらいの卵のぐちゃぐちゃ具合でした😅味はおいしかったです😋
たまご屋さんでもたまご料理が得意とは限らないのでした笑🥚

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