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初めてデザインフェスタに出展して絶望を喰らった話


2013年5月のデザインフェスタ
ボリュームでいうと37

デザインフェスタvol.37

当時25歳の僕は
絵を描いているだけで稼ぎもない
バイトもしていない
ただの糞ニートであった

そんな僕が
デザインフェスタに出たきっかけは

親父に言われた
「自由にやっていいのは25歳までだ」
という言葉だった

そう
いつか終わりは来るものだ
このダラダラと絵を描いてるだけの
糞ニート生活にも…

わかっていた
わかっていたのだ

当たり前だ

当時、僕は鳥取県民で
山陰(鳥取・島根)の
クラブイベントでライブペイントをしたり
mixiのコミュニティに絵を載せまくったり
そのような活動をしていた

絵での収入は
1年で10万円くらいだったorz

稼ぎもなけりゃ、ただのニート

そんなこんなで気づいたら
運命の25歳になってしまったのだ

ダラダラと絵を描いてるのも
いよいよ終わりだなと

最後に挑戦してみようという気持ちで
思い切ってデザインフェスタという
大きなイベントに申し込んでみた

当時は先着順で
募集開始すぐ申し込んだ

そして、デザインフェスタに
出展することが決まったのだ

😃😃😃

デザインフェスタというものに
行ったことがなかったし
正直どんなイベントなのか
よくわかっていなかったので
とても不安だった

鳥取県は
47都道府県で最も人口の少ない県だ

世田谷区の人口よりも
鳥取県の人口の方が少ないのだ

東京には1回しか行ったことがなく
中学の修学旅行以来だった

都会の電車に乗れるかも不安だった
なんならそれがいちばん不安だった

😰😰😰

デザインフェスタは出展料が高い

僕はSブースを申し込んだ
いちばん小さくて安いブースだ

1.8m×0.9m
たたみ1畳分のスペースだ

いちばん安いと言っても
2日間で21000円
後ろの壁も借りたので
40000円近くだった

ちなみにこれは2023年のデータ
10年前より少し値上がりしてる

両サイドの壁も借りると
50000円も超えます

話は戻ります

ちなみに当時の僕は
机やイスのレンタルはしなかった

地ベタで勝負しようと思った


てか

金がなかった!!!!

ニートだもの

🫠🫠🫠


そしてその日は来た

デザインフェスタ前々日
夜行バスで東京に向かった

ちなみに
帰りのバス代は持ってなかった
なんなら2000円も持ってなかった
(東京なめすぎ)

マイミクのバンドマンの年上のお姉さんが
泊めてくれると言ってくれてたので
お言葉に甘えておウチに行った




めちゃくちゃセックスした



😉😉😉


深夜4時頃に
国際展示場まで辿り着けるか不安になり
(電車の乗り換え失敗したらどうしよう)
(そもそも電車に乗れるか不安)

という訳で
大井町から国際展示場まで歩きだした

今、思うと意味がわからん

実質、泊まってない

迷いながらも4時間かけて歩いて
無事に国際展示場に辿り着いた


すごく安心した

☺️☺️☺️

始めてのビッグサイト

会場の広さにビビった
まだ来てる人は少なくて
ほとんどのブースが空っぽだった

これから戦いが始まるのかと怖くなった

とりあえず自分のブースまで行った
隣のブースの人はまだ来てなかった

ここで2日間戦うのか…

実感が湧いてくると
更に怖くなってきた

たくさん歩いたもんで
喉が乾きすぎて
サイダーを買った
自分のブースで飲もうとしたら
炭酸がブシャーッてなって
めっちゃこぼれた

パニック


落ち着いてから
あらかじめ送っていた荷物を
運営のところに取りに行った

送った荷物には保管料がかかり
サイズ的に1000円のはずだったが
保管料が2000円になります」と言われた

パニック

さっきサイダーを買ったせいで
所持金が2000円をきっていた

パニック

金が足りない、詰んだ…

まてまてまてやっぱりおかしい!!

もう一度、確認してもらった
やっぱり1000円だった

おい!!ふざけんな!!

