当事者になる(まゆ)
先日、久しぶりにアウトレットに行った。
断捨離だ!と言って服をたくさん処分したので、普段着る服があまりなくて。
うちからアウトレットまでは車で1時間半ほどかかる。
そんなに遠くまで行って、目当ての店は1軒だけである。
アウトレットなので、欲しいものがある時とない時はだいたい五分五分。
買えた時はラッキーと思うけど、買えなかった時は「もう二度と来ないなー」と思う。
正規店に行くと、欲しい服が必ずたくさんある。
でも、経済的に何着も買うことは難しい。
その日も、収穫はなしだった。
結局どこにでもあるのにタリーズに入って、本を読んだり、PC作業をしたりして過ごした。
やっぱり、「もう二度と来ないなー」と思う。
欲しいものがもしかしたら安く買えるかもしれないとまた期待してしまうかもしれない。
でも、結局、正規店に並んでいるものを見る方がテンションが上がるし、必ずと言っていいほど欲しいものに出会えるのだ。
今思うと、以前はせっかく来たんだからとアウトレットに並ぶものの中でなんとか探そうと努めていたかもしれない。
そういう服はやっぱり飽きるのも早く、思えば正規店で買ったものの方が長く着ていることが多い。
そして今の私は、本当に愛着が持てる1着を探したいと思っている。
なんとなく、アウトレットでは自分が欲しい服にはもう出会えない気がする。
動いたからわかることがある。
身銭を切って。時間を割いて。悔しい思いをして。自分の身体に経験を刻む。
なんとなく違うかなと思うことを、実際に動いた結果「ほら、やっぱり違った!」と思う経験は本当に大事なものだ。
ひとつのことがわかるまでには、ものすごくたくさんの労力が必要だ。
私が何度「違う」と思っても、またアウトレットに行ってしまうように。
そんな時、無駄なことをしてしまったような気持ちになることが多いけれど、自分には合わない・違うということが「本当に」わかるというのはとてもとても大きな獲得なのだろうと思う。
そして、だいたいの場合、今自分がいる場所がとても尊いものなのだとぐるりとまわって知ることができることも大きい。
感覚的に「自分には合わなそうだな」「なんか違うな」と思ったことに安易に動かないことも、同時にとても大事ではあるのだけど。
ここのところ、自分のことを語り、きいてもらう場を何度か経験させてもらった。
私はやっと、「当事者」になれたのだと思った。
自分に起こったことに名前をつけることができたのは最近のことだ。
それは「客観」になったということだと思った。
当事者になるということは自分に主体を持つということだけれど、それは起こったことを自分の中に閉じ込めておくだけでは「主体」にならないのだと思う。
私は名前をつけることをしてはいけないと思ってきたし、それも人と比べて自分なんかがそう思ってはいけないと思ってきたのだけれど、人に話したことで、私に起こったことは私に起こったことになったのだった。
やっと、私はこの私を生きられる気がするし、そのことを認めたらすごく楽になって、そしてここからまた人とも繋がれる気がしている。
自分のことは全部自分でコントロールできる、そうしなければならないと思ってきた。
それ自体も自分では見えなかった。
思えば、当事者という言葉をたくさん使ってきた。
大学にいた頃、最後に取り組んでいたテーマが「当事者」のことだった。難病当事者になったことから出てきたことだった。
しかし、私がいた領域とはすこぶる相性が悪く、恫喝に近いような批判を受けたこともあるのだけれど、私にとってはとても切実なテーマだった。
超力不足だったけれど、最後に扱えてよかったとは思っている。
結局のところ、それをやっている「私」に関心があったのだと思う。
それが扱えなければ、私という1人の人間との関わりで起こった現象を語ることなどできないだろう。
最後に自分にとって切実なテーマを扱ってみて、その時なりに奮闘して、ここではないということが確信になったから離れることができた。
その奮闘はなんと今もなお続いていたということだ。
ふー。研究のためとかじゃなくて、自分自身のために必要なことをずっとしてきたのだと思うと、あーもう全部つながってるじゃんと。よーやった、お疲れさんわたし。と言ってあげたい。
ここのところ、また勉強を始めたり、話をする機会をもらったりして、人の存在が少しずつ自分の中に入ってきている。
人と関わるって私には簡単なことではなくて、消耗することも多いのだけれど、それでも、縁がある人に出会いたい、もしくはもう一度出会い直したいと思っている。
たくさんの喪失と獲得を繰り返して、今共にいる人がいること、そして、願わくばこれからも、と思えること。
そんな門出に立っている友人に心からの祝福を。
私も、13年隣にいる人と今が一番近くにいる気がする。
自分という存在がくっきりしたからかも。
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