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子供のころは行けた魔法の国

解離性同一性障害だと診断されたのはずいぶん大人になってからだったけれど、思えば子供のころから解離していたらしい記憶があります。


今日は、小学生だったころの私のずっと魔法の国に行けた時の話です。
今はもうそれは、幸せな空想だけだとわかってしまったけれど。

懐かしくて愛おしい、あの世界だけが本当だと思っていた、あのころの話。




いつだったか、小学校低学年だったか。色々な物とテレパシーで話せることに気づいたのが始まりだったように思います。

鉛筆や消しゴムや、キーホルダーのぬいぐるみだとか。あらゆる持ち物に私が心の声で話しかけると、返事をしてくれていました。

返事を空想していたわけではなく、自発的に物が喋るような声がテレパシーのように心に聞こえていたのです。

そのころの私も現実との区別はついていて、物と喋るときの声は現実には聞こえないこと、他の人にはそれができないことはわかっていました。

その幻覚体験を、小学生には幻覚だとわかりません。当時の私は「そうか!私は魔法が使えるんだ! 私は魔法使いなんだ!」と考えるようになりました。

たいていのファンタジー漫画の中の主人公たちは、不思議な体験をしても誰にも話さなかったので、私も、秘密しなきゃ!という結論に辿り着きました。だから、私だけの秘密の友達。

学校で実在する友達はたくさんいたけれど、付き合いがずっと苦痛でした。そんな中、私の持ち物から聞こえる声は優しく、居心地がよかったことを覚えています。

そんな、私の手を離れた私の空想は、次第に膨張していきました。


さらにいくつか年が過ぎたころ。小学校中学年から高学年にかけて、くらい。

物と話せるなら私は魔法使い。だから本当は、私は魔法の国からやってきた。今いる学校の友達は本当の友達じゃない、今いる両親は本当の両親じゃない……と思うようになっていました。

そして目を閉じればその魔法の国に行けるようになっていました。

目を閉じるとまず、生活できるくらいの広さの潜水艦のような乗り物にワープします。
その乗り物はワンルームのような広さと設備。インテリアなども凝っている部屋のようになっていて。そして前には宇宙船のような操縦席。
キャンピングカーを大きくしたようなものですね。
この乗り物は時空空間に存在していて、乗れば魔法の国あらゆる場所へと出かけられる……という設定でした。

乗り物や魔法の国には、魔法使いの友達もいたような記憶があります。
乗り物をルームシェアしていた友達などがいたような……ちょっと細かい記憶は曖昧です。

これも自分で考えたり想像したりした自覚はありませんでした。自然と、気がついたら、魔法の国も乗り物もあって、私の魔法使いの設定は濃くなっていきました。

毎日寝る前になると、私はこの乗り物へ乗りに行って、魔法学校や魔法の市場などに出かけました。
そして途中で眠ってしまえば現実世界に戻されます。

魔法の国の途中で眠りについては翌朝起こされて学校へ行く生活。


時空空間という発想はドラえもんのタイムマシーンでしょうか。

魔法の国の風景は、映画や童話、ファンタジーの児童書に影響されていたように思います。


小学生の私は毎晩、もっと長い時間魔法の国にいられたらいいのに、と思っていました。

嫌いな友達にも、怒鳴る両親にも、もう会いたくなくて、いつでも早く魔法の国に帰りたかった。


そんな、空想を生きる不思議ちゃんみたいな小学生でした。

でも、当時の私にとって、魔法の国は現実で、そう思わなければ生きていけなかったのでしょう。

それに、その空想がありありと見えて、かつ自発的にこちらに話しかけたとしたら、子供にとって現実のように見えるのも無理はないのではないか、と、過去を自分を擁護します。


やがてそのうち、魔法の国は現実でないと気づきました。

しかし、どうしてその魔法の国から現実に戻ってこれたのかは覚えていません。

中学生のころには、空想だと気づいていた記憶があります。
なのでどこかで目が覚めたはずなのですが……何がきっかけだったっけ? 記憶が飛んでいる……。


物が自発的に喋るように聞こえていたのは、交代人格が子守をしていてくれたのか、はたまた単に解離して自分が考えている空想であるという認識が持てなかったのかは、もう、わかりません。

でも、今でも時々、あの魔法の国の安心感と幸せが懐かしくなるのです。




こちらのアルバムに、魔法の国の歌があります。
お時間あったら聴いてください。


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