輪舞曲 ~ロンドン④~

 やがて、沢山の並んでいるドアのなかから一つのドアが開けられた。天井は大広間のように高く、奥に天蓋のついたベッドが見えた。
 私が吸い寄せられるように進もうとすると、靴の先が部屋の中に入るか入らないかの瞬間に「そこまでです」と案内の女性に止められた。私が、はったとして申し訳なさそうにすると、女性は無表情で小さく頷いた。
 部屋の壁紙は2メートル以上あるだろうか、深い緑色に金色で植物を模した紋章のような、アラベスク柄のような模様が描かれていた。これがフランスなら明るく可愛らしい雰囲気なのだろうが、素晴らしい技術で作り上げられているであろうこの部屋が、暗く重く感じたのは色のせいだけではないだろう。部屋はかなりの広さがあった。住人がいないからかもしれないが、がらんとして雑風景に見える。部屋の奥にある大きなベッドの他に、書きものをする机と椅子が見えるだけなのだ。これで、ちょっとした小物などが散らばっていたりしたら、随分とこの部屋も生きているように感じるのだが、そういった余分なものは一切排除されていた。案内の女性にそのことを聞いてみたが、彼女も「使われていたのは随分昔のことですし・・・」と困ったように言われた。彼女がこの部屋を初めて見たときから、ずっとこのような感じだったそうだ。
 しばらく部屋を見渡して、私は案内してくれた女性に礼を言った。彼女は小さく頷き、静かに扉を閉めた。彼女に、この部屋は以前誰が使っていたのかと尋ねた。
「私が聞いている話ですが、・・・・・・・ーーーー」

 さて、私の依頼された仕事はこれで終わったのだが、ここからは個人的な興味で調査を続けることにした。それにあたって、親戚の無駄にある権力や名声を使わないわけにはいかない。
 私は尤もらしい理由を並べ立て、毎日ハンプトン・コート宮殿へ通う権利を得た。幸い、特に何も言われることなくその権利は約束された。私は案内係をつけようかとも言われたが断り、立ち入り禁止の場所には入らないことを約束して気ままに宮殿の中を歩き回った。
 最初の三日間は特に何事もなく過ぎていった。
 私は落胆することなく、庭を散策したり、時には他の見学者と鉢合わせしたりしながら過ごした。
 変化があったのはそれからだった。私が廊下を歩いていると、膨らんだドレスの裾がちらりと見えることがあったのだ。それからは宮殿の中を中心に、ぐるぐると、時には同じ場所を何度も歩くことにした。
 そして、その時は急に訪れた。私が廊下を歩いていると、少し先にある狭い階段から、青白い顔をして深い臙脂色のドレスを纏った女性が音もなく現れたのだ。彼女は何かを探しているように扉を覗き込んでいた。私は彼女の後ろに立って、何も言わずに彼女が見つめる先の扉を少しだけ開いた。彼女は急に開いた扉を不思議に思うことなく夢中で部屋の中を見てから、興味を失ったように次の扉の所へ向かっていった。私は、その後も彼女が見たそうにしている扉を(それはいずれも立ち入りが禁止されている部屋だったが)少しだけ開けてやった。彼女はすべての部屋の中を見ていたが、探しているものはなかったのか、いくつかの部屋を見たあとに消えていった。
 次の日は、前の日に彼女を見た場所を中心に宮殿の中を歩いたが、意外にも彼女は厨房の近くにある召使いたちが使っていたであろう通路のすぐそばで見かけた。しかし、その日は足早に進んで行く彼女を見ただけで、それきり姿を見ることはなかった。
 その後も何度か彼女は姿を現したが、彼女が言葉を発することはなく、調べられるのはここまでかと思っていた時だった。偶然にも、チャペルの入り口に彼女が立っているのが見えた。私は恐る恐る「何か御用がおありですか」と話しかけた。彼女は少し驚いたようにこちらを見て、話すのをためらうように目を伏せた。
「ヘンリー8世が造ったといわれるチャペルですね。厳かで、美しい。まるで神に語りかけられているように思います。」
「・・・ええ。」
「貴方も入ったことがありましたか。羨ましい。」
「ええ。窓からの光が神秘的でよく覚えております。」
彼女は先ほどよりも凛とした光を目に宿し、しっかりとした口調で答えた。

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