息をするように本を読む101〜アガサ・クリスティ「春にして君を離れ」〜
推理小説好きの中で、アガサ・クリスティの名を知らない人はまずいないだろう。
その作品の数は長中短編、戯曲を含め250作を超え、映像化された物も多い。
しかし、この「春にして君を離れ」は他のクリスティの作品とは一線を画した、ちょっと異質な小説だ。ロマンス小説、というジャンルに分けられるらしい。
物語の中では殺人も盗難も誘拐もない。事件らしい事件は起きないし、犯人も探偵も出てこない。ただある日常を書いた、それだけの物語。
舞台はクリスティが実際に生きていた、1930年代。
主人公は、イギリスの中産階級の専業主婦でジョーンという中年の女性。
何不自由ない子ども時代を過ごし、女子寄宿舎学校で文句の付けようのない教育を受け、やがて、テニスの集まりで知り合った弁護士の夫と結婚、3人の子どもに恵まれ、現在に至る。夫の仕事は順調、3人の子どもたちはそれぞれに伴侶を得て、平穏に暮らしている。
女性として、これ以上は望めないほどの幸せな人生。彼女は彼女の人生の成功者、のはずだった。
そう、その日までは。
その日、結婚してバクダッドに住んでいる次女の病気見舞いと家事手伝いのための1か月半の滞在を終えたジョーンは、夫の待つイギリスの我が家へ汽車で戻る途中、駅の宿泊付きレストハウスで女学校時代の友人と再会する。
学生時代、潑剌としてクラスのアイドルだった友人は、十数年会わない間にすっかり老け込み、昔の面影はない。
ジョーンは、今なお昔と変わらぬ若々しさを保ちつつ、いかにも良家の奥様然とした自分とその友人とを心の中で比較して優越感に浸る。
このあたりで、私はこの主人公が嫌いになった。
久しぶりに出会った古い友人と思い出話をしながらジョーンが考えているのは、この零落した(と彼女は思っている)友人と比べて、自分がいかにきちんとして見えるか、自分がいかに有能で家庭経営を上手くこなしているか、そのおかげで家族がいかに幸せにやっていけているか、自分がどんなに恵まれているか、そんなことばかり。
彼女の中にあるのは、独りよがりの優越感と自己満足だけだ。
こんな女性と話をしても、あまり楽しくないのではないか、とまで考えてしまった。
ここまでの話なら、ああ、まあ、そうやね、今もこういう人いるわ、へえ、クリスティの時代にもこんな人おったんや、時代が変わっても人って変わらんのやね、ということになったのだと思うのだけど。
さて、バクダッドへ行く途中だという友人とそこで別れて、そのままロンドンへ戻る予定だったジョーンはそこであり得ないほどの悪天候のために足止めにあい、数日間、汽車を待ちながらレストハウスでひとりで過ごすことになる。
ここで、別れ際に友人が何気なく言った言葉がジョーンの頭をよぎった。
「何日も何日も、自分のことばかり考えて過ごしたら、自分についてどんな新しい発見をすると思う?」
持参した本も全部読んでしまって何もすることがなくなってしまい、時間を持て余すジョーンは、ぼんやりと、あるときはうっとりと来し方を思い出す。
そうそう。あのときも私がちゃんと考えて穏当に行動したから事なきを得たんだった。あのときも、私の考えが正しかったのよ。おかげで家庭は上手くいったのだわ。子どもたちだって、この私の献身的な心尽くしがあったから…。
……でも。
でも、本当にそうかしら。
あのとき、夫はなぜ、あんな顔をしたのかしら。なぜ、長女はああ言ったのかしら。次女は、息子は? 私より不幸な暮らしをしているはずのあの知り合いの女性は、なぜ、あんな表情で私を見たのだろう。
ああ、どうして私は、たった1人でこんなところにいて、こんなことを考えているのだろう。
よく晴れた水平線上にポツンと浮かんだ小さな雲。それがみるみるうちに大きくなって、さっきまで清々しかった青空を覆い始める。
じわじわと浮かび上がる不穏さ。
今まで上手く隠されていたのに、だんだんと見えてくる危うさ。
彼女の信じる幸せは、思い込みと根拠のない優越感の上に構築されていたのではないか。
使い古された言い回しだけど、そう、まるで砂で出来た城。
読み進めるうち、私はしだいに今度は主人公が可哀想になってきた。
そしてその後、さらに読んでいくと、今度は怖くなった。
あ、痛っ、からの、うわー痛い、そして、ヒヤリとして、最後はゾクッと。
私自身、彼女とどこかが違っているだろうか。
以前は、そして今も。
思わずそう自問してしまう。
自分の都合だけで物事を見ていないか。自分の価値観(だと思い込んでいるもの)で何もかも判断していないか。
そして、それを盲信していないか。
見たくないものも、ちゃんと見ているか、私。
自分の人生では、誰もが自分が主人公。
それは間違いない。
でも、あなたの周りの、たとえば家族、友人、同僚、知人たちは、その物語の脇役ではない。
皆、それぞれの意思があり思いがあり、それぞれの人生の主役を生きている。
あなたの人生という物語のために存在している、思いどおりに動かせるキャラクターでは決して、ないのだ。
それを、あなたは本当にわかっているか。
これは、とても怖い、怖い本。
さすがはクリスティ、サスペンスの女王。
本を読むことは私には特別のことではない。生活の一部であり、呼吸することと同じことだ。
この本を読むきっかけになったのは、このおふたりのnote。
東西に関わらず、音楽や小説、映画にもとてもお詳しいSmall Worldさんによると、クリスティのこのジャンルの小説は全部で6作あり、最初はアガサ・クリスティではなくメアリー・ウエストマコット名義で出版されていたそうだ。
fullhouseさんのこちらの記事には、作品の感想と小学生のときのある先生の思い出が絡めて書かれていて、グサッと胸をつかれてしまった。この方の感想文はいつも、うわっ、と思うひと言が秀逸。
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Small Worldさん、fullhouseさん、この本を手にとるきっかけをくださいまして、ありがとうございました。
やっと読めました。(⌒-⌒; )