藤瀬朱里(AKARI FUJISE)

制作における思考の記録 長かったり短かったり乱文だったりします。 https://…

藤瀬朱里(AKARI FUJISE)

制作における思考の記録 長かったり短かったり乱文だったりします。 https://akari.studio

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無人の場所を志向する身体

今回のnoteでは、今年の1月頃のアート制作において考えていたことをまとめてみます。 目次 1.はじめに 2.過去の経験や記憶に紐付けない知覚に存在する静けさ 3.自分を空虚、不在にするレシピエント(受容するもの)としての静けさ 4.現象学:静けさは同時に他者に開かれる 5.見るものと見られるものはお互いの地図を作る 6.因果関係のカオスに埋められた痕跡 7.浮遊する痕跡:ものを因果関係から解き放つ 8.痕跡の残らない場所:砂漠 9.痕跡(因果関係

    • drawingとintimacy(=しがみつくこと)の関係性について

      先日Instagramで公開した個展の動画に何人もの方が長文で感想を送ってくださり、つたないインタビューでも公開していただいて良かったと思いました。心に残った感想があったので、それについて私が考えたことを話してみようと思います。 その方は最近思い出の詰まった家を離れることになり、その家の痕跡をドローイングしたらどのような作品が生まれたのか考えてみたい、ということを心を込めて書いてくれました。今回のインタビューは【愛着】について直接触れていませんでしたが、周辺から何かを汲み取

      • 生命を一つの質量を持った点ではなく、

        生命を一つの質量を持った点ではなく、絶えず変化し生まれ続ける線の束であると捉える時、領土は奪い合う必要がない。その代わり私たちはそれぞれのオリジナリティを保ったまま調和し、リズムを作り、絡まりあい、時に一方的にしがみつくこともできる。 そしてそれが無慈悲に増大しつづけるエントロピーに対抗する唯一の手段かもしれないのだ。

        • 個展『静かな解体の音が聞こえる』に向けて:「遠くを想う」というドローイング

          東京の片隅で観察者なく溶けていく南極の氷に思いを馳せる。青い光の信号が遠い記憶の古層を折返して今ここに跳ね返ってくる。(ステートメントより) 青い光の信号 遠い山並みや空が青く見えるように、遠くのものに光を当てた時、短い青の波長だけが反射して帰ってくる。普通雪は空気が入っているので、光が乱反射して白く見える。それなのに雪が固まってできた氷冠が青くみえるのは、長い年月をかけて凍った密度の高い氷が深くまで光を通すからだという。 静けさの印象が青いのは、それが想像以上に遠くにあ

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        無人の場所を志向する身体

          個展を開催します:「静かな解体の音が聞こえる」

          7月2日(金)から個展を開催することになりました。 詳細は以下のとおりです。 「静かな解体の音が聞こえる」 Akari Fujise 2021.7.2(金)-7.6(火) at GALLERY33 SOUTH (東京都杉並区高円寺南 4-12-21 SUNSKY) 11:00-19:00 (最終日は15:00まで) 氷冠というのは人はもちろん微生物も生きられないような過酷な環境で、 その奥底には恐竜の生きていた時代の空気も閉じ込められているという。  南極の氷が溶けて鳴

          個展を開催します:「静かな解体の音が聞こえる」

          直線的でないもの、直線的でない見方

           全体は大きくないけれど、その中に全体の大きさからは考えられないような距離が含まれていることがある。松の木のうねり、内臓の腸、楽器のホルン、茶室までの入り口、迷路。・・・今挙げたものだけでも性質や特徴は多様だが、あえて共通点をあげるとすれば「直線でない」ということだろう。 日常の中に距離を持つ方法として、物理的に遠いものとの接点(例えば月を観察するなど)を持つことや旅行逃げかけること以外にも、小さなものの中に距離を発見するというやり方が考えられる。レイチェル・カーソンのセン

