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【要約】日高優「映像大量消費の時代における脱社会的社会批判」2012

【要約】

本稿では、アンディ・ウォーホルの作品や彼が評価された1950年代の作品を分析することで、当時のポップアートがどのように評価されているかを明らかにすることである。機械的反復や社会への無関心という視角から語られることの多いウォーホルであるが、そこの視角から語るのではなく、ウォーホルの社会批判的な態度を見出し、現代にも感じられるアクアリティ(現実性)を探ることを目的としている。
筆者は、ウォーホルの初期の作品《死と惨禍》シリーズを取り上げ、ヘルベルト・マルクーゼやベンジャミン・ブクローを援用している。


1. <みんな>のアート、ポップアート


ーーポップアートの定義を解説。

2. ウォーホルのシルクスクリーンの技術


ーーウォーホルがなぜシルクスクリーンの技術にこだわっているかを解説する。それは主に、描かないことに重きをおいたイメージ重視の戦略である。

3. ウォーホルの作品の評価 その一次元性、及「肯定性の美学」


ーーアーサーダントーやブクローを援用しウォーホルの一次元性を検討する。否定や批判のきっかけを描いた脱否定的、脱批判的な反復が増殖する(ブクロー「トートロジカルな肯定性」)

4.<死と惨禍>シリーズを見るーー反転するアメリカ、<通過>するイメージ

ーーこのような一元的な理論を通して<死と惨禍>の分析を行う。シルクスクリーンは、手作業を外観を削ぎ落とし作品を洗練させていくが、その中でも刷りのムラ、かすりなど偶発的な要素によって、モチーフの悲惨な事故のイメージを隠させていく。著者はここで、シルク版によってインクを通過させ、残紙させたりするウォーホルの二重の操作にも着目する。この行為によって、様々なイメージを通過する技法によって、写真やタブローの存在を問いかけ、そしてイメージを成立させようとしている。

5.むすびーー経験の絵画、ウォーホルのポップアート

以上、これまでのふまえてまとめている。
ウォーホルは、「トートロジカルな肯定性」の美学に奉仕する、脱社会批判のアートという評価がされてきた。
しかし、シルクスクリーンの技法などから、「イメージの<通過>」を試みていると筆者は考える。「メディア・イメージが氾濫する状況下にあって、ウォーホルは作品において「イメージが描く出来事」ではなく「出来事のイメージ」を眼差し、媒介に媒介を重ねたりしてイメージを通過させたり遮蔽したりし、イメージの通過の出来事を内部に出来させる。
その結果によって、ぞっとさせるような悲惨な感覚を麻痺させ、さらにシミやムラ、ノイズといったアクシデントを画面上に呼び起こし、事故性をますます強めていく。
このような通過性から、筆者はウォーホルの特徴を〈経験の絵画〉と位置付ける。それまさしく、イメージが行き交うメディア社会によって生み出された新しい絵画の知覚であり、一般市民にひらかれたポップアートとしての中心となる位置付けとしてふさわしい作品であるといえよう。


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