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社会人3年目で得た知見を爆語り

おはようございます。
今日はなんと!嬉しい日で早起きができました!(なんて嬉しい)
えっ本当に本当に嬉しい!よろしくお願いいたします。

ネタは私が書けそうなネタ一覧表から今日の気分で選んでいるのですが、今日は題して「社会人3年目で得た知見」です。20歳でとある会社に就職をして、ネイチャーガイドを目指す私ですが、今年の4月で3年目を突破しました。めでたい。そこで、社会人3年目で得た知見を偉そうに爆語りします。

社会の独特の「フワフワ」に溺れた2年半
私は社会人スタートと共に、一人暮らしと移住生活と遠距離恋愛のトリプルスタートもきっていました。そして社会のあの独特の深海のような空気のない暗闇のような「フワフワ」でもがき続けていました。人の入れ替わりも激しい部署で、日々増えていく責任とタスクに押しつぶされそうな毎日。「寂しい」という感情に支配される。思考はまさに停止状態。自分が「何がしたいのか」が全く考えられなくなる。安心の所在地は毎晩電話してくれる遠距離の彼だけで、いつの間にか彼だけがいれば幸せだ。という黒歴史すぎて思い出したくないけど、恋愛依存の状態に陥っていました。

「社会はびっくりするぐらい自由だ」
「フワフワ」の正体これはまさに「自由」だと思うのです。学生の頃の「自由」
はとっても簡単だった。例えば校則と反対の自分の個性があれば自由になれた気がしたし、進路だって決められた「答え」の中から選べばそれが自由に選択できた気がしていた。
社会人の自由って、本当にどこまでもどこまでも自由
例えば「仕事はどこまで力を入れるか?」
さらにいえば人生「どこまで頑張るか?」
幸せのものさしまで「自分にとって何をもって幸せというのか」
自分で決める必要があったの。本当にびっくりでしょ(笑)

思考せず諦める癖
私は正直本当に戸惑った。自分ではこれまでも人より「自由」に生きているつもりだったから。自分では、人よりも器用でポジティブなことだと思っていて「どんな環境でも楽しめる」が最強の強みだと思っていた。(今でも思ってるけど)けどこの強みを利用してあらゆる夢から逃げてきたなと。例えば「大学」東大とかではなく、いわゆるMARCHみたいな場所。私にとっては「頑張れば誰でもいけるところ」ではなくて「世界が違う人がいくところ」ということ。という感覚。
それは周囲に興味を持たずに生きてきたからその世界を知らなかったから。でも私なら他の場所でも楽しめる。その「癖」に気がつけずにここまで来ちゃったもんだから社会にでて「自分を持っているひと」にすごく戸惑ってしまった。

私が社会の「自由」を楽しめるようになったきっかけ
それはズバリ恋愛依存していた彼に振られたこと(笑)
この話はまた別で爆語りしたいけど、振られた時に1番に「そりゃそうだ」と思ってしまった。((ちなみにこの彼とは復縁をしてリベンジマッチ中))
当時全てだった人を失った時、私を助けてくれたのは多くの友達と藤井風でした。その時信頼する姐さんの言葉「ホンモノだけが残るよ」強く信じて自分の好きなことを極めることにしました。そこで「自然」「写真」「ドラマ」「音楽」その結果順調すぎるほど傷が癒えていって、ついでに「人の心を豊かにすること」「人の温かみ」最後に自分の最大の「依存」というトラウマから「依存せず自分の力で生きていきたい」という気持ちに出会うことができました。今日の日はやっとNOTEまで辿り着きました。どうせ生きるんなら社会に何か引っ掻き傷くらい残してやりたい!と強く思うのです(相変わらず大志で恐縮ですが)

社会に怯えている人へ。なんとか3年目までいった私が偉そうに語らせていただく。私の社会に出て得た知見を2つ

①「自由」を楽しむこと 
私のようにフワフワとした社会の圧に押しつぶされそうなひと。「自由」って私のような人間にとってはめちゃくちゃ辛い。解決策はひとつだと思っていて、人生どこまで頑張るのか?自分にとっての幸せは?をひっそり持っておくこと。これで概ね大丈夫。私は人生割とガッツリ頑張りたいタイプだった。私にとっての幸せは「依存せず生きていくこと」「彼はもちろんだけど、友達、家族、大好きで大切な人を自分の力で幸せにすること」だと思ってる。これは本当になんでもいいと思うし人それぞれって言葉がとってもしっくりくる。そして大切なことは私は正直、人の答えは本当に本当に興味ない(ごめん)興味ないというより、聞いて「いいね」と思うだけで否定する気はない。でもきっと多分ほとんどの人はそうだと思う。まあそこそこ否定する人がいるだろうけど、ほとんどの人は人の軸聞いても別に「ほう」となるだけでしょ(笑)

人に訴える必要もない、途中で変えても正味誰もわからないからいいと思うの。自分の中の「軸」がなくて些細な誰かの一言で悩むことになるのは、どう考えたってとても勘弁したいところ。

②自由を楽しむこと
社会は趣味や休日にすることが名刺代わりになった。私は本当に何にも用意してなくて社会人と話すのことがとても億劫になった。「好きを極めること」これが社会を楽しむ上でこれは非常に私の気持ちを楽にしてくれたこと。

人より詳しくなくても別によくて「好き」と口にすること。なんか詳しいこと聞かれたら「詳しいことわかんなくて、でも好きなんですよ^^」と言っておけばもう聞いてこないし、自分のターン終わるし、どうにでもなるから大丈夫!これでもひとつルールがあって、どうかお願いだから自分が1mmでも興味あるものにして(笑)私も「写真が趣味です」とどうしても口に出せなかった。それは周りに上手い人は五万といるし、こんな身分で趣味とか恐縮です、もはや失礼だろ!と思ってた。けど本当にそんなことなくて!

本当に「言ったもん勝ち!」なんでもいいの!ふと自分が趣味なんですか?と聞かれたら建前的に答えるもので。それが多分正解だから自信持って大丈夫。人より詳しくなくても、うまくなくてもオールオッケーだと思ってる。ほとんどの人最初はそうだと思うんだけど違うのかな(笑)

以上です。私もまだまだ修行中で自分の軸はわかっているはずなのに、こんなに言っているのに、些細な言葉とかで異常なほどブレそうになる(笑)
昨日言っていたことと今日言っていることが真反対なこともある。ブレブレすぎて自分でも呆れるほどだし、彼にはいつも本当にごめんと思ってる。けど思うことはドツボにハマって抜け出せなかった暗黒時代より幾分もマシ。きっと頭がまだ動くみなさんへ。頭だけ動かそう頑張ろう私も頑張る。
あーー本当にできればみんな幸せになってほしい。みんなに幸あれ!

Nice to meet you.





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