          直線的でないもの、直線的でない見方

          静けさについて

          私が距離について考える時、いつも「静けさ」という言葉が頭に浮かんでくる。 瞑想のような内的な静けさというのは、自分の中に無限の距離を感じる行為だし、外的な静けさというのは、砂漠のようにものすごく距離のある場所の微かな音も耳に入ってくる。その音は空間的な意識をぐんと広げてくれる。静けさのなかでは、普段耳の近くで鳴り響く大きな拡声器が全て寝静まり、代わりに小さくて消えてしまいそうだけれど大切な声に意識が向かう。そんな声に耳を澄ませることは私にとって距離のある行為であり、そういう

          時間という名の距離

          「長い時間の経過を感じさせてくれるもの」 は、私がその中に「距離」を感じるものの一つだ。 経年変化、腐食、堆積、、、いろいろな時間の積み上がり方がある。冷凍保存というのも、ものを長く保つ手法の一つだ。長い時間をかけて作られた工芸品なども、間接的にそこにかけられた長い時間を感じさせられる。 長い時間を感じさせてくれるものが好きな理由の一つは、時間が継続しているということへの安心感が生まれるということかも知れない。それが昨日もあり、今日もあり、明日もあることが確実に感じられ

          時間という名の距離

          zineを作りました

          Zineをつくりました。 ロンドン芸術大学のスタジオデスクのアーカイブ集です。 私は昨年の9月からこの学校に通っており、次のアート制作のためのリサーチとして生徒が使うスタジオのデスクの写真を撮り始めました。 偶然ですが、撮り始めたのは学校が突然閉鎖するちょうど一ヶ月前、2/17からでした。 ロンドンでの学校生活の中でこれらのデスクの汚れは、きれいな東京の街で生きてきた私にとって、なぜか異常に魅力的で、意識の沼のような存在でした。それに気付いたのはコースが始まってからすぐ

          見えないものを待つこと

          突然学校が閉まり、賑やかなロンドンの街から人が消え、 友人と会えなくなり、ここ数週間の世界の変化をダイレクトに感じています。 家に籠っているので考える時間がたくさんあり、 ベルリンで見たある作品のことを思い出しました。 Kris Martin, Mandi III, 2003 Information flap-board Kris Martinというベルギー人のアーティストの作品で、私はベルリンのboros collectionという場所で初めて観ました。昔空港や大き

          見えないものを待つこと

          Short Essay: Common Silence

          年始に書いたショートエッセイを公開します。

          Short Essay: Common Silence

          何の地図を描くのか〜現代アートにおけるドローイングについて〜

          昨年からロンドンでファインアートを学んでいます。今回は私が勉強しているドローイングについて現代アートにおけるドローイングとは何か、という観点で学んでいることをシェアしてみようと思います。 言うまでもなくこの数週間で世界の状況がガラッと変わりました。アートの分野もこれからどのようにレスポンスしていくのか分かりません。そんな中で未来を考えるためにドローイングについて学んできたことをまとめてみようと思ったのがこの記事を書く動機です。 また学んできた中で、ドローイングという概念は、

          何の地図を描くのか〜現代アートにおけるドローイングについて〜

          80円の重み

          父の恩師から父へ頻繁に届く手紙の切手のセンスがとても気になった。 80円を作るために5円と7円と50円を組み合わせる不思議なコラージュ。自分が生きて来た異なる時代をコラージュして80円を作り出す質の高さ。父と交流してきた時間の重み。そしてそこに現在の生きている場所と日付が刻まれることの喜ばしさ。遊び心があって愛に溢れている。 もしかするとこの先生の教えが父を通して私にも届いているかもしれないと思うとその果てしなさに少しどきっとした。

          ロンドン芸術大学受験の記録

          海外の美大受験にチャレンジし、9月から通うことになりました。今回はその記録を公開しよう思います。

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          ロンドン芸術大学受験の記録

          生きることは線を生むこと

          最近「ライン(line)」という概念に興味を持っています。 美大受験の時のポートフォリオ制作の過程で、布が透けているのは、それが糸というlineの複数の重なりから成り立っているからということに気づきました。(ポートフォリオの内容については他の記事で触れたいと思います) それで思い出したのが2017年NYのチェルシーで見たRuth Asawa (1926-2013)の作品。 彼女はワイヤーを編み込んで半透明の彫刻を作りました。線の密度によって濃淡がつきます。 この作品に

          生きることは線を生むこと