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アドボカシーと出会って(2023)

子どもアドボカシー講座は、毎回終わるとモヤモヤすることが多いです。

まるで是枝作品を見終えたかの様な

深いモヤのかかった気持ちの溝に潜っている様な

やがてそれこそが子どもの見える世界だと気づいていきます。

全てに明確な答えが出せるわけではなく、時に気持ちとは反対へ漂っていってしまうこともある。

そして、講座ではその状態をお互いに受け止めていきます。

気持ちが戻るまで休んだり、言葉が体になじんでいくのを一緒に待ったり。

それがアドボカシーの佇まいだと沁みていきます。

これまでに、子どもたちに答えを求めなかったり、待ったり、一緒に止まってみたことが果たしてこれまでにどのくらいあったか。

もっと言えば、同じ様に私自身の子ども時代を今の私はどのくらい受け止めてあげられているだろうか。

アドボカシーと出会ってそんな数年を過ごしています。

子どもに関わる方、自分の子ども時代と向き合えていない方にもぜひ受けてもらえたら嬉しいです。

テクニックではなく、在り方を知り合う時間です。こうした相手の世界からみていくことをあきらめず、私は、から私たちは、へ開いていく大人が一人でも多くあることを願っています。

https://kodomo-no-koe.qloba.com/

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子どもアドボカシーと出会ったのは確か5年くらい前
既に締め切っていたfacebookでのイベントを見つけたことだった
何に惹かれたのか忘れてしまったけど、とにかくビビビと感じるものがあって
受け入れてもらえるかわからないけど行ってみようと、主催の川瀬さんにメッセージを送り、
会費を握りしめて会場に直接向かった記憶があります。

ありがたいことに受け入れてもらえ、
初めて生で出会った社会的養護出身のユースの方たちや、アドボカシーを文化にしていこうという研究者の皆様、全国の里親さんらと繋がり、すごく世界が広がったことを覚えています。

いかにいかにいかにいかにいかに子どもの人生は大人のハンドリングになっているか
子どもに質問する段階で大人が答えを持ってしまっているか
子どもの言葉をそのまま受け、大人の目線で言い返しているか
子どもの名前を呼ぶ時に、そこに感情をこめてしまっているか
子どもの不確実性を共有することをしてこなかったか
子どもの見える世界で見てあげていなかったか・・・


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