なんとか荷物を引き取り
自分のブースに戻った

ふう…

地ベタにグッズを並べて
送っておいた大きな絵を壁に展示して

準備はすぐに終わった

🫡🫡🫡

開場まで時間があったので
開場前のデザインフェスタを見て周った

🧐🧐🧐

会場にはぞろぞろと出展者が集ってきていた
みんながブースを設営をしている

増えてく出展者の多さにビビってきた

絵だけでも
すごい数のブースだった

いろんな絵があった
いろんな表現があった
いろんな見せ方があった

こんなにも絵を描く人がいるということに
感動した

絵で活動してる人たちってスゲェ!!
ってなった

いろんな絵描きのブースを周って
開場前のデザインフェスタを周って

僕はマジで
ただ絵を描いてただけで
糞ニートのペーペーで
井の中の蛙でしかなかった

フォロワーも当時は
200人くらいだったろう

自分が小さく小さく小さく見えた



絶望を喰らった



絵で生きていくなんて
無理だよなあって思った
本当に思った
完全になめていた

25歳までだし
もう25歳だ
終わりだorz

デザインフェスタが始まる前に
そんな気持ちであった

自分のブースに戻って
雨に濡れた子犬みたいに震えていると
両サイドのブースの人が来ていた

そういえば
デザインフェスタのTwitterアカウントの
出展者からのアドバイスみたいなタグで
「隣の出展者さんには挨拶しよう」ってあった

🤔🤔🤔

挨拶しようかと思ったが

めちゃくちゃ挨拶する感じじゃなかった

マジで殺伐!!!!

何が挨拶しようだ!!と思った

みんなライバルなんだなあって…
(空気感によると思います)

挨拶しないまま
挨拶されないまま

初のデザインフェスタが始まった


所持金は1000円もなかったので
お釣りを返せる感じじゃなかった

ピッタリで出してくれ
そう願っていた


とりあえず帰りのバス代は
どうにかしないと帰れない

ラインナップは

ドローイング 1000円
五十音かるた式ガムを捨てる包み紙 200円
缶バッジ3つセット 500円

これだけだ

よくこれで挑んだなという感じの
ラインナップだ

ガムを捨てる包み紙とか
マジで意味がわからんけど

そんな自分

嫌いじゃないぜ



あとは暇な時に壁に絵を描こうと思い
画材は持ってきていたので
ライブペイント的なノリで
暇な時に絵を描いたりした

マイミクが来てくれたり
初めましての人が来てくれたり

なんやかんや人が来てくれた

人に見られるって
気持ちがいいなあって思った

カウパーが出ていたのかもしれない

机とイスがなかったから
逆に目立ったとも言われた

これが当時の写真です

失うものがない感じはあったかもね


そんなこんなで無事に
デザインフェスタが終わった

結果的に
出展料は取り返せていた

お客さんもそれなりに来てくれたし

よくやったと思う

終わってから
ブースを片付けてる時に隣のブースの
ロシアの女性が話しかけてくれた
「写真撮っていいですか?」って
嬉しかった

最初から挨拶しとけば良かったやんけ!!
と思った…

(今も基本的に自分から挨拶はしてないです)


本当にすごかったデザインフェスタ

また出たいと思ったけど
もう出れないなとも思った

絵だけじゃなく
写真や雑貨やアクセサリー
いろんな出展者がいた

たくさんの出展者を見た
すっげーのがたくさんいた
おもしろいのがたくさんいた

東京ってすごいなあって思った
東京で戦うのは無理だと思った

終わりって感じがして
なんか悔しかった

僕ってこんなもんかあって
改めて知れた

これが初めてデザインフェスタに出て
絶望を喰らった話です


その後


僕は東京に1ヶ月いた


バンドマンの女の人の家に泊まったり
他のマイミクの家に泊まらせてもらったり
野宿していた

と言っても金もないし

新宿駅南口で
ただ座り込んで人を見ていたりした
鳥取じゃ見れない
人の多さが面白かった

そんな東京での1ヶ月で
いろいろと考えた
デザインフェスタでのことや
これからのこと

そんで出た答えが

いけるんじゃね?
だった


なんの根拠もなかったし
バカだったと思う

マジで根拠の無い自信っていう
すっっっっげえ小さいひかり
しかなかったけど


4ヶ月後に上京してた



もちろん
絶賛ニートだったし
いろんなものを売って
20万くらい集めて

それだけで東京に来た

住める家は
風呂なし、トイレ共同、四畳半
ガスの契約もしなかった
お湯も出なかった

25歳

ここから始まりました

周りと比べると
今のヤングたちに比べると
遅いスタートかもしれないと思うけど

実際は早いも遅いもない


根拠のない自信も
ちゃんと続けていけば
根拠のある自信になる
今は確かな自信になっている


絶望を喰らっても
根拠ない自信を持って
続けようとするバカは
強かったりします

ただ
ずっと根拠の無い自信のままで
走り続けてる
本当のバカじゃダメだけどね



10年前に絶望を喰らった僕へ

「再起」


おわり


LOVA🐴♡


デザインフェスタ初出展から10年
振り返る回

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