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4 言語化について

言語化する!
っていうのが最近の自分の目標で、日記とかメモとか、色んなとこにとにかく言葉にして残すようにしている。
これだってそのひとつ。完全に自己満足だけど、勝手に、この文章の先には読む人がいる!って想像して、誰かに届くようにって思って言語化している。やっぱり日記だと殴り書きだし文脈とかもやちゃくちゃで、言語化してるとは言えないレベルだから、敢えて、もしかしたら遠くにいるどこかの誰かが読むかも、って思って書いてる。


そういえば人に伝えることも、前よりは少しはできるようになったかなぁと思っている。思ってること、感じてることとか。


言葉にするってめちゃくちゃ難しいし、
正直、世の中言葉にできないことの方が多いじゃん!って思う。だったら無理に言葉にしなくても、自分が感覚として感じるだけでいいじゃん!とも思う。


だけど、自分以外の人とともに生きているからには、やっぱり言葉にしなきゃいけない。ていうか少なくとも私は言葉にしたい。同じものを誰かと一緒に感じたり味わったりしたい。

おいしいね〜って言い合いながらご飯を食べたいし、同じ景色を見て何を感じたか語りたい。私はこう感じたって言いたいし、隣にいてくれる誰かがどう感じたのかを知りたい。

私にとって言語化する意味ってそこだと思う。

自分じゃない誰かとの距離を縮める1番の手段は、言葉じゃないかなーと思っている。



ここからが本題なんだけれど、、、、

前よりは少しだけ言語化できるようになった気がして嬉しいけれど、なんだか最近、それが怖くもある。まだ全然できてないくせに何言ってんだよって感じだけど。


言語化して安心しきっちゃうというか、言語化するのってすごくすっきりするから、その快感がくせになってく気がして怖い。

言葉にして満足して、それでおしまい、みたいな。もっと考えたり感じたりできたかもしれないのに、その可能性を言葉がつぶしてる気がしてしまうことがある。

言葉が好きだからこそ、思いや感覚を綺麗に言葉にできた時の快感が半端なくて、それがクセになってる気がして。
自分がつくりだしたその言葉が自分を縛っていくというか、押さえつけていくような感じがする。

例えば、「あ〜自分ってこういう性格があるな」って気づけるのって、自分の新しい一面を知ることができるからうれしい。
あと、自分の性格には実は名前があった、って分かった時とか。自分は「おっちょこちょい」なんです〜とか。そう言えるのってすごい楽。

そういう一言で表せるのって気持ちいい。だけどそれって、逆に自分を縛り付けるような気がする。それによって自分の幅とか深さを強制的に遮断してるっていうか。


でも、、、
例えば体調が悪い時にお医者さんから何らかの病名を診断して貰えれば、原因が分かって安心する。分からないままでずっと熱にうなされるのってしんどい。だから、病名は必要。

だから
言語化がダメとかではなくて、言語化はきっとすべき。きっとじゃないな。間違いなく!すべき。

たぶん、それによっかかりすぎるのは良くないってことなんだと思う。


かかわらせてもらってる人の中に、めちゃくちゃ言語化が上手な人たちがたくさんいる。それは何かを縛るためにじゃなくて、みんなで共有し合ったり、思考の幅を広げたりするために。
私はいつもそれを聞いてて、そこで初めて違和感の正体に気づいたり、もちろん新しい発見もありすぎる。私はそもそも気づかないことも多いから。
ただ聞くだけしか出来なくて悔しい。
言葉云々よりも以前の問題もいっぱいあるのだろうけど
やっぱり、言葉にできるってめちゃくちゃすごいことだなぁって思う。その中にいて私には、言語化しなきゃ!っていう課題が生まれた。そういう、自分の課題が言葉にできただけでも自分にとっては大きい。
あとは自分ががんばるしかないなって感じだ。


とりあえず
いまある怖さについては、
言語化ってめちゃくちゃ大切だけど、時には言葉が人を縛ったり遮ったりするかもしれないから、それを知っておくべきってことかなぁ


いやぁ難しいです、、、、



おわり


今の気分
いつだって、帰りの電車はねむい。眠すぎてなんかもう眠気に疲れる。眠気との戦いが1番疲れる気がする。
疲れてて眠くなってるはずなのに、疲れから来る眠気との戦いで余計眠くなるっていうもうどうしようもない感じになってしまう。



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