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大切な人ができたなら  「い」祈る


普段から祈るのが好き。

ごく普通の日本人だから、いつも自分自身の心に問いかけながら、魂の奥から湧き出る自分の声を道標に「生きる」って旅を続けてきた。

だからなのか、宗教とは関係なく、
ただ「祈る」のが好き。

願うのではなく、「祈る」のである。

「祈る」と心の芯がとっても温かくなる。

それは、自分のためではなく、
ただ通りすがりの誰かのために。

初めて見かける他人、例えば、車に乗っていて、
ふと目に入る自転車を漕ぐ学校帰りの高校生や
夕方家路を急いで走る小学生に。

「安全におうちに帰りますように。この子の今日の終わりに何か良い事がありますように。」と。
「晩御飯が美味しい!」って食べられますようにと。

道端を腰を曲げてゆっくり一歩、一歩と足元を確かめながら散歩するお年寄りには
「ご安全に。今日も何か一つ素敵な出来事がありますように」と。

偶然目に映る景色の中の人たちのために、
ごくシンプルに祈る。

そうすると、
自分が勝手に祈っているのに、
自分自身がなんだか謎の幸福感にあふれて、
心の芯がポカポカしてくるのである。
誰にも迷惑をかけていないし、お金もかからない、
なのに瞬間的に心に灯がともる感覚を味わえる。
つまり幸福感でいっぱいになるのだ。

もし世界中の人が、
行きずりの見知らぬ誰かのために、
「ささやかな幸せな日常」を心の奥で「祈る」ことができたなら、世界はもっともっと愛にあふれる。

そして、あなたも、あなたの大切な人も
毎日を安全に過ごしていける違いない。
待つ人のいる場所へ
ちゃんと帰れるにちがいない。

あなたが他者に向けた、ささやかな祈りは、
めぐりめぐって、あなたとあなたの大切な人を
シアワセにしてくれる。

大切な人ができたなら、
その人のためには、無意識に「祈る」
だけど、見知らぬ人への祈りも、どうか忘れないで。

無償のポジティブな愛のエネルギーは、
あなたの周りを回り回って、ちゃーんと帰ってくるから。












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