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『亡霊の心理学』


ある人との別れがあった。
その人はいま遠いところにいるという。

その人との出逢いは、3年前だった。
夫の四十九日頃にはじめて知った。
なんとなく、夫が姿を変えて私の前に現れてくれた、そんな感じのする人だった。

出逢って3年が経とうとした頃、急にその人との別れが近づいているんじゃないかと、ものすごく泣いた時期があった。
泣きながらうすうす意識していることをはっきり自覚した。
わたしは、いま現実にいるその人に、夫と過ごせなかった未来を重ねていたと。

夫は死んでしまった。
でも、ボーナスタイムがあった。
生きている夫と過ごすことはなくとも、夫といるかのような感触をゆるゆると持てるような時間。
そういうことが許された時間。

その間に、わたしは死という衝撃で粉々になった心をかき集めて、心はまたできあがった。
遠いところに行った彼との別れを悲しみながら、「間接的に」夫との別れも悲しんだ。
心が再びできて、わたしはやっと別れを悲しむことができた。

突然の別れは、少し腹立たしくもあった。
泣きながら、

"なんで、なんで、勝手に、何も言わずに行ってまうの。
わたし、あなたに、ありがとうって言ってない。"
という想いが出てきた。

夫が死んだことは、意識の上では腹立たしく感じていなかった。
でも、意識されないところで、腹立ちはあったのかもしれない。
あれが、最後だと思っていたら、たぶん抱きしめたから。ありがとうって。いってらっしゃいって。今までもらった感謝のエネルギーをありったけ込めて。

今世出逢ったのだから、またいつの世にか出逢うんじゃないかと思う。
それは、因縁というものなのか、今世互いにエネルギーを交わしあったのだから、いつの世にか、そのエネルギーの残存が再び芽を出すときがあるんじゃないかと思っている。

いま目の前の人間関係は、過去の人間関係の表れだと誰かが言っていた。
人間関係で何かがあったときは、それは過去の人間関係という亡霊を見ているのかもしれない。
そして、いまいる目の前の人とともに生きることで、関係性は新たに紡がれていくんだろう。
現実の関係も、亡霊との関係も。

あのとき途切れた物語もいまを起点に、間接的に新たに紡がれていく。
過去は固定した過去ではなくて、常に今から見た過去であり、今を起点に過去はいつも変化し続ける。

それでも、言わせて。
やっぱり会ってありがとうって言いたい。
この声で伝えたいの。
だから、どうかご無事で。また会おうね。

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たぶんこの記事がnoteにあげる最後です。
頭で考えてもわからないことっていっぱいだから、これからは芸術や芸能の世界に浸って、いけるところまでいってみようと思います!
ありがとうございました。

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