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言葉は壮大で、窮屈 〜art stage OSAKA〜

ずっと論理的思考中心の世界で生きてきた。
アートの世界は無縁で
それらは、才能ある一部の人のもの。
憧れつつも、知ろうともしていなかった。

そんな私が思い立って、
アートフェア 「art stage OSAKA」へ
行ってみた。 

現代のアーティスト作品を展覧会形式で
展示しているフェアだ。
(ちなみに購入もできる)

作品ごとの、迫力に圧倒された。
恥ずかしながら知識が乏しすぎて
アーティストさんが伝えようとしていることを
まるっと理解できないけれど
とにかく感動してしまった。

壁掛けサイズの絵を見ては
この作品と生活するとどんな気分になるかな
なんて気づけば妄想していたりした。

私の言語力が乏しすぎて、作品を見る目も無くて
その本当の価値を受け取り
表現することがかなわないのだけれども
確かに感じる「強烈な何か」がそこにはあった。

日常を生きているだけでは感じることのない
訴えかけてくる迫力。
言語化できない突き抜けた空気。

自らの言語能力の低さを痛感する一方で
言葉では表現しきれないよな、
とも。
これは言葉では伝えることは不可能だ。
作品でなければ伝わらない。

キュレーターさんたちのセッションの中で
(背景知識が無さ過ぎて、半分ぐらいも分からなかったんだけど)

アートはこんなに大きな世界なのに、
僕が普段していることはこの辺の小さなことを
一生懸命しているだけに感じる

という言葉が少しだけ分かった気がした。
アートは、世界の広さを教えてくれる。

世界は広い。
そう思っていた。言葉で分かっていた。
けれども、全く広さを実感していなかった。

ちっぽけな世界で、広く描けているつもりになっている自分をハッとさせるためにも、
アートに触れることは大切だな。

そして。
表現するという行為は、
生きることを満たす上で重要なのかもしれない。

誰しもが、自分の感性を評価してほしいと求めている。
特に仕事でそうなんじゃないかと思う。

じゃあその第一歩として、感性を表現しなくてはいけない。

「感じること」を「アウトプットする」

アーティストさんたちは魂をかけてそれをしていた。
作品をしっかり感じることで
少しだけでもそれができるようになるだろうか。

この体験はそんな第一歩。
趣味はアート鑑賞ですと言えるようになるには程遠いけれど、少しだけ近づけた気もする。

それにしてもアートを見てしまうと
言葉は壮大で、窮屈だと感じてしまう。

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