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作曲12周年。私は今日も音楽を信じている。

6月30日。
私が初めてオリジナル曲をネットに投稿した日です。


この12年は、とても長かった気がするし一瞬だったようにも思います。

ずいぶん遠くまで来たものだ。


作曲、上手くなったとは思います。早くもなった。
しかし良くなったのかは、わからない、聴いてくれるあなたが決めることです。

変わったところもあるし、変わらないところもある。

「どう作るか」は、シンプルに技術の話なので、時間をかけてそれなりのセンスがあれば良くなっていくのですが、「何を作るか」は初心者でもベテランでも何作も作っていても、毎回同じスタートラインで試されている、ように思う。

その「何を作るか」は、12年経っても「ごめんね生きてる」の制作データの底に、ずっと静かに横たわっている気がします。そこは、変わらないし変われないのかな、良くも悪くも。


12年で生活は大きく変わりました。

関東で憎しみ合う両親と暮らして、精神疾患で逃げ出す体力もなくなって、もう死ぬしかないかというところから、結婚で東北へ。

東北でも嫁姑問題などもありましたが、今は旦那と二人暮らし。

今月、結婚10周年を迎えました。
今でも毎晩語り合うくらい仲が良いです。

毎日それなりに元気でなんとなく幸福。そういう生活こそが一番いいのだろう。

奇妙な人生。

作曲しなかったら私は旦那と出会わなかっただろうか。今ここで暮らしていなかっただろうか。

作曲していなかったら全然違う私になっていたかもしれません。

6月30日が来るたびに別の媒体でも繰り返し書いていた話なので、もう知ってるよ!という人もいるかもしれませんが(いるかな?)、毎年のお約束ということで笑

その話、より詳しく!という人は以前語ったこちらの記事をどうぞ。


作曲すること、創作活動をすることは、私にとって水みたいだと思います。

作曲が好きなんだね、と言われてもピンとこない。

私たちは水が大好きで仕方がないから飲むのではなく、喉が渇いたから飲みますよね。
私にとって、作曲ってそういう感覚。

作曲欲というのが存在して、それを満たすために作っています。

まあ、しかし、解離性同一性障害で記憶が飛んでも、私が誰だかわからなくなっても、なぜか作曲を中心としたこの活動は途切れませんでした。
一時期は解離で上手く書けなくなっていたのですが、それでも辞めるという選択を当時の私は選ばず。

だからきっと好き、とも少し違うけれど、何か大切で欠かせないものなのは間違いないはずです。


12年経って、こうして今も作曲ができていて、本当に良かったと思います。

ここまできたら、できる限り長く幸福に続けたいものです。

そしてあなたが、聴いてくれて、作った歌を好きになってくれたら、いいな。「大好き!」ならもちろんとても嬉しいし、「なんとなく良かった〜」だって嬉しいです。

再生数が少なかろうと、技術がまだまだ足りなかろうと。

音楽から何かが伝わって、知らない誰かの心を動かす力を私は信じています。